芭蕉に恋してpart⑤ | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

芭蕉に恋してpart⑤

「奥の細道」を辿るみちのく吟行クローバー順番が逆になってしまいましたがラストは電車を乗り継いで日本三景のひとつ宮城県の松島へ。



まずは松島海岸のすぐ目の前にある瑞巌寺。東日本大震災の時は津波被害を免れ観光客や被災した住民の皆さんの避難所として開放されたそうです。



海岸にも震源地にも近いのに何故被害が少なかったのかというと海岸線が陸に深く湾入していたのと湾内に浮かぶ260あまりの島々のおかげで津波の威力が軽減されたからだそう。



ただ瑞巌寺へ通じる参道の半分くらいの場所まで津波が押し寄せたため樹齢数百年の杉並木が塩害により立ち枯れし倒木の危険性のある約300本の杉が伐採されたそうです。



大きな切り株がぽつりぽつりと残されていました。海へと続く参道が元の姿を取り戻すためには数百年の時間が必要ということになりますが、私達が亡き後にたとえ時間がかかっても再び蘇る自然の生命力はやはり偉大です。



平成の大修理が2018年に完了し瑞巌寺の本堂内の絢爛豪華さは圧巻の一言。それぞれの部屋には用途に合わせ桜、松、孔雀、天女など襖絵や彫刻が施されていて天井も造りが異なっていました。



瑞巌寺は伊達政宗の菩提寺ですが建立の際に宮大工へ厳しい命令をしたとのこと。土足で立ち入らないことと、当時は貴重だった釘や鎹(かすがい)は誤って落とした物は使用してはいけないというもの。




それほどの美学と気概をかけて建設された本堂と庫裡は、約400年の歴史で一度も火災に遭うことはなく、桃山様式の建築物として国宝に指定されています。



また宝物館には本堂の障壁画や独眼竜の異名を持ちトレードマークの三日月型の前立ての兜を身に付けた伊達政宗の木像などが展示されていました。

ちなみに伊達政宗の辞世の句は「曇りなき心の月を先立てて浮世の闇を照らしてぞ行く」というもので""が自身の人生の象徴だったことが伝わってきます。




そして瑞巌寺の表参道を抜けると目の前に広がるのは芭蕉も「奥の細道」のはじめに"松島の月先(まづ)心にかかりて"と書き記すほど焦がれていた松島湾。



島にはそれぞれ名前が付いていて伊達政宗のお気に⼊りの島として知られる「千貫島」や「よろい島」に「双子島」



そして修験場のため女人禁制だった「雄島」には小野小町が"松島をおしまず見せよ"と歌に詠んだことで女人禁制が解かれたというエピソードが。


岸から朱塗の透橋が架かる「福浦島」や津波の被害を免れた松島のシンボル「五大堂」も遊覧船から見ることが出来ました。



俳聖芭蕉を黙らせ寝ることさえ出来なかったと言わしめた松島の絶景。今回は時間がなく高台からの景色や夜の月を見られなかったのでまたぜひ足を運ぼうと思います満月



松尾芭蕉の足跡を訪ねたみちのく吟行で最後に詠んだ句はこちら。。。


「曇りなき 夏空に月 松島や」


「切り株に 夏の陽そそぐ 瑞巌寺」




俳句を始めてから旅先で目にするもの全てが味わい深くなり大袈裟ではなく旅するごとに人生が豊かになっていくような気がします。



時が経っても変わらないものと時と共に移ろいゆくものに心を馳せたみちのく吟行。これまでもこれからも不変なのは人の命には限りがあるということ。。。



旅先での一期一会の出逢いを世界で最も短い詩「俳句」で表現する作業には想像力と語彙力が求められますが、昔から変わらぬ"言葉の力"を大切にして磨きをかけていきたいと思いますクローバー