病む人に学ぶ。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

病む人に学ぶ。。。

鹿児島県障害者自立交流センター〈ハートピアかごしま〉にて鹿児島県の重症難病医療ネットワーク連絡協議会と日本ALS協会鹿児島県支部が合同で開催した講演会でお話をさせていただきました。



声をかけてくれたのはお父様がALSになったことがきっかけで日本ALS協会の鹿児島支部を立ち上げ現在は協会の副会長を務める里中利恵さん。



里中さんと初めてお会いしたのはまだ私が日本テレビで記者をしていた時でしたがどんなに重い障害を持っていても



住み慣れた地域や我が家で普通に暮らしていけるように医療や介護の手が足りていない離島も多い鹿児島で人工呼吸器を必要とするALSはじめ難病の患者さんのサポートをしています。



介護をする家族の負担を軽減し難病や重度の障害があっても自立した暮らしを送るための障害者総合支援法に基づく介護サービス「重度訪問介護」の担い手の研修も手掛けています。



人工呼吸器を装着したALSの患者さんは痰の吸引が必要となりますが医療やケアの体制が整っていないことを理由に生きることを諦めて欲しくないと里中さんは話していました。



講演会には当事者と家族、ケアマネジャー、看護師、保健師などの専門職のみなさんが足を運んでくれ、さらにオンラインでも100人を超える人が参加してくれました。



18万筆の署名を集めてヘルパーによる痰の吸引を認めて欲しいと訴える要望書を厚生労働省にALS患者さん達が提出したのは2002年のこと。



アナウンス部から報道局に異動した私は当時厚生労働省担当記者をしていてALS患者さんの切実な声を受け止めた坂口厚生労働大臣が「桜の咲く頃には」とコメントした瞬間も取材していました。



署名活動に家族と一緒に参加していたにも関わらず24時間介護しなければならない家族の負担を考えて自分は人工呼吸器を着けない選択をした男性がいたことが今でも忘れられません。



そして本当に偶然ではありますが里中さんは町家のルーツである奄美群島の与論島の患者さんとご家族のサポートをしているそう。



さらに「ALSの父親を家族4人で2年間休むことなく胸を押している」という相談を受けたことがきっかけで1984年に日本で初めてALSの患者さんに在宅で人工呼吸器を使った福永秀俊敏先生とご縁が繋がりました。



長年にわたり難病の臨床と研究に携わってきた福永先生は南九州病院の院長などを歴任し現在は鹿児島県難病相談支援センター所長を務めています。



実は20年前にALS患者の在宅療養支援に関する厚生労働省の分科会の委員としてヘルパーの痰の吸引を可能にする道を切り拓いたのが福永先生でした。



「病む人に学ぶ」を信条に患者中心の医療を実践してきた福永先生とは僭越ですが人生で出逢うべくして出逢えたと勝手にご縁を感じていますクローバー



また奇しくも福永先生のお父様は私の母と同じくも膜下出血により亡くなったと先生からいただいた著書で知りました。



母の介護に直面した時は制度もサービスも皆無で家族が頑張るしかありませんでしたが、時代は変わり介護保険など様々な制度が作られ在宅療養を支えてくれる専門職も沢山います。



家族の力や想いではどうしても限界がありますので患者や家族のために自分達に出来ることは何かを追及する医療介護関係者の力を借りて欲しいと思います。



〈全てのことには時がある〉といつも講演でお話していますが難病は若くして発症するケースが少なくなく私のヤングケアラーの経験が少しでも役に立てばと思いますし



奇跡的に命を取り留めた母と歩んだ10年があったからこそ今の私が在ること、そして里中さんや福永先生など鹿児島のみなさんに出逢えたことに感謝。。。