人の幸せに繋がる。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

人の幸せに繋がる。。。

Kawasaki Thanks Bridge Project」という川崎市で命と暮らしを支えてくれている医療や介護の専門職と感染予防を心がけている市民のみなさん全員を



感謝で繋ぐプロジェクトのお手伝いをしているご縁で週末に川崎市医師会主催の市民公開講座でお話させていただきました。



オンライン配信でしたので市民のみなさんには直接お会いできませんでしたが医師会の先生達もやはりヤングケアラーへの関心を持ってくれていて熱心に耳を傾けてくれました。



先日、公開されたヨミドクターのインタビュー記事も沢山の方に読んでいただき感謝です。その記事の中で介護を経験した子供が福祉の道に進むことが多いけれど将来の選択肢を自分で狭めないでというお話をしましたが



私の言葉が足らず介護の仕事をされている方だと思いますが介護は諦めの仕事ではないというコメントをいただきました。



このブログをいつも読んで下さっている方は分かってくれているかなと思いますが私には介護現場で働く地域や世代を超えた仲間が沢山います。



人生の最終章に伴走できる尊い仕事であることやひとりひとり違った人生を歩んできたみなさんが最後まで"その人らしく"暮らせるように想像力を駆使するクリエイティブな仕事であるとずっと伝えてきました。



30年前の日本でははっきり言うと障害者や介護の問題は全く注目されていませんでした。そんな中で18歳で介護に直面した私は母のように重い障害があっても住み慣れた地域で当たり前の暮らしが送れる社会にしたいと強く思いました。



そのためには当事者の声を届ける必要があり伝える仕事に就いて発信したいと考えました。まさかアナウンサーになれるとは私自身も想像もしてませんでしたが神様が奇跡を起こしてくれたんだと思います。



もし伝える仕事に就けなければ私も福祉の道に進むことを決めていて他の選択肢は思いつきませんでしたし伝え手を選んだ今の人生でも私の生涯のテーマは"福祉"です。



私が介護を経験した若者が福祉以外の道にも進んで欲しいと思うのには理由があります。25年前にメディアの世界に飛び込みましたがテレビで働く人達の多くも残念ながら福祉には無関心でした。



注目を集めた東京パラリンピックも1990年代は知っている人も少なくテレビで取り上げたいと企画書を出しても見向きもされませんでした。



日本テレビ時代もずっと医療や介護をテーマにこだわり取材を続け2008年の前回の北京パラリンピックも取材できましたが"町さんは好きなことばかりして"と心ない言葉をぶつけてきた同僚もいました。。。



一方で私が諦めずに伝え続けることで"実は"と自分自身の介護の経験を語ってくれる先輩や後輩がいたり理解の輪も少しずつ広がっていきました。



当時と比べると介護やパラリンピックなどへの関心も本当に高まりましたがそれでもまだ他人事と思っている人がいるのも現実です。



1番の敵は人の心の中にある「無関心の壁」です。介護を経験した当事者が福祉以外の世界にどんどん進んでいくことでその人を中心に関心の輪が広がっていくと私は思っています。



そして「福祉」とは何も特別な仕事ではなく病気や障害などのあるなしに関係なく地域や社会で暮らすみんなが幸せに生きるためにあるものであり



その意味で全ての仕事が人の幸せに繋がるものになって欲しいと願っているから。。。ヤングケアラーが自分自身の道を切り拓くことは福祉の未来を照らすことになると信じていますクローバー


大事なのは過去を否定することではなく今を肯定し納得して自ら選択して自分の足で歩いていくことです。



車椅子の母と過ごした10年があったからこそ気づき学んだことが沢山あり出逢えた仲間がいます。その全てに感謝して伝え続けることで恩返しをしていきたいです。