生きる権利 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

生きる権利

あさ6時30分から8時50分まで生放送

ラジオ日本「スマートNEWS!」


番組では度々難病ALSの皆さんとの
エピソードをお話してきましたが
やはり今日はこちらの事件の記事を


"こんなしんどい思いをしてまで。。。"


亡くなったALSの女性はブログに
こう苦しい胸中を綴っていました。


難病と闘っていた彼女の気持ちを
簡単に分かるとは私には言えません。


何故なら私は当事者ではないから。


ただこんな状態で生きていて意味が
あるのかと思っても仕方がない身体で


最期まで命を輝かせた母を見守った
家族の当事者の1人として20年以上


障害、難病、がん、認知症など様々な
生き辛さを抱える人の声に耳を傾け
"生きるとは"をずっと考えてきました。


この写真は母が訪問入浴のサービスを
自宅で受けている時のワンシーンです。


あまりにも気持ち良さそうにしていて
思わずカメラのシャッターを切った私。


母はこの数週間後に亡くなりました。


重度の障害にさらに末期がんを患い
死を前にしながら笑顔でいられた母。


そんな母から学んだことは沢山あり
障害があっても不治の病であっても
無意味な命はひとつも無いことも。


"患者さんが安楽死を望んだとしたら
それは私達のケアが足りてないから"


長年、在宅でのホスピス緩和ケアに
取り組んでいる山崎章郎医師の言葉。


生きている意味があるのかと問う
患者に医師が手渡すべきは薬ではなく
希望でなければならないと思います。


逮捕された医師は安楽死を肯定する
投稿をブログにしていたそうですが


"楽にしてあげる"ことを短絡的に"死"と
結びつけてしまう発想しか出来ずに


もし命を奪う権利を与えられていると
勘違いしていたならば医師の資格はない。


このブログでも何度も安楽死について
綴ってきましたのでお時間がある時に
読んでいただけたらと思いますが


安楽死は究極の医療依存であることも

みなさんには知って欲しいと思います。



安楽死を英語に訳すとMedical aid Dying

Doctore assisted Deathという表現に。



また治らない病気の患者さんに対して

医師に出来ることはごく僅かなことも。



ですがこれは医療の限界であって

患者さんが生きることを諦めることと

決してイコールではありません。



障害や病気により元気な頃の姿とは

変わってしまうことを受け入れるのは

簡単なことではないと知っています。



それは家族も同じだからです。。。



ですがありのままを受け入れて

安楽死をしなくともきちんとした

ケアを受けながら最期を迎えた人や



障害や難病と共に生きる新しい人生を

スタートさせた人はたくさんいます。



ALSで国会議員の後靖彦さんは

自分も死を思ったことはあったと



正直に振り返りますが患者同士が

支え合うピアサポートなどを通じて



自分の経験が役に立つことを知り

人工呼吸器装着を選択しなければ

今の私はいなかったと話しています。



そして死ぬ権利より生きる権利を

守る社会にしていくことが大切とも。



また社会保障だけでは癒えない心の

痛みはどのようなアプローチがあれば



救えたのか考えたいと話すのは家族の

立場で長年活動する川口有美子さん。



ひとりひとり違う"生き辛さ"を周囲の

人が理解し支援するには当事者の声が



必要ですが今回の事件の残念なのは

亡くなった彼女の想いが聴けないこと。



医療とケアは間違いなく"深化"していて

安楽死ではない選択肢はあったはず。



若くしてALSと診断されながらも

人口呼吸器を選択肢し寿命を全うした

ホーキング博士の言葉を最後に。。。



"命あるところに希望がある"



魂の孤独を救うのはやはり"希望"。。。