自分にも出来る。。。
残念ながら2018年4月からスタートしたパラスポーツを応援する文化放送「みんなにエール」はあすが最終回。
東京パラリンピックがゴールではなくスタートと言っていながら番組が終わってしまうのは本当に申し訳ないし悔しいですスポンサーさえ見つかれば。。。
それでも母が車椅子になった30年前からの夢であったパラリンピック取材をすることが出来ました。しかも母国開催というタイミングで関われたのは奇跡です。
去年の東京パラリンピックに続きコロナ禍で暮らしが制限される中での開催となった北京パラリンピックについてもあすは紹介します。
ウクライナ侵略という信じられない暴挙を起こしているロシアのプーチン大統領。戦火に見舞われている祖国にいる家族と連絡が付かないという選手もいましたがそんな厳しい状況の中で健闘しました。
平和の祭典と言われるオリンピックでたった一度だけ「黙祷」が捧げられた大会があったことをみなさんは覚えていますか。
1994年ノルウェーのリレハンメルで開かれた冬季オリンピックです。ボスニアヘルチェゴビナ紛争で戦場となったサラエボの犠牲者のために黙祷が行われました。北京でも選手村で黙祷が捧げられたそうです。
国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が北京パラリンピックの閉会式で何度も何度も希望という言葉を繰り返していました。
共生社会、ダイバーシティ、インクルージョン。。。目指しているうちは道半ばということ。まして21世紀に平和や対話を訴えなければならないとは。
真の平和な世界を築くために祈るだけではなく小さくてもいい自分に出来る行動は何か?
障害のあるなしに関係なく当たり前の暮らしができる社会を作りたいと誓った18歳の私。伝えるという仕事に出逢えたのは運命であり言葉で人の意識や社会を変えるきっかけを作っていきます。
当たり前の選択肢の中にスポーツがあると気づかせてくれるのがパラアスリートのみなさんです。当然金メダルを目指す選手もいますし
スポーツする姿を見せることで障害のために諦めている子供に自分にも出来るかもと思って欲しいと願う選手もいます。もちろん全員がトッププレイヤーにならなくても良いいんです。
私もさすがに母に「パラリンピアンになれ」とは言いませんでしたし、重い障害を抱えながら日常生活の中で出来ることを増やしていった母はやはり頑張っていたと思います。
「出来ないことではなく出来ることを数える」という母との暮らしの中で身に付けた発想の転換はパラリンピックの「失ったものを数えるな。残されたものを最大限生かせ」という精神と全く同じ。
パラリンピアンは特別だと言う人がいますが選手達は最初から早く走れたわけでも高く跳べたわけでもありません。
「病気や事故で足や手を失い深い悲しみにくれている患者さんは時に死にたいと思うこともある」
そんな患者さんに寄り添ってきた義肢装具士の臼井二美男さん。絶望の淵にいる患者さん自身が義足を使えば元の生活に戻り学校や会社に行けるかもと考えられるようになった瞬間が背中を押すチャンス。
義足を履いてスポーツをしたり旅行をしたりしている人がいるとさり気なく伝えることでもしかしたら”自分にも出来るかも”と思ってもらうことが第一歩だそう。
パラリンピックの大舞台で活躍する前に絶望を希望に変えて一歩を踏み出す瞬間があることを臼井さんは教えてくれました。
またスポーツを通じて知的障害者の社会参加を支援するスペシャルオリンピックスの理事長を務める有森裕子さん。
「社会は実はすでに共生している」スペシャルオリンピックスはそれを可視化してくれると話してくれましたがまさにその通り。
わざわざ目指さなくとも私達が暮すこの社会は多様でありすでに共生しています。そのことに気づくきっかけの一つがパラリンピックです。
パラスポーツを応援する文化放送「みんなにエール」はあす金曜よる7時からラストオンエアぜひお聴きください🍀