言いふらし介護 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

言いふらし介護


毎週日曜あさ625分からオンエアのニッポン放送「ひだまりハウス〜うつ病と認知症について語ろう」おかげさまでスタートから今年で10年になりましたキラキラ音譜



今週と来週のゲストは1980年代に社会現象にまでなった人気アイドルグループ「おニャン子クラブ」の元メンバーの新田恵利さん。



同世代の私ももちろんテレビ番組で観てましたし同じ埼玉出身で応援してました。当時はタレントのプライバシーは保護されておらず自宅まで押し掛けてくるファンもいたそう。



そんな中で追いかけて来た車のボンネットに手をついて身体を張って止めてくれたりして新田さんを守ってくれたのがお母様のひで子さんでした。



以前も介護をテーマに雑誌で対談させていただいたことがありましたが、新田さんは2014年から6年半にわたりお母様の介護をしてきました。



50代に骨粗鬆症と診断され圧迫骨折を繰り返していたお母様。85歳の時に耐えられない痛みだったのか本人が入院したいと訴えます。



新田さんも10年ぶりの舞台に臨んでいて「病院だから安心」と考えて以前手術をしたことがある近くの病院に。



ですが治療計画書もなく、新田さんが17歳の時に亡くなったご主人の話をするなど認知機能も悪化し、このままではもっと悪くなると感じた新田さんは退院したいと願い出ます。



病院は何も説明もないまま「じゃあ退院すれば」という対応で唖然としたそう。車椅子からタクシーに乗せようとしたところお母様が立つことも歩くことも出来なくなっていることが判明。。。



大きなショックを受けた新田さんは自宅で待っていたお兄さんに「ママが立てなくなっている」と思わず叫んでいたそう。



突然のことで介護の知識は全く無かった新田さん。パニックに近い状態の中で、とりあえず市役所に行きますがあまりにも素っ気ない対応だったそう。



次に向かった地域包括支援センターでは「大丈夫ですよ」と声を掛けてもらえて、退院してから凍りついていた心がようやく解れたと新田さん。



元々お母様と暮らしていた二世帯住居だった自宅で独身だったお兄さんと役割分担しながら、訪問リハビリやデイサービスなど介護サービスも利用しての在宅介護がスタート。



何もかもが初めてだった介護の日々。信頼していた病院への疑問や歩けなくなってしまった悲しみなど、新田さんは自分の気持ちを整理するためにブログにアップします。



中には心無い書き込みもあったそうですが「介護で疲れてやめたいと思っていたけれどもう1度私も頑張ります」など励みになるメッセージが多く寄せられたとのこと。



また小学校からの友人が「実は」と介護で悩んでいたことを明かしてくれたそうで、介護あるあるの話をしたり愚痴や弱音をお互いに言い合えるように。



「言いふらし介護」と表現していましたが、1人で抱え込まずに打ち明けることで楽になりますし、力になってくれる人も現れると新田さん。



アイドルとして忙しく活動している時でも新田さんは母親に毎日電話をしたり、旅行をプレゼントしたりとその時々で出来ることを精一杯してきました。



インタビューでは聴き切れませんでしたがお母様は39歳の時に末っ子の新田さんを出産。お母様の世代では高齢出産だったこともあり



親に何かあっても家事など生きていくために必要なことは自分で出来るようにと小学生の頃から躾けられていたそうです。



また自分で責任を取れる行動をしなさいとも両親から言われていて、なんと芸能界デビューは親には事後報告だったそう!?



寝たきりになり小さな庭がお母様の世界の全てになってしまったけれど「私は世界一幸せよ」と言えた母から受け継いだのは〈今いる環境の中で幸せを見つける力〉



その庭にお母様が喜ぶようにと四季折の花を植えていた新田さん。私も車椅子で1人で過ごす時間の長い母のためにベランダに沢山のプランターを並べていたことを思い出しました。



大好きなお母様と過ごした6年半にわたる貴重な介護生活を飾らない言葉で綴った著書「悔いなし介護」(主婦の友社)ぜひ読んでいただきたいです。



20213月にお母様は92歳で亡くなりました。新田さんのお誕生日を一緒にお祝いした後だったそう。コロナ禍でしたが講演会などの仕事が無くなり、ずっとそばにいることが出来たとのこと。




日曜あさ625分からオンエアのニッポン放送「ひだまりハウス」新田恵利さんのインタビューぜひお聴き下さいクローバー