求めつづけた自由。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

求めつづけた自由。。。

「なぜ」と「やっぱり」という相反する想いが今でも交錯する謎の死を遂げたシンガーソングライター尾崎豊さん。



26歳という若さでこの世を去ってから30年。ひとつの区切りとして尾崎豊さんの歩んだ道を振り返る「尾崎豊展」がいま開催されています。



多感で傷つきやすい青春時代に触れた尾崎豊さんの名曲は今でも全て口ずさめるほど私の記憶の中に刻み込まれています。



「俺の言うことを聞いていれば間違いない」はお酒を飲んで機嫌が悪い時の父の口癖。父はきょうだいの中で特に長女の私に厳しくあたり中2の時に成績が悪くて髪の毛を切られたこともありました。



「勉強だけしてればいい」なんて言われても大人しく言う事を聴くような従順な娘ではなく事あるごとに父と激しく衝突していました。



今でも父の言っていたことが正しいとは思えませんが大人なんて誰も信じられず本当に行き場のない想いを抱える日々を過ごしていた10代に聴いた「15の夜」



逃げ出したくても逃げ出せない無力な自分のことを歌ってくれていると何度も何度も心の中で絶叫していたのが懐かしい。



父の異常なまでの束縛は18歳の時に母が倒れ介護や家事をやるようになっても変わらず確執に終止符が打たれたのはなんとアナウンサーになった時。



私の人生にはままならないことが沢山ありました。強く求めれば求めるほど遠く離れていく自由と夢。。。



幼い弟と妹の母親代わり、学業や仕事と介護の両立も簡単ではありませんでしたし車椅子生活になった母のように障害があっても



当たり前の暮らしが出来る社会にしたいという伝え手としての目標も当時はなかなか上司には理解してもらえずとても苦しかった。



社会人になってからも熱唱していたのは「僕が僕であるために」タイトルがまさにその当時の心境を表していましたし"正しいものは何なのか"という自問自答は今もしています。



会場には初期の作品を書き上げた学習机、愛用した楽器や創作ノート、アルバム、プライベートやライブの写真などが展示されていました。



歌詞を書き留めた手書きのルーズリーフ。まだあどけなさの残る筆跡から10代の尾崎豊さんの姿が浮かび上がってくるようでした。



音楽プロデューサーの須藤晃さんに宛てた手紙の文面には人懐っこさや愛嬌も感じられ"人間"尾崎豊が確かに存在していたことが伝わってきました。



「誰よりも深く物事を考えていた」と須藤さんは語っていますが、もし尾崎豊さんが生きていたら生き辛さを抱えた人が少なくない今の世界をどんな言葉で表現しただろうかと思わずにはいられません。



永遠に時を止めてしまった尾崎豊さんが残した曲はたった71曲ですが、自分自身と向き合い続けた尾崎豊さんの想いが結晶となった1曲1曲を改めてかみしめたい。。。



ちなみに記念にグッズを購入したところくじ運の悪さを発揮!?中身が見えない12種類のマグネットを2つ買ったところなんと同じものがおーっ!一緒に行った友人に交換をしてもらいましたあせる



尾崎豊展「OZAKI 30 LAST STAGE」は松屋銀座で来月4日まで開催してますのぜひ青春をプレイバックして下さいクローバーもう1回観に行こうかな〜〜