人の心の数だけ。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

人の心の数だけ。。。

先日、ロシアの文豪トルストイの長編小説が原作の舞台「アンナ・カレーニナ」を観劇してきました。アンナを演じるのは美貌、気品、そして女の生々しさを兼ね備えた宮沢りえさん。



宮沢りえさんの舞台は何度も観ていますが毎回全身全霊という言葉がぴったりで、今作も細い身体から放出されるエネルギーに圧倒されました。



「不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある。。。」不幸になると分かっていながら愛の激流に流されていく社交界の華アンナと若き将校ヴロンスキー。



人の妻と知りながら狂おしいほどの愛をストレートにぶつけてくるヴロンスキーを演じるのは舞台はこれが2度目という渡邊圭祐さん。



「経験値が少ない分、怖いもの知らずな飛び込み方もできる」と語っていた渡邊さん。その怖いもの知らずがそのままヴロンスキーに重なりアンナと対峙する彼の悩みや葛藤は演技とは思えないほど。



イギリスの気鋭のフィリップ・ブリーン氏の演出は不倫という誰にも祝福されることのない破滅の愛へと突き進んでいくアンナとヴロンスキーとは対照的に



恋には不器用ながらも真実の愛を手に入れるリョーヴィンとキティ、そして浮気症のアンナの兄オブロンスキーと妻ドリーの3組のそれぞれの夫婦の愛の形を丁寧に描いていたのが印象的でした。



物語のもう1人の主人公であるリョーヴィンを演じるのは浅香航大さん。都会で暮らすアンナ達とは違い、田舎に広大な領地を持っていて農夫と共に汗を流して農地改革に取り組んでいます。



2度目のプロポーズで恋を成就させますが、自分に自信が持てないリョーヴィンは結婚後も、キティが思いを寄せていたヴロンスキーへの嫉妬に悩まされます。



一方の妻のキティもリョーヴィンから過去に様々な女性相手に放蕩生活をしていたことを打ち明けられ、どう受け止めて良いのか思い悩みながらも最終的には許すことに。



また夫の浮気癖に怒り家を出ると宣言するアンナの兄嫁のドリー。5人も子供を産んだ自分の身体にはもう魅力がないと嘆きますが、アンナの説得により元鞘に戻ったと思ったら6人目を妊娠するという夫婦の不思議。



「人の心の数だけ愛情の種類も違う」というアンナの台詞がありますがまさにその通り。この物語に登場する人々は全員〈愛〉について悩み迷っています。



ヴロンスキーへの深い愛によりアンナが手にした歓喜と苦悩。そして自ら選んだ自由は孤独と隣り合わせ。一方で、憧れていた女性を妻にしたのに愛しているが故に不安を拭えないリョーヴィン。



そして政府高官という立場にあり世間体ばかりを考えて、自尊心から最後まで離婚を認めない小日向文世さん演じるアンナの夫カレーニンの屈折した想いもまたひとつの愛の形か。。。



舞台には様々な大きさのマトリョーシカ、木馬、ドールハウス、椅子をアットランダムに配置。効果的に小道具として使い配置を変えることで場面展開。



愛に翻弄される大人達を見つめるアンナの息子セリョージャが何を思うのか。常に汽車のオモチャを手にしているセリョージャ。唐突に響く汽笛の音が不協和音として耳を劈きます。



ヴロンスキーの子供を産み落とし瀕死の状態になり死を覚悟したアンナは夫に許しを請い、その姿を見た夫カレーニンは神の啓示を受けたかのように2人を許します。



その後、体調が回復したアンナはヴロンスキーと共にいることを選び家族を捨て外国へ。離婚がなかなか成立しない中で、精神的に不安定になり嫉妬と疑心暗鬼にかられるアンナ。



愛のために何もかもを犠牲にしたのはヴロンスキーも同じであり、アンナが投げかける理不尽な言葉や激しい束縛に疲弊し次第に心が離れていきます。あんなに愛したのに。。。



〈生涯1人の人を愛することは1本の蝋燭が生涯燃えることと同じ〉など数々の愛に関する言葉を紡いでいるトルストイ。



他人の幸福の中にこそ自分の幸福もあり、1番難しいけれど最も大切なことは人生を愛すること。人生は全てだからとも語っています。



人間は「愛するという才能」を持っている。その愛のために身を滅ぼしたアンナは不幸だったのだろうか。。。〈愛〉とは何かの答えを未だに見つけられない私。



「人は何のために生きているのか」そして人が人を「愛し」「許す」ことの難しさを考えさせられる舞台「アンナ・カレーニナ」は319日までBunkamuraシアターコクーンにて上演しています



様々な舞台を上演しまさに文化の発信地だったBunkamura4月に長期休館に入ります。今作のあと2作品を予定していますが私はとりあえず見納め。寂しい限りですが新しい劇場の誕生を待ちたいと思いますクローバー