いつか必ず逢えると。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

いつか必ず逢えると。。。

きのうは朝日新聞主催のWORKOオンラインセミナー「自分らしく築くキャリア〜ケアの仕事の可能性」の収録でハリー杉山くんと久しぶりに再会キラキラ音譜


TOKYO MX5時に夢中!」で少しだけ重なった時期がありハリーも私のことを覚えていてくれましたビックリマーク番組卒業後のハリーの大活躍をもちろん私も応援してましたし



認知症のお父様の介護をしていたというインタビュー記事なども読んでいて、いつか必ず介護をテーマにした仕事でハリーに逢えると思っていました。



ジャーナリストだったヘンリーさんは日本の魅力を世界に発信するために1964年に来日し東京オリンピックを取材。ハリーにとってヘンリーさんは世界で1番尊敬する父親であり親友だったと振り返っていました。



ヘンリーさんがパーキンソン病と認知症と診断されたのはハリーが27歳の時。憧れていた父親の変わりゆく姿を受け入れられず、はじめは病気ではなく歳のせいではないかと現実を否定してしまったそう。



母親と2人だけで介護を抱えてしまったハリー。思うようにいかないことや上手にコミュニケーションが取れずに暴れることもあり、思わず手を挙げそうになったこともあったと正直に語ってくれました。



「本当に全力投球だった」OAがある時でも父親のことが気になってスマフォを手離せなかったそう。プライオリティーが父親になってしまい心身共に疲弊したハリーは、在宅介護に限界を感じお父様の介護施設入居を決断。



施設に入れるということは父親を見捨てるというイメージもあり大きな葛藤がありましたが、ケアをプロに任せたことで自分の時間が出来て心の余裕も生まれたとハリー。



さらにパーキンソン病と認知症を抱えた父親のケアの仕方についても専門の知識を持つ介護スタッフから学ぶこともでき、お父様自身にも穏やかさと笑顔が戻ったそうですクローバー



元気な頃と同じように過ごせるようになったのは介護職のみなさんのおかげであり施設を選択したから。父親のようなジャーナリストになりたいという夢を持っていたハリーは、自分達を救ってくれた日本の介護の魅力を伝えていきたいと語ってくれました。



去年、コロナ禍でしたが介護施設でヘンリーさんを看取ったとのこと。大好きなお父様と共に過ごした日々についてハリーにインタビューした動画と



3040代に違う仕事から介護職へとライフシフトした山田真由美さんと照沼弘子さんにハリーを交えたトークショーの模様は来月公開されますのでまたお知らせします音譜