ものがたりは続く。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

ものがたりは続く。。。

逢いたかった仲間にようやく逢えました。。。2019年から3年の時を経てふたたびの〈ものがたり合宿〉が約束通り佐藤伸彦先生が2020年秋にオープンした〈ものがたりの街〉がある富山県砺波市で開催されましたクローバー




「街は作るものじゃなくて自然に作られていくものだよ」佐藤先生にこう語ったのは18歳で砺波に根を下ろし宗派を超えて地域の人達の精神的な支えになっていた尼僧の安寿さん。



その安寿さんが最期まで暮らしていた小さな小さなお寺にも案内していただきましたが亡くなる直前の2週間前までお経を唱えていたそうです。



私がヤングケアラーの当事者になったのは18歳。奇しくも安寿さんが砺波に来たのが18歳と大きな流れの中での2人の〈ものがたり〉の小さな共通点に心震えました。



佐藤先生達が看取るまで80年近く地道に布教活動を続けてきた安寿さんの言葉は重く〈ものがたりの街〉はまだ完成ではなくこれから何代にもわたり受け継がれ育まれていくんだと感じました。




ものがたりの街の入口にある〈いかるぎ薬局〉いかるぎの名前の由来は奈良時代まで遡ります。利波臣志留志により開拓された砺波は朝廷の荘園とされ"伊加流伎"と名付けられたそう。



そんな開拓の精神が宿る砺波で産声をあげた〈ものがたりの街〉。「自分を含めて時代を誰かが動かしているのではなく時代は常に流れ変化していて時代に求められ必要な人が出てきただけだ」と以前話していた佐藤先生。



世代も地域も職種も違うのにこの瞬間に同じ時を共有したかけがえのない仲間達。みんな時代に必要とされているのだと思うとそのうちの1人に加えてもらえて幸せですし偶然ではなく必然の出逢いに感謝🍀



時に哲学者のように〈言葉〉の持つ意味合いを深く深く追究し自身の想いや実践していることを言語化して語り継いでくれる佐藤先生。



最近「ナラティブ」という言葉ではなく〈ものがたり〉を使うようにしているそう。何故ならぴったりくる日本語表現がないのと



「相手の話を聞く」「傾聴」という本来の意味ではない形でナラティブが医療現場で使われていることも多く誤解のないようにしたいから。



物語に近い英語の「ストーリー」の語源はヒストリーで起承転結のあるひとつのまとまった話であり話し手や聞き手は想定されておらず静的なもの。 



一方「ナラティブ」は語り手と聞き手がいて一緒に作り上げていくものでストーリーとは違いもっと動的なもので事柄と事柄を結びつけて意味づけをしていく行為のこと。



「全てのことには時がある」と18歳で直面した介護、貧困、看取りなど人生に起きた様々な出来事の意味を問い続けてきた私はまさに〈ものがたり〉をずっと紡いできました。



母は亡くなり介護は終わりましたが母の〈ものがたり〉も、私の〈ものがたり〉も、そして母と私の〈ものがたり〉もまだ終わっていません。



日々、色々なことを意味づけて〈ものがたり〉を繰り返し蓄積して私達は生きていると佐藤先生は言っていましたが〈ものがたり〉は時に交わり共鳴し書き換えられていきます。



今回〈ものがたり〉を語ってくれた金沢にあるがんに影響を受ける全ての人とひとが支え合い誰かとだれかが繋がれる居場所「元ちゃんハウス」を運営するNPO法人「がんとむきあう会」理事長の西村詠子さん。



実は西村さんのご主人で「元ちゃんハウス」を立ち上げた外科医の西村元一先生は私が日本テレビを辞めフリーになった約10年前に初めて講演を依頼してくれた人でした。



その後またご縁があり在宅医療カレッジに登壇した西村先生は「他人事ではなく自分事になった」とご自身ががんになったことで初めて患者の気持ちが分かったと正直に話してくれました。



