ロールモデル
日経新聞の夕刊にヤングケアラーについて
コメントを寄せさせていただきました
電子版ではもう少し長い文章ですが
有料なので見られない方がいるのと
抜粋ですとどうしても微妙にニュアンスが
変わってしまいますのでいつもブログを
読んでくださっている皆さんには全文を☞
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高校3年から10年間、弟妹と重度の身障者になった母親を介護したフリーアナウンサーの町亞聖さんに、ヤングケアラーについて話してもらった。
「母親が倒れたとき、私は高校3年。弟は中学3年、妹は小学6年とまだ幼く、"親のせいで"と思って欲しくなかったので2人が変わらぬ学校生活を送れるように、私が母親の介護や家事など一手に引き受ける覚悟を決めた。
ただ弟妹の存在は私の精神的な支えとなった。もし私が一人っ子で母の倒れた時期がずれていたら進学を諦めざるを得なかったり人生は大きく変わっていただろう」
「介護のことは高校の同級生には話さなかった。何故なら当事者にしか分からないことがあり、同世代に理解してもらうのは難しいことが分かっていたから。弱音をはきたくない気持ちもあった。そんな中で、とてもありがたかったのは近所に住む母の親友の『おばちゃん』。
不慣れな家事に苦闘する私を見かねて、私達に山盛りの唐揚げを食べさせてくれたことがあった。こうした、すべてを黙って受け入れてくれる大人がヤングケアラーには必要だと思う」
「ヤングケアラーは身近にロールモデルがいないケースが多い。私は『病めるときも』など、三浦綾子さんの本をよく読んで自分を励ましたが、人によっては漫画やゲームの主人公が逆境を力に変えるための原動力になってもいい。」
「経済的な理由もあり選択肢が限られるヤングケアラー。同じような境遇の人を支援したいと社会福祉の仕事を選ぶ人も多い。私もアナウンサーになれなかったら介護の仕事をしようと決めていた。見てくれている人がいてアナウンサーになることができ、介護について発信する機会を得た。
ヤングケアラーはいろいろな仕事について、いろいろな立場から自分の経験を基に社会を変える発信をしてほしい。そうすれば社会全体が優しくなると信じている。」
今年も綺麗な金糸梅の花が咲いていました