人を繋ぐ。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

人を繋ぐ。。。

社会福祉法人全国社会福祉協議会が
出版している月刊誌"ふれあいケア"


9月号では"伝える"仕事への想いに

ついて書かせていただきましたクローバー



お時間のある時に読んでもらえたらにひひ



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伝える仕事を通じて人を繋ぐ“架け橋”に・・・」


 

 人生は予期せぬことの連続です。18歳で直面した介護も40歳を目前にして日本テレビを退社したことも・・・。介護家族の当事者として10年、伝え手として20年以上医療や介護の現場の取材や啓発活動に携わってきました。


「出来ないことではなく出来ることを数える」という母の介護を通じて心掛けてきたことは、私自身が人生を前向きに歩むのにも役に立ちました。


子供の頃から憧れていたアナウンサーになれましたが、母が亡くなってから一年後に報道局に異動することになり実は私がアナウンサーだったのはわずか6年。


まさに青天の霹靂で母も天職も失い人生の“どん底”でした。自宅マンションのローンを私が払っていたために収入が不安定なフリーの道を自分の夢のためだけに選択することはできませんでした。


「医療や介護を極めたいのであれば100人の専門家に会ってこい」失意の中にいた私の目を覚ましてくれたのは先輩のこの言葉でした。せっかく記者になったのだから私にしか伝えられないことを取材していこうと発想の転換をすることができました


2000年のことで“認知症がんと共に生きる”“心のバリアフリー”“ひきこもりの問題”“医療事故”“代理出産などの不妊治療”など様々なテーマを追求していきました。


取材を通じて出逢ったそれぞれの分野で先見の明を持ち活動している人達との交流は今も続いていて私の視野を広げ人生をより豊かにしてくれました。


そしてフリーになってから8肩書が無くなったからこそ「町亞聖」という1人の人間として医療介護などの専門職や患者家族と本音で話せる関係を築けていると思います。


よく「町さんのメインの仕事は?」と聞かれることがありますが、私自身は様々な立場にいる人達を繋ぐ“架け橋”の役割を果たしたいと考えています。


介護の資格を取ろうかと思ったこともありましたが“住み慣れた地域で当たり前の暮らしを送れる社会”は専門職だけの力で実現できるものではなく、職種に関係なく同じ志を持つ仲間が繋がり行動するために“伝える”ことを通じて役に立ちたいです。


ご主人を若くしてがんで亡くした女性から「なぜ彼だったのでしょうか」という質問を受けたことがありました。この“なぜ”という疑問の答えは自分自身で探していくしかないと私は思っています。


18歳で母が倒れた時から私には人生の選択肢がありませんでした。ただ母の介護を経験したからこそ「今」の私がいることは間違いありません。


与えられた運命を受け入れること、そして自分に出来ることを探しながら私も“なぜ”の答えを探す旅を続けています。