可能性は無限
週末は緊急事態宣言が出される前に沖縄の
琉球リハビリテーション学院が開催した
オープンキャンパスでお話してきました
理学療法士、作業療法士、柔道整復師
社会福祉士などの資格取得や障害のある
子供のリハビリを学ぶことができる琉リハ
くも膜下出血と脳梗塞の併発で片麻痺と
言語障害という重い後遺症が残った母の
リハビリする姿は今も決して忘れません。
今から30年前でまだベッドサイドリハビリ
という考え方はなかったのと心肺停止になり
人工呼吸器を2か月ほど装着していたため
命は取り留めましたがガリガリに痩せて
自力では立つことが出来なくなった母の
リハビリは身体を板に貼り付けて立位を
保てるようにする所からスタートしました。
何故か外から見える場所に設置されていて
10代の私にとって丸坊主で右半身が麻痺した
母の変わり果てた姿は衝撃的なものでした。
ですがそんな状態から母は頑張りました
後に転院したリハビリ病院で理学療法士
作業療法士、言語聴覚士のみなさんに
本当にお世話になり歩行訓練はもちろん
着替えや歯磨きなど日常生活の動作や
字を書く練習など左手で出来るように
当時は今と比べると入院期間が長く
運動会やクリスマス会なども開催され
私も母と一緒に参加しましたがその時に
ビックリしたのは母が歌は歌えたこと
単語しか言えず会話は出来ないのに。。。
麻痺を治すことは出来ませんが残された
能力を伸ばしたり引き出すことで自立に
繋げていくのがリハビリであり実は母の
場合も家に帰ってきてからが本番でした
リハビリで大切なのは何m歩けたかでなく
きちんと目的を持ち取り組んでいくこと。
厳しい娘だったかもしれませんが時間が
かかっても失敗しても母が出来る家事は
ほとんどやってもらうようにしました。
"その人の出来ることを増やしていく"
このことは30年前も今も同じであり
更にリハビリのニーズは病院だけでなく
母のような麻痺、がん、難病患者など
在宅にも今はどんどん広がってますので
みなさんが目指しているリハビリ職の
可能性は無限だと私からお伝えしました
回復期だけでなく終末期にも役割があり
末期がんの母を在宅で看取った時には
当時、柔道整復師を目指し勉強していた
義理の弟が浮腫でパンパンになった母の
足を丁寧にマッサージしてくれました。
リハビリ職は生き辛さを感じさせている
環境を整えるクリエイティブな仕事であり
想像力と共感力を発揮し暮らしを支える
スペシャリストになってとお願いしました
また琉球リハビリテーション学院には
呼んでいただけるとのことで大好きな
沖縄とご縁が出来てとても嬉しいです
コロナ禍でなければ琉リハの学生さん達と
交流したかったのですが次回の楽しみに