ナラティブとは | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

ナラティブとは

富山県砺波市で在宅医療に取り組む
"ものがたり診療所"の佐藤伸彦先生の
講演をきょうは聞いてきましたひらめき電球

photo:01


診療所の名前である"ものがたり"とは
英語で"ナラティブ"と言います本


患者さん1人1人のものがたりを
大切にする"ナラティブケア"を
佐藤先生は富山で実践しています星


命には"命"と"いのち"があると
沢山の看取りに寄り添う佐藤先生。


生命体としての"命"には
医学的な対応が求められますが


"いのち"はその人の人生であり
ものがたりでそれを支えるための
サポートは何かを考える必要がある。


その両方のバランスを考えながら
必要なことをしっかり見極めて
その人に必要ならばとことんやるひらめき電球


例えば"胃瘻"に関しても
良いか悪いかを議論するのではなく


必要か必要ではないかを家族と話し合い
必要ならば選択肢として排除しないそう。


また食べたいという希望があるのに
誤嚥性肺炎が心配だから
食事は駄目と決めつけるのは
その人の"命"を診ているから。


"いのち"を起点にしたら
どうしたら食べられるかを
あの手この手で工夫します。


最後の最期まで生き抜く
"いのち"を支えるのが在宅なのです。


そういった意味では
高齢者の終末期医療は
"高度専門医療"だと佐藤先生。


終末期になってもなかなか
本音を吐き出さない日本人。。。


夫婦でも親子でも相手を
完全に理解することは難しく


だからこそ相手を理解するために
ものがたりに寄り添い理解する
努力をしていかなければならない。


やり残したことはないか
言い残したことはないか
食べ残したものはないか


必ず本人の希望を
聞き出すようにしているそうひらめき電球


一番、心に残ったのは患者さんを
看取った後に佐藤先生は残された
家族とやりとりはしないということ。


何故なら高齢者ケアにおける
家族の"グリーフケア"は
看取った時に同時に終わるべきだから。


もう一つの理由は。。。


佐藤先生達が登場したナラティブは
その方の死によって終わりを
告げたからだと感じました。


残された家族が新しく紡ぎ出す
ナラティブには佐藤先生達の
出番は必要ないのだと思います。


本人も家族も心残りがないように
最後の最期まで想いをくみながら
力を尽くしていることが分かりますクローバー

photo:02


いつもFacebookで佐藤先生の
活動を拝見してきましたが
直接お話を伺えて良かったですニコニコ


11月に富山に伺う予定です音譜
佐藤先生と先生を支えるスタッフの
皆さんにお会いできるのを
楽しみにしています星



iPhoneからの投稿