よかひと。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

よかひと。。。

熊本の田舎で1人で暮らしていた
大正、昭和、平成、令和と生きた
祖母が97歳で亡くなりました。


"仕方がないもん"が口癖だった祖母。


祖父が突然の交通事故でこの世を
去ったのは弟が生まれてすぐのこと。


それから40年以上おばあちゃんは
仕事も70過ぎまで続けながら熊本で
1人で自立して暮らしていました。


私の母(娘)が30年前に倒れた時は
熊本から駆け付けてくれましたが


"自分のことは自分でするけん"
広美をよろしくと生死の境を


彷徨っている娘を私達に託して
仕事があると帰って行ったのは
実はとても印象に残っています。


もう2度と逢えないかもしれない
別れを覚悟できた祖母は強い人だと
高校生の私には思えたからです。


車椅子になった母を一度は故郷に
連れて行きたいと思っていましたが


残念ながらその願いは叶わずに
母が先に亡くなってしまいました。


会いに行くことは出来ない代わりに
色々な所に出掛けた写真は母の拙い
手紙を添えて祖母に送っていました。


失語症の後遺症があった母は私の
お手本を見ていつも書いてましたあせる


実家の祖母の枕元には母の笑顔の
写真がたくさん飾られていました。


"あんた達は親不孝をもうせんでよか"


娘に先立たれるという逆縁を
こんな風に表現してくれた祖母。


母には姉が2人いたそうですが
満洲から命辛々引き揚げて来た後
上の姉は亡くなってしまったそう。


母は終戦後の日本生まれですが
もっと戦争の話を聴いておけば
良かったと心から後悔しています。


ただこれまで祖父の話をしたり
寂しいと言ったことのない祖母に
最後に逢った時に口にしたのは


"何であんなよかひとが。。。"


しかも昨日亡くなったと話していて
話しが出来なくなりさみしかぁと。


認知症ではありませんでしたが
祖母はこの時にすでに彼岸を近くに
感じていたのかもしれません。


随分前だったとは言えず葬式に
行けなくてごめんねと言う私に


"よかよか。本当によかひとで
皆が哀しんでくれたばってん"と。


でも40年前に亡くなった祖父と
昨日まで一緒に居られたと祖母が
思えていたら悪くないと思いました。


長く離れ離れだった祖父のそばに
そして娘の待つ彼岸に旅立った祖母。


独身でいた孫に亞聖は仕事があるけん
それでよかよと言ってくれた祖母。


自立して生きる強さとしなやかさを
祖母は私に教えてくれた気がします。


私がテレビに出ているのも喜んで
くれていたのでおばあちゃん孝行が
少しは出来ていたかなと思います。


晩年は自宅のすぐそばのホームに
入居し母の幼馴染みなど近所の方にも
お世話になりただただ感謝です。


お母さんと沢山話しをして下さい。
亞聖は相変わらず働いとるよと。。。


おばあちゃん本当にお疲れ様でした。
そして"よかひと"のそばで安らかにクローバー