安楽死 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

安楽死

スペインやフランスを拠点に活動する
ジャーナリスト宮下洋一さんのお話を
きょうは都内で聴いてきましたひらめき電球


宮下さんが去年12月に出版した
著書「安楽死を遂げるまで」(小学館)


スイス、オランダ、ベルギー
アメリカ、スペイン、日本の
”安楽死”事情を2年かけて取材メモ


安楽死が合法と言われるオランダ。


実際は薬を使う積極的安楽死は
医療として合法というわけではなく


6つの要件を満たした場合に医師は
送検を免れ犯罪にならないという。


殺人ではない証拠として薬を
処方する直前の医師との会話を


VTRに撮る作業が必ずあり患者は
”これから死にます”と明言する。


手首に取り付けられた点滴の
ストッパーを外してわずか20秒。


それまで普通に会話をしていた
80代の女性が人生の幕を閉じた
その瞬間に立ち会った宮下さん。


”まだ何か出来たのではないか”
心に芽生えたのは罪悪感だった。


軽度の認知症だが明確な意思が
出来たある男性は妻や息子達に
お別れをし自ら薬を飲んで死んだ。


人間には個人の生き方があり
死ぬ権利があると主張した彼の
生き方を家族は尊重したという。


また末期がんだけでなく精神疾患の
安楽死が認められているベルギー。


ただし自殺未遂を繰り返している
女性はいつでも安楽死が出来るという
選択肢があることが抑止力となり


もう少し生きてみてもいいと考え
今も踏み止まっていると宮下さん。


アメリカで取材したのは50代に
末期の肛門がんと診断された女性。


1度は安楽死を希望しましたが別の
放射線医のセカンドオピニオンで


まだ治療法があることが分かり
安楽死を選択せず76歳で今も健在。


このように出会った医師により
道が分かれてしまうこともある。


様々なケースが紹介されましたが
共通しているのは”本人の意思”が
明確に表示されていることでした。


欧米では個人主義が確立していて
個人の選択を周囲が尊重しますが


家族や地域など共同体の繋がりが
強く人目を気にして生きる日本では


”1人で生きているわけではない”
という想いを自然に持っているので


安楽死を望むのは個人の意思ではなく
周囲に迷惑をかけたくないからであり


安楽死の条件には当てはまらないと
宮下さんは指摘していました。


薬を使うのが”積極的安楽死”
延命をしない”消極的安楽死”


薬を処方するのは医師ですが
患者自ら服用する”自殺幇助”


このままだと日本では安楽死は
美しい死に方だと錯覚したまま 
法整備が進んでしまう懸念があり


”安楽死=尊厳死”ではないことを
きちんと整理すべきだと宮下さん。


海外でも安楽死が認められていても
緩和ケアが充実している地域では
安楽死は選択されていないそうです。


かかりつけ医制度が普及している
オランダでは患者の病歴だけでなく


性格や生活などを把握したドクターと
本人と何度も話し合いがあった上で


安楽死を学んだ別の専門の医師による
客観的な評価が必要となるそうです。


また安楽死を初めて実施する医師が
心理的負担から注射を打てなかった
オランダの事例も印象的でした。


医師の助けが無くては実行できない
積極的安楽死は究極の医療依存です。


そのことをどれだけの日本人が
きちんと理解しているでしょうか。


安楽死が認められている国でも
選択の陰には”孤独”があるそう。


身体の痛みではなく心を蝕む孤独は
本当に解決し難い苦痛なのか。。。


”生きている意味や価値があるのか”


そう思っても仕方がない状況で
ありながらも前向きに生きる人達を
私はこれまで取材してきました。


末期がんでありながら闘った人
難病でありながら世界を飛び回る人


認知症や障害があっても地域で
普通に暮らせることを証明する人


また重度障害者で末期がんの母を
看取る経験をする中で生きる意味を
長く深く考え答えを探してきました。


懸命に生きた母が教えてくれたのは
どんな状況であっても”幸せ”を感じ
生かされている事に”感謝”できる事。


日本ではまだ”考える”プロセスが
十分ではないと私は感じています。


答えはひとつではないと宮下さんクローバー


そして答えを出すのは1人1人。。。


「人間にとって”幸せ”とは何か」


幸せの追究が全ての取材の源と
話す宮下さんに深く共感しましたひらめき電球