
昔よりもお父様のことが好きに…
毎週日曜あさ6時25分からオンエアのニッポン放送「ひだまりハウス〜うつ病と認知症について語ろう〜」
あすのゲストも80年代に〈ロックの女王〉と称されたシンガーソングライターの白井貴子さん。長くリウマチを患い、さらにパーキンソン病を発症したお母様の介護のお話を先週は伺いました。
〈ロックの女王〉の産みの親は実はお父様でした。ああしろこうしろとは言わない人でしたが、頑固で封建的だったお父様に対する反骨精神がロック魂に繋がっていました。
女の子はピアノ、男の子は野球…という考え方だったお父様に半ば強要されるようにピアノを始めたのは7歳の時。ですが白井さんは身体を動かすことの方が好きで
ある日ピアノのレッスンが嫌で逃げ出した白井さんを、庭の生垣を乗り越えて裸足で追いかけてきたというお父様。ダダダと地響きがしたと笑顔で振り返っていました。
10代の頃から意思を曲げることはなく、文句を言うお父様に"殴っても構わない"と言わんばかりに顔を突き出すような女の子で、「何くそ」という想いが〈心の拳〉を鍛え逞しくしてくれそう。
音楽活動で行き詰まっていた時に、苦しそうな顔をしていた白井さんに「おまえは笑顔が1番だ」と声をかけてくれたお父様。照れもあり素直に言えなかったけれど、昔よりもお父様のことが好きになっているとのこと。
2022年3月。桜を見るために南伊豆へ家族旅行に出掛けた白井さん親子。腰が痛くて歩くことも辛くなっていたはずなのに「歩ける歩ける」と奥様の車椅子を嬉しそうに押して桜並木を散歩したそうです。
そして…夕食後にお風呂で倒れそうになったと言っていたお父様が転倒。頭を打ち大出血をして病院へ。搬送の際は意識はありましたが、そのまま息を引き取ってしまいました。
突然のお別れでしたが、ある意味で見事な最期だったと白井さん。そしてお母様は「終わったね」と静かに呟いたそう。全力で介護に向き合うあまり
時に強制的になってしまうこともあったお父様に人生をかけて添い遂げたお母様の重い一言…。ご主人を看取ってから2ヶ月後に、お母様もこの世を去りました。
ご両親を立て続けに亡くしてから4年あまり。「夢のようだった」と振り返える白井さんは「この歳になってパパママと呼ぶなんて」と照れ臭そうに微笑んでいました。
最近のLIVEでの掛け声は「棺桶まで歩いて行こう」とのこと。まさか還暦を過ぎてロックを歌っているとは想像していなかったそうですが、仲間と楽しみながら音楽をやっていると白井さん。
「ティーンエイジャーの頃に戻れる」ファンだけでなく自分もそう感じることがあり、自分のためにファンのために、これからも歌い続けたいと言っていました。
ニッポン放送「ひだまりハウス」今年11月にデビュー45周年を迎える白井貴子さんのインタビューぜひお聴き下さい☞
https://www.1242.com/hidamari/
誰も孤立しなくていい社会に…
キノシネマ新宿などで公開されている医療的ケアが必要な車椅子の壮眞くんが無人島へ旅をする姿を記録した、ドキュメンタリー映画「Return to My Blue」の監督を務めている映像作家の野口雄大さんと
子供や子育て中の人、応援したいと思っている人が顔の見える関係を作り、ゆるく繋がれる「SARA'S GARDEN もりのひろば」を運営している加藤雅江さんと作戦会議。
職種や立場に関係なく子供の未来を真剣に考える大人を増やし、誰も孤立しなくて良い社会にするために何が出来るのか。まだ何の作戦会議かは内緒ですがまたお知らせします
映画「Return to My Blue」の詳細はこちらから☞
https://return-to-my-blue.studio.site
人と人を繋ぐことはできる。。。
エアコンの水漏れ発生から10日あまり…。まさかの扇風機生活
の中で誕生日を迎えるとは思っていませんでしたがなんとかなるものです。ただ寝起きのこむら返りには参りました
の中で誕生日を迎えるとは思っていませんでしたがなんとかなるものです。ただ寝起きのこむら返りには参りました早いもので姪っ子は高校3年、真ん中の甥っ子は中学3年。母がくも膜下出血で倒れ私達きょうだいがヤングケアラーになった歳と同じだと思うと感慨深く、18歳で弟妹の母親代わりとは、自分で言うのも何ですがよくやり抜きました。
親に反抗してばかりだった私とは正反対の姪っ子達は「家が大好き」で、それぞれ好きなことを見つけて日々楽しそうに過ごしています。彼らが自分らしく生きられるように"あーちゃん"はこれからも全力で応援したい。
大切なライフワークであるニッポン放送「ひだまりハウス〜うつ病と認知症について語ろう」はスタートから13年。出来れば20年目を迎えられるよう頑張ります
患者が主役の医療を目指して活動するNPO法人「COML(コムル)」の山口育子さんとご一緒しているラジオNIKKEI「賢い患者になろう!」も3年目に突入。
末期がんの母を在宅で看取った経験や医療現場を30年以上取材して確信しているのは、医療で大切なのは「知ること」と「対話」だということ。医師にお任せではなく自己決定できる人を増やしたいです。
人権教育啓発推進センターが発行する月刊誌「アイユ」では、様々な人権問題に取り組んでいる方々にインタビュー。人権と聴くと自分には関係ないと思う人もいるかもしれませんがそんなことはありません。
人権は全ての人が生まれながらに持っている、ひとりの人間として幸せになる権利のこと。重度の障害を抱え車椅子の生活を送っていた母は、不便はありましたが不幸ではありませんでした。
周囲の思い込みや決め付けが当事者から可能性を奪ってしまうことがあります。生き辛さの原因は本人ではなく環境や社会の側にあります。差別や偏見により辛い想いをしている人がいなくなるように言葉を紡いでいきます。
「ようやく見つけてもらえた」という気持ちでいっぱいのヤングケアラー。学校の先生やソーシャルワーカーさんとも話をする機会が出来ましたので、学校の扉を開いて地域と繋がるきっかけを作っていきたいです。
遠回りしても諦めなければ、必ず夢は叶うということも子供達に伝えていければと思っています。私も未だに苦手ですが、困っている時は周りに助けを求めて良いということ、誰かに弱音も吐いて良いということも…。
伝え手に戻って15年。ヤングケアラー、介護と仕事の両立、看取りなど様々なテーマで講演も続けていますが、全て人との〈縁〉が繋がって実現したものばかり。
命を繋ぐことは出来ませんでしたが…人と人を繋ぐことは出来るかなと思う今日この頃。生かされていることに感謝しながら、50代後半の階段も〈出来ないことではなく出来ること〉を数えながら登っていきます


















