語れる時代 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

語れる時代

毎週日曜あさ6時25分からOAの
ニッポン放送「ひだまりハウス」


ずっとお会いしたいと思っていた
元TBSアナウンサー渡辺真理さんに
インタビューすることが出来ましたひらめき電球


フリーになった後の久米宏さんとの
ニュースステーションはもちろん
学生時代からTVで観ていた大先輩ニコニコ


TBSを退職した直後に脳内出血で
お父様が倒れお母様と看病をしながら
生番組を続けていたという渡辺さん。


ご主人のそばに居たいと病院に
泊まり込んでいた母親と自分の分の
お弁当を買って行き病院で過ごし


実家に立ち寄り洗濯物を済ませてから
自分で車を運転して局へ向かう日々。


"会社員じゃなかったから出来た''
当時のことをこう振り返る渡辺さん。


そもそもアナウンサーの仕事が
担当番組により出社時間が変わる
いわゆる"フレックス"な仕事です。


もちろん自分の時間は削られますが
サラリーマンよりも時間の融通が
効くというのは非常に助かりました。


私自身も同じ体験をしてきましたが
両立の鍵は柔軟に働けることだと
渡辺さんのお話を聴いて感じましたひらめき電球


リハビリを経て自宅に戻りますが
実は病院は退院に反対したそうです。


責任は自分が持つので自宅に連れて
帰りますとお母様が決断したそう。


祖父の代から住んでいる住み慣れた
我が家で一緒に居たいというお母様の
強い気持ちが父親の帰宅を叶えます。


ちょうど介護保険が始まった時で
ケアマネージャーさんと相談しながら


お母様とヘルパーさんと協力して
自分達のペースを作っていきます。


言葉が不自由なお父様とは筆談で
会話をしていたそうですが途中で
鉛筆を投げ出してしまうことも。。。


娘は厳しいのはどの家でも一緒あせる
頑張らない父と言っていましたが
父のペースでと見守った渡辺さん。


自宅に戻ってから14年目の2014年
お父様は亡くなりますがちょうど
結婚記念日の翌日だったそうです。


そしてお母様も骨粗鬆症が進んで
転倒をきっかけに要介護の状態に。


気丈に振る舞っていたお母様ですが
ご主人を失った精神的な苦痛は
大きかったと渡辺さんは話します。


寝たきりではありますがお母様は
ひとつ屋根の下で暮らしている


家族同然の存在のヘルパーさんの
体調をお母様が逆に気遣ったりする


姿からは若い世代の役に立ちたい
という想いが伝わってくるとのことクローバー


さらにご両親の介護の話だけでなく
スピード婚でも話題になりましたが


中学から先輩という元フジテレビの
八木亜希子さんが恋のキューピットの
ご主人との馴れ初めも伺いましたし


また"人としてすごく好き"という
義理のご両親とのエピソードなど


一回のオンエアでは足りないぐらい
色々お話を伺うことが出来ましたひらめき電球


"町ちゃんの方が"と何度も渡辺さんは
気に掛けてくれて包み込むような
優しさと謙虚さにジンときましたクローバー


介護は辛い悲惨というイメージで
括られるのは嫌だという渡辺さん。


お互いにまだ語れる土壌のなかった
1990年代に介護を経験しましたが


時を経てこうして語れる時代になり
ご一緒できて本当に嬉しかったですニコニコ


ニッポン放送「ひだまりハウス」
渡辺真理さんのインタビューは


今月23日にオンエアしますので
お聴きいただければと思います音譜