喪失感。。。
社会福祉法人全国社会福祉協議会が
出版している月刊誌"ふれあいケア"
8月号のコラムでは最期まで私達の
反面教師だった父の事を書きました![メモ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/131.gif)
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「最期まで反面教師だった父」
母に新たな病が見つかったのは車いすの生活になってから8年半が経とうとしていた時でした。病名は「子宮頸がん」もう手術のできない状況でした。
母と過ごす日々は気づきの連続で、この時間がいつまでも続くものと疑いもしなかった私に「命には限りがある」ということを教えてくれました。
きょうはその母の後を追うように56歳でこの世を去った父の話をしたいと思います。
九州男児だった父は酒癖が悪く酔っ払うと卓袱台をひっくり返すこともしばしば。母が倒れてからも簡単に変わらず、父は私達きょうだいの“反面教師”となり「父みたいになっては駄目」を合言葉に一致団結できたのは幸いでした。
末期がんの母を在宅で看護していたある日のこと。食卓が暗くならないように明るく振舞っていたところ、酒に呑まれた父が突然「なんでお前らは笑ってるんだ。お母さんはもうすぐ死んじゃうんだぞ!」と怒り始めました。
実は母には病名を告げていなかったのですが、一番落ち着いていたのは母で“困ったお父さんね”微笑む表情はそう語っていました。
父に仕事を辞めてもらい母の看病に専念してもらいましたが「3人ともちょっと聞いてくれ」と私弟妹を呼び「母さんのそばにいられたのはみんなのおかげです。ありがとう」と頭を下げた不器用な父の姿は今も忘れられません。
母亡き後、父を襲った底なしの喪失感。「ウェルニッケ・コルサコフ症候群」というアルコール依存と栄養失調が重なり脳が委縮する病気と診断され、せん妄、錯乱、作話などを繰り返し一時は精神科病院に入院もしました。
ベッドサイドでの会話で、とても申し訳なさそうに「お姉ちゃんすまん」と謝る父。理由を聞くと「お姉ちゃんの名前で借金をしてしまった」とのこと!?両足も麻痺し外出はできない状況で「嘘でしょ」と否定するのは簡単でしたが「もう二度としないでね」と諭しました。
恐らく私に経済的な負担をかけたことを申し訳ないという心の奥底にある想いがこの作話に繋がったのでしょう。人生の全てを母に捧げてしまった父。妻が障害者になった時、父もまだ41歳。逃げ出さずによく頑張りました。
ただ母も父には自分の分も生きて欲しいと思っていたはず。誰もが介護に直面する可能性があり、必ず介護にも終わりが来ます。自分の人生も大切にしながら介護をして欲しいと強く願っています。最期まで反面教師だった父のようにならないために。