私の墓は私の言葉。。。
寺山修司さんの幻の戯曲「海王星」が58年の時を経てPARCO劇場で初上演されていますが中尾ミエさんが出演しているので観劇してきました
この作品はアングラ演劇四天王の1人と称された歌人で劇作家の寺山さんが「天井棧敷」を結成する前の1963年に書いた音楽劇。
寺山さんと言えば歪な愛をグロテスクに描いた「毛皮のマリー」のインパクトがあまりにも強烈で前衛的や革命児などの形容詞がまず思い浮かびますが
"彼は詩人と呼ばれたかった"とあるインタビューで寺山さんと親交のあった谷川俊太郎さんも語っているように
無垢な愛をストレートな言葉で紡ぐロマンティストで繊細な「海王星」の主人公こそ詩人寺山修司なのかもと感じる舞台でした。
「あたしを置いてみんな行ってしまった」
喪に服したような黒ベールの帽子に黒いレースがあしらわれたドレス姿のミエさんが登場し物哀しいため息のようなブルースを情感たっぷりに響かせます。
老婆とあらすじに書かれていますが歌声はもちろん衣装もすごく素敵で出番は少ないですがこの物語を操っているのはミエさん⁉︎と思ってしまうほどの存在感。
舞台は永遠に出港することのない戦艦の船底にある「北海岸ホテル」主人公の猛夫を演じるのは山田裕貴さんで父と息子を図らずも翻弄することになる魔子を松雪泰子さんが。
そして嵐に遭い海に投げ出され死んでしまったと思われた猛夫の父親、彌平をユースケ・サンタマリアさん。
父の死をひとり悲しんでいた猛夫の前に現れたのは彌平と再婚し自分の義母になるはずだった魔子。2人は出逢った瞬間から磁石のように惹かれ合う。
彌平の思い出を語りながらも猛夫と魔子の心が寄り添っていくのが手に取るように伝わってきますがそんな2人の前に死んだはずの彌平が生還したという知らせが届き。。。
山田さんと松雪さんが見つめ合いながら歌う「紙の月」はマッチの火で熱く燃え上がる激しい愛を表現しているようでいて儚く消えてしまう運命をも暗示しています。
奇しくも父のフィアンセを愛してしまった猛夫ですが父親のことを心から尊敬していて父と息子2人で慎ましく生きてきたことを彌平もコーヒー挽き機のような人生と呟く。
のちに実現しますが寺山さんのお母さんの夢が喫茶店を持つことだったそうでコーヒー挽き機やその香りは親子の繋がりを表すメタファーなのかなと。
そんな3人の関係にさらに不協和音を奏でるのが"座ると不幸になる椅子を用意して"など自分が持っていないものを手に入れようとしている
他人を妬み悪魔の囁きをする清水くるみさん演じるそばかすの少女と猛夫を独りよがりに慕い不幸の引き金のきっかけを作る伊原六花さん演じる那美。
そしてロック、バラード、ブルースと寺山さんの詩を現代に甦らせ祝祭劇を彩るのが「毛皮のマリーズ」というバンドを結成するほど寺山修司さんに心酔している志磨遼平さんの楽曲と生演奏。
芝居のタイトルになっている海王星を少し調べてみると青い惑星で知られる「海王星」は海の支配者であるポセイドンが司る星で自我の浄化や癒しのエネルギーを持ち
違いを乗り越えてひとつにするという力もあるそうですが一方で夢や理想を追及するがゆえに現実からの逃避を意味することもある星。
"私の幸せはいつも迷子"妖艶で魅力的なのに不幸の香りがする魔子。必死に生きてきて真の愛に出逢った彼女は幸せを掴めるのか。
そして自分は父に創られたと親子の絆の深さを自負しながらも魔子への想いを止められない猛夫は父と魔子のどちらを選ぶのか。
海王星が見守る母なる海を前にすでに舵取りを誤り座礁している船に乗る父と息子、そして2人が愛する女性の運命が向かう先は果たして。。。
「墓は立てて欲しくない。私の墓は私の言葉であれば充分」自分の死を意識した時にこう話したという寺山さんは"言葉の魔術師"とも呼ばれていました。
そんな寺山さんが大切にした言葉が星のように散りばめられている「海王星」は今月30日までPARCO劇場にて上演しています