広島から核なき世界を。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

広島から核なき世界を。。。

〈思い立ったら今年は旅に出よう〜広島で平和を願う前編〜〉



人権教育啓発推進センターが発行する月刊誌「アイユ」のインタビューの取材で広島へ。せっかく広島を訪れたので広島平和記念資料館に行ってきました。



平和記念公園の入口には来月開催されるG7広島サミットに向けて花を植え込んだ巨大なモニュメントが設置されていました。



広島出身がリーダーを務めるこのタイミングで日本から〈核なき世界〉を被爆地である広島から発信する意義は非常に大きいと感じました。



前回2019年に訪れた時はリニューアル中だった広島平和記念資料館。リニューアルにあたり被爆直後の姿を人形で表わした「被爆再現人形」を撤去することが話題になりました。



「原爆被害の凄惨な情景はこんなものではなかった。もっと悲惨だった」と言う意見があったことも撤去の理由のひとつだったそうですが



インパクトの強い人形ではなく〈人間〉の視点から原爆の悲惨さを伝えることを重視した展示を目指したからだそう。



遺品の持ち主の名前や顔写真、被爆までの生活を合わせて展示したのも今回の改修の新たな工夫のひとつ。




まず足を踏み入れた東館の壁一面は被爆後の焼け野原の広島を撮影したパノラマ写真。そして渡り廊下を渡って本館へ移動して「被爆の実相」のセクションへ。





入口に展示された被爆したひとりの少女の写真。そして壁いっぱいに引き伸ばされたキノコ雲の写真の先にある「86日の惨状」と題されたセクションには



爆風で曲がった建物の鉄骨、人影が残る石段、誰かが乗っていた自転車、建物疎開作業に携わっていた子供達の衣服などが。




2歳の時に被爆し後に白血病を発症して亡くなった佐々木禎子さんが薬の包紙や包装紙などで折った千羽鶴。



小さな小さな鶴を見つめていると病気が治るようにという願いを込めた禎子さんの息遣いが聴こえてくるようでした。



原爆で亡くなった人達がその瞬間に身につけていた遺品が展示されている「魂の叫び」。数々の遺品にはそれらを大事に保管していた遺族の言葉が添えられていました。




私がその中で心に残ったのは「市民が描いた原爆の絵」でした。これまでも特別展示はされていたそうですが、今回新たにヒロシマを証言し得る貴重な資料として常設展示になったそうです。



原爆投下直後の惨状を描いた市民による「原爆の絵」には作者については詳しい説明書きが添えられていないからこそ



11枚の絵を描いた人が気になって仕方がありませんでした。資料館の平和データベース「原爆の絵」で分かるのはタイトルと作者の名前だけだったのでお1人お1人自分で調べてみました。


https://hpmm-db.jp/picture/


全員は無理でしたが過去に取材を受けていたり手記を残されていた方がいました。思い立ったら今年は旅に出よう〜広島で平和を願う後編でご紹介しますクローバー