〈心〉を訴える。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

〈心〉を訴える。。。

【六月大歌舞伎〈いがみの権太〉感想②】



続く「すし屋」の場面。弥左衛門が営むすし屋の奉公人の弥助は実は匿われている維盛。娘のお里と祝言を挙げる運びとなっていて喜びが隠せないお里を壱太郎さん。



妻も子供もいるだろうと突っ込みたくなりますが、弥助の正体を知らずにいるお里がひとときの幸せを全身で表現するシーンは胸に染み入りました。



勘当されているのにも関わらず懲りずにお金を無心にくる権太。年貢を盗み取られたと泣きつき、水を目につけるという分かり易い嘘泣きにまんまと騙されてしまう母親。



さらに鍵がないのに錠前を手際よく外した権太を見て「器用な子だなぁ」と手放しで褒める母親の甘さに呆れながらも客席からは笑いが。



悪ガキなのに憎めない権太を魅力的に演じる仁左衛門さん。時代と共に観客も変化していく中で、どうやって歌舞伎の魅力を伝えるかに心を砕いているとインタビューで話していました。




大事にしているのは型ではなく「"心"を訴えること」台本を読み返し台詞は分かりやすく単刀直入にしたり、カットすべきところはカットし、台本自体もやるたびごとに見直すとのこと。



荷物を背負い切羽詰まった様子で戻ってくる父弥左衛門。母親からくすねたお金を慌ててすし桶に入れて奥に姿を隠す権太。実は弥左衛門が持ち帰ったのは誰かの首で、すし桶に入れ並びを変えてしまいます。



さらに宿を求める維盛の妻の若葉の内侍と息子六代君が尋ねてきて探していた夫と再会。先に寝床に入っていたお里は維盛達の話を聴き全てを悟ります。



そして同じく弥助が維盛だと知った権太は寿司桶を抱えて飛び出して行きますが持っていったのは。。。そんな中で彌十郎さん演じる鎌倉方の梶原景時が詮議にやってきます。



景時の詮議があることを知った弥左衛門は「小金吾討死」で亡くなった小金吾を身代わりにしようと考えたのです。



すし桶から取り出そうとするのを必死に止めようとする妻のお米。中には夫に内緒で権太に渡したお金が入っているからで、シリアスなはずな場面なのにユーモアも。


花道から現れた権太は褒美欲しさに父親を裏切り維盛の首と妻子を景時に差し出しますが、実は内侍と六代君は身代わりになった権太の女房と我が子。。。



全てを飲み込んだ女房と無言のままに視線を交わす権太。顔を上げさせろと言われた権太は、鉢巻で一瞬目元を拭いクッと唇を噛み締めて2人を蹴り上げます。



「木の実」の場面で親子3人仲良く帰った花道を、景時に連れられて行く女房と我が子。涙を松明の煙のせいにして感情を押し殺し褒美の羽織で顔を隠して身体を震わせ見送る権太。



そして真実を打ち明けようと「親父っさん、親父っさん。。。」と言い掛ける権太の言葉を聴かずに、カッとなった弥左衛門が息子を手にかけてしまいます。



「三千世界に子を殺す親は俺ひとり」 散々悪事を重ねてきた我が子の裏切りに、怒りだけでなく哀しみが滲む歌六さんの弥左衛門。



あと少しタイミングがずれていたら権太は死なずに済んだのにと思わずにいられませんでした。振り絞るように顛末を語る息子の権太。



「孫に縄を掛ける時に感じた血を吐く程の悲しさを、何故常に持ってくれなかったのか」という弥左衛門の言葉が心に深く突き刺さります。



維盛や内侍に知らせるために権太が鳴らした我が子の笛の音の弱々しい響きはあまりにも痛ましくて哀しい。。。



ただもしかすると改心し真人間に戻ろうとした権太ですが、妻子を差し出した時にすでに死を覚悟していて、自分もすぐそばに行くと知らせるためなのかもと思えました。



実は実は歌舞伎ならではで、平重盛に命を助けられた頼朝は恩返しとして、維盛の命を助け出家させようとしていました。



父親の弥左衛門は息子を手にかける必要はなく、命を賭けたかたりが無駄であったと悟る息子の権太。



笛の袋に愛おしそうに頬ずりし最後は手を合わせ優しく微笑み父と母の胸に抱かれて息絶えます。



2組の親子に起きた悲劇の中の救いは、どんなに悪ガキでも子を想わぬ親は無く、どんなにダメな人間でも親や家族を想う気持ちを持っていたということ。。。



六月大歌舞伎は今月25日まで。中止されていた一幕見席も再開され、指定席が新たに誕生し予約できるようになりましたキラキラ値段が手頃なのでぜひご利用ください音譜