ネバーギブアップ | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

ネバーギブアップ

介護からエンゼルケアまで
様々なサービスを提供している
ケアサービスの福原敏雄社長に
きのうはお話を伺ってきましたニコニコ

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まだ”介護”ではなく”福祉”と
言われていた時代から約50年も
介護に携わっている福原社長。


お腹の中にいる時に戦争で
父親を亡くした福原社長は
中学を出たら働くということ


いつか自分で身を立てようと
固く心に決めていたそうですひらめき電球


介護の歴史を作ってきたと
言ってもいい福原社長の最初の
仕事は布団乾燥から始まりました。


1台のトラックを自ら運転し
役所からの依頼で自宅で
寝たきりの高齢者などの布団の
消毒をするという仕事でした。


1970年から80年代のこと
お風呂に入れてあげたくても
家族の力だけではできず不衛生な
状態で過ごしている高齢者。。。


人としての尊厳が保たれた
状況では決してなかったそう。


せっかく布団乾燥をしても
身体が綺麗でなければと
行政から依頼されて訪問入浴を
始めることになった福原さん。


しかし利用する人はわずか。。。


運転手を自ら務めましたが
看護婦にヘルパーと人材は必要で
どん底を味わったと福原社長。


試行錯誤しながら訪問入浴を
提供する中で亡くなる直前に  


家族から最期にもう一度お風呂に
入れてあげたいと頼まれたことが
”エンゼルケア”の始まりでした。


始めは”湯灌”と言っていましたが
一般の人には分かってもらえず


あるクリスチャン系の病院で
エンゼルケアと呼んでいるのを知り
ネーミングを変えたそうです。


ただ死体を洗って金儲けしていると
周囲からは陰口を叩かれたことも。


身体を清め亡くなった方の尊厳を守る
エンゼルケアは必ず必要とされる
サービスになると確信していました。


”人から頼まれたら断れない”
ついやりますと言ってしまうそうショック!


稼いだお金を全て事業に投資し
貯金を持っていなかったという
福原社長にまた新しい事業の話が。


それは民間初の社会福祉法人
作らないかという話でした。


しかも何十億ものお金を
必要とする事業だったそうです。


介護保険が始まる前でしたが
国も来たる高齢社会に向けて
福祉に力を入れようとしており


時代の風と人との出逢いが
福原社長を後押ししていきました。


ネバーギブアップの精神で
どんなに苦しくても継続すれば
必ず運は付いてくると福原社長。


”留まることを知らず前を向く”


50歳ぐらいまで福原社長は
事業が軌道に乗っていても
不安で仕方がなかったそうです。


常にこのままでいいのかと自問自答し
成長しなければと思っていたから。


”脱サラ”をした同世代の99%が
失敗していったと振り返ります。


自分は勉強は出来なかったし
能力もなかったがそれがかえって
良かったのかもと振り返ります。


経営をする上で大切なことは
能力ではなく”考え方”だと社長。


それを教えてくれたのが
稲盛和夫さんだったそうです。


”良き事をしよう悪しき事をするな”


経営者にとって一番大事なのは
人間性であり道徳心であるとも。


福原社長が考える社会貢献は
”1番身近な人を幸せにすること”


ここまでやってこられたのは
身近な人への感謝の気持ちから。


無我夢中だった若かりし頃は
福原さんのやり方について行けず
離れていった人も沢山いました。


その人達がいたからこそ自分は
エンゼルケアなどを続けられ
今があることを忘れないとのこと。


そして一番の感謝は苦労して
女手一つで育ててくれた母親と
会うことが叶わなかった父親に。


全ては”人との出逢い”があったからクローバー


物静かでありながら真っ直ぐで
揺るぎのない芯がある福原社長星


消えることのない熱意と学び
継続は力なりは趣味にも現れていて


年300日!?ほぼ毎朝ゴルフの
打ちっ放しに通っているそうですアップ


しかも10歳下の師匠に学びながら音譜


人がやらないことに挑戦し
チャンスをものにしてきましたが


裏返せば福原社長に任せれば
必ずやってくれるという
信頼があったからだと思いますクローバー


エンゼルケアなど訪問サービスを
中国でも展開している福原社長


次に”やりますビックリマーク”と言うのは
どんな事業なのでしょうかにひひ