生きよ。生きよ。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

生きよ。生きよ。

少し長いのでお時間のある時にニコニコ



全身が徐々に麻痺していき
数年のうちには呼吸が止まる病気
ALS(筋委縮性側索硬化症)。


私がALSの患者さんや家族に
出逢ったのはもう15年も前のこと。


自分で呼吸ができなくなっても
気管切開して人工呼吸器をつければ
長く生きることができます。


ただ呼吸器にたまる痰を24時間
吸引しなければなりません。


当時、吸引できるのは家族だけで
365日終わりのない介護を
家族に強いることになります。


家族の負担を考えて呼吸器を
選択せずに亡くなる人は7割。。。


15年前ALSの患者会は痰の吸引を
ヘルパーにも認めるよう求めて
厚生労働省に要望を出していました。


呼吸器を着けストレッチャー型の
車椅子に乗り厚労省の記者クラブに
集まった患者さんやその家族。


家族と一緒に参加していた
発症初期でまだ自分で
歩くことのできるある男性は
呼吸器をつける選択は
しないと話していました。


何故なら療養環境が整ってない中で
呼吸器をつけてしまったら
家族に重い負担をかけてしまうから。


しかしつけないということは
イコール「死」を選択することに。


"止むを得ない選択"を口にする
父親を見つめるご家族の表情が
今も忘れられません。


そして命をかけた活動が実を結び
ALSに限ってヘルパーによる
痰の吸引が認められました。


その他の呼吸器を使用している
患者さんにまで吸引を認める
法律ができるまでになんと
10年という長い月日がかかりました。


その活動を取材したことがきっかけで
15年経った今も交流を続けている


NPO法人ALSなどの活動をしていて
ご自身がALSの母親を12年間
看護した経験がある川口有美子さんの
本をきょうはご紹介します。

photo:01


青土社から出版されている
「末期を超えて~ALSとすべての
難病にかかわる人たちへ~」です本


まず最初に登場するのは
介護のノウハウも制度もない
1970年代に呼吸器をつけて
自宅に戻った患者さんの残した手記。


手記は家族とヘルパーが口の形を
読み取りながら書き起こしたもの。


ALS発症から家族と共に生きた
30年あまりの軌跡は後に続く患者が
在宅で療養するための情報が
蓄積された貴重な記録です。


続いては患者さんや支援する医師や
看護師と川口さんとの対談形式で
難病対策のこれまでの歴史から
これからの展望まで綴られていて


ALSだけに限らず他の難病の
人達にとっても必ず希望の
道標になる内容になっています。


"生きることを考えさせる尊い病気"


ALSのことをこう表現するのは
治療研究そして支援をしている
国立病院機構新潟病院の中島孝先生。


“ただいるだけで意味がある”
中島先生はこの本の中で
本当のQOLの意味や
緩和ケアに関して解説しています。


治らない病気と分かった時
ほとんどの人が“生きる価値がない”
“無駄な延命治療はしたくない”と
どうしても考えてしまいます。


緩和ケアは死を受容させるのではなく
不治の病になっても病気と共に
生きていくことを肯定する
過程をサポートすることだと先生。


7割の人が呼吸器をつけない
選択をすると書きましたが
ALSなどの難病と分かっても


もし介護や看護体制が整備され
家族に大きな負担をかけずに
自宅療養できるならばどうしますか?


また先輩の患者さんで海外旅行を
しながら仕事を続けていたり
出産し子育て中の人がいたり
1人暮らしをしている人がいたら


自分も自分らしく生きられる
という希望が持てれば選択は
変わってくるのではないでしょうか。


私の母も重度障害者でした。
バリアフリーという言葉もなく
介護保険もない時代のこと。


インターネットも介護体験を書いた
本もなく試行錯誤の連続でした。


障害を抱えながら生きることは
決して簡単ではないと
身を持って経験しています。


ですが生きることを困難にするのは
病気そのものや後遺症よりも
社会的な環境が整っていないことや
周囲の病気に対する無理解でした。


母が車椅子の生活にならなければ
私も気づかなかったと思います。


やはり母の車椅子を押して過ごした
10年という時間があって良かったと
心から思うと同時に母に感謝です。


自分のためだけでなく
後に続く者のために道を築こうと
最後まで生きる選択をした患者さんの
言葉に耳を傾けて欲しいと思います。


最初に紹介した患者さんの言葉を
長くなりますが引用しますクローバー



ALSに対しての看護は医学書に載せられ
200年もするのに間違いばかり。


これまで書いたことは
難病に対する真実の声なのだ。


いつの日かわが命尽きるとも
必ずや正しい看護を患者が
伝えてくれると信じる。


不幸にして罹患した者よ。
敢えて言う。


生きなさい 


そして周りの者達を正しなさい。
自分は自分の心を持ちなさい。


そして如何に辛くとも
治ることを信じて生きなさい。


生きよ。生きよ。













iPhoneからの投稿