母への恩返し。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

母への恩返し。。。

社会福祉法人全国社会福祉協議会が
出版している月刊誌"ふれあいケア"
6月号に寄せた私のエッセイです🍀


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「ゴールではなくスタート
~アナウンサーという天職を得て~」
 

前回は私が現在携わっている"ゆめ旅KAIGO!2020”というボランティア活動をご紹介しましたが


一緒に活動している10代20代の学生さんを見ていると母の介護が始まったばかりの
自分のことを思い出します。

伝える仕事に就けなければ介護の仕事をしようと考えていたのでもしかしたら彼女達の先輩になっていたかもしれません。

実は私は小学生の頃からアナウンサーに憧れていました。ただし大学時代は自分に費やす時間はほとんどなく特別な訓練は何もしませんでした。

唯一、私が胸を張って言えるのは、高校3年で母の介護に直面するという逆境から逃げ出さずに頑張っていたこと。

そして障害と共に生きるという大きなテーマを追求するなど"伝えたい”ことが沢山あるということ。

アナウンサーのカメラテストの時のエピソード。

自分の順番を待っている間に数枚の写真パネルを渡されて、その中から3枚を選び3分間フリートークをするという非常に難しいものでした。

なんとそのパネルの中に車いすに座る高齢者の写真があったのです。私はその写真を見た瞬間に思わず涙ぐんでしまいました。

この写真を使えば自分の伝えたいことを表現できる!神様は私の努力を見ていてくれたと。
 
今も何ができればアナウンサーになれるのか私にも明確な答えは分かっていません。ですが後輩にいつも言っているのは

「アナウンサーになるのがゴールではなくスタートであって、貴方が何を伝えたいのかが大事」ということ。

「障害があっても、高齢者でも、認知症でも、不治の病でも、どんな状況の人でも住み慣れた地域で当たり前の暮らしを送れる社会を作りたい」

母が与えてくれたこのテーマを胸に医療や介護の現場を取材し続け当事者の声に耳を傾けてきました。
 
もし母が生きていたら病で倒れ車椅子の生活になって来年はちょうど30年となる節目の年。

生涯現役の「伝え手」であるために日本テレビを辞めるという大きな決断もしましたが、そんな中で“ゆめ旅”の活動に出逢ったのは運命としか言いようがありません。

車椅子の母と過ごした10年の歩みは"ゆめ旅"に繋がっていて、気がつけば世代や職種を超え沢山の仲間に囲まれている"今"に心から感謝しています。

ひとつ残念なのは母が居ないことですが。。。でもきっと母の心はそばにあり私のことを見守ってくれているはず。

誰かの夢を叶える応援をすることがかけがえのない天職を与えてくれた母への恩返しだと思っています🍀