言葉を尽くす | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

言葉を尽くす

Bunkamuraシアターコクーンにて

舞台「十二人の怒れる男」を観劇にひひ



密室劇の金字塔と評される作品ですが

日本で「裁判員制度」がスタートした



2009年に芸術監督の蜷川幸雄さんの演出で

シアターコクーンで上演されていますひらめき電球



360度を客席に囲まれたステージに

12人の陪審員が入ってくる冒頭から

休憩なしノンストップの怒涛の2時間。



ほぼ12人は出ずっぱりで場面転換はなく

役者の仕草から伝わるのは夏の蒸し暑さ。



閉ざされた部屋の中で繰り広げられる

男達の言葉と感情の激しいぶつかり合いは



議論からも観客からも逃げられない中で

集団心理の怖さや人間の心の脆さを晒し



アメリカでの人種差別や偏見の根深さ

民主主義や正義とは何かを突きつけます。



父親殺しの罪で裁判にかけられた少年。



ナイフなどの証拠や近隣住民の証言は

圧倒的に少年に不利なものばかりで



無作為に選ばれた12人の陪審員たちが

有罪か無罪かを評決しなければならず

しかも評決の条件は"全員一致"。。。



陪審員には名前はなく1番から12番まで

そのうちの11人が有罪に手を挙げますが



"わずか5分で少年の命を奪う評決を

していいのだろうか"と疑問を投げかけ



もっと話し合いたいと無罪の立場を

表明するのは正義の象徴か白いスーツに

身を包んだ堤真一さん演じる陪審員8番。



耳を塞ぎたくなるような人種差別攻撃を

耳障りなキンキンした声で繰り返し

居合わせる人の感情を逆撫でする男



息子との関係が悪く個人的な感情から

少年に息子を重ね有罪と決めつける男



貧しい少年の人生なんて自分には

全然関係ないと無責任に結論を出す男

常に冷静で論理的で良識ある風の男



スラム出身の男やユダヤ移民の男など

それぞれの出自も歩んで来た人生も

価値観も違うまさにアメリカ社会の縮図。



法廷で示された証拠ひとつひとつに対し

本当に疑いを挟む余地が無いのかどうか

有罪を訴える11人に問いかける堤さん。



また1人また1人と確証と心が揺らぎ

評決が覆っていく様は痛快ではありますが

それでも苦い後味が残るのは何故か。。。



貧困層のマイノリティであるだけで

「彼が有罪である」という偏見が

まかり通ってしまって良いわけがない。



がしかし8番が疑義を申し立てなければ

少年はどうなっていたのだろうか。。。



「個人的な偏見を排除するのはいつも 

難しい。しかも偏見は真実を曇らせる」



"数の力"で真実に蓋をするだけでなく

真実をねじ曲げおかしいと声を上げる



少数の人を排除していく日本の政治は

果たして民主主義と言えるのだろうか。



多数決で決めるのが民主主義ではなく

おかしいことはおかしいと堂々と言えて



常に当たり前のことが当たり前かどうか 

少数の意見に耳を傾けてみんなで考えて

言葉を尽くして諦めすに議論すること。



そのプロセスこそが民主主義。。。



嫌われ役の陪審員を演じた山崎一さんと

吉見一豊さんの演技はお見事でしたひらめき電球



最初に意見を覆すある意味で勇気ある

行動を取った最年長の陪審員を演じた

青山達三さんも味があって良かった。



怒涛の会話劇を魅せてくれた堤真一さん

ベンガルさん、石丸幹二さん、溝端淳平さん



など個性溢れる十二人の怒れる男達に

コロナ対策で半分の客席から万雷の拍手アップ



少しずつ息を吹き替えしている舞台

出来る限り足を運んで応援したいですニコニコ