命には限りがあることを再認識したことでいつかやれば良いの"いつか"が無くなったとも。西村先生も言っていましたが医師だけでなく家族でさえもがんになった患者の気持ちを100%理解する事は難しい。。。



母をがんで亡くしたことをきっかけに私はドラッグラグ、緩和医療、がん教育、未婚のがん患者の卵子凍結技術など20年以上にわたりがん医療の取材をしてきました。



取材を続けているのは言語障害もあり何も語らずに全てを受け入れた末期がんの母が何を思い最期まで過ごしていたのかを知るためであり限りある命を懸命に生きた母の〈ものがたり〉を残したいと思ったから。

  


「元ちゃんハウス」はがん患者ではなく1人の人間としてその人らしさを取り戻していく場所であると同時に〈私の居場所〉として残してくれたと語る詠子さん。ご主人の想いを受け継いだ詠子さんと元ちゃん先生の〈ものがたり〉もまだ続いています。



もう1人は西東京市で重症心身障害児多機能型通所事業所「うさぎのみみ」を運営する本間りえさん。長男の光太郎くんが難病「副腎白質ジストロフィー(ALD)」と診断されたのは6歳の時。



病気が進行し身体が不自由になった光ちゃんのケアをしながらNPO法人を立ち上げ病気の治療法の確立や当たり前の暮らしが送れる居場所を作りたいと活動しています。



「誰も孤立させない」障害のあるなしに関係なく住み慣れた地域でその人らしく暮らせる居場所と出番をという本間さんの想いは母が重度障害者になった時に18歳の私が心に誓ったことと同じ。



本間さんとの出逢いは一期一会だと共感し微力ながら私も事業所立ち上げのクラウドファンディングにも協力させていただきました。



障害を持つお子さんと共に歩む親御さん達は自分の亡き後の子供の未来に大きな不安を抱えています。本間さんの〈ものがたり〉は同じ想いを抱える親御さんの〈ものがたり〉の光になるはず。



そしてゆめ旅KAIGOと想いが重なる「貴方の旅に行きたい」を叶えるトラベルドクターの伊藤玲哉先生の〈ものがたり〉もみんなに聴いて欲しかったのでご縁を繋げられて嬉しいです。



終末期を迎えている患者さんの多くが四角く切り取られた白くて無機質な病室の天井を見て過ごしている現実を少しでも変えたいと思った伊藤先生。



実は私が在宅の体制が全く整っていない20年前に母を我が家に連れて帰りたいと思ったのは全く同じ理由でした。末期がんで闘病していた母の病室を夜遅くにこっそりのぞいたことがあり



カーテンで仕切られた狭い空間の中でたった1人孤独な時間を過ごす母の姿に胸が締め付けられこのまま病院のベッドで最期を迎えさせたくないと強く思いました。



残された時間もあとわずかで病気が治らないと分かっているのに治療しないという選択が出来ない医療者や"何かあったら"という漠然とした家族の不安から



本人は本当は叶えたい夢があるのに諦めている現状を変えるためにはまずは本人が希望を言葉に出来るようにすることが大切です。決めるのは医師ではありません。



リスクを知り納得して選択するのは〈ものがたり〉の主人公である本人の役目のはず。そして旅行をすること自体がゴールではなく心を動かすプロセスがとても大切だと伊藤先生。



旅行へ行きたいを通じて「今を生きたい」人を応援するトラベルドクター伊藤玲哉先生の〈ものがたり〉をこれからも応援したい。



ご紹介しきれませんでしたが誰もがかけがえのない〈ものがたり〉を生きています。そんな幾多の〈ものがたり〉が共鳴したものがたり合宿はやっぱり心地よかった。



もし時代が私を必要としてくれているならばこれからも沢山の人の〈ものがたり〉に耳を傾け伝え続けることが私の〈ものがたり〉になると信じて言葉を紡いでいきたいですクローバー