会議の帰りに、路上で転んでいた高齢の男性が、なかなか立ち上がれずに、手足をもごもごして動けなくなっておりました。
スマイルは、あらら大変と思い、
「大丈夫ですか?痛いところはございませんか?」と、声をかけました。
それから、手を貸し、立ち上がるのをお手伝いしました。
鼻と頬骨、おでこに擦過傷がありましたが、恥ずかしそうに、腕を振りほどいて直ぐに歩こうとします。
でも、ほどこうとした腕をもう一度とって、まずは一旦、腰を伸ばして、一息してもらいたくて、
「すみません、私ね、あなたが心配だから、一回、一緒に深呼吸してもらっていいかしら?。」と声をかけ、深呼吸をしていただきました。
「歩けそうですか?」と聞くと、二回うなずいて、歩き始めました。
よかった。その後は、背中をそっと見おくりました。
寒いなかでは、つい手足がこわばってしまいがちですよね。
ご高齢の男性は、膝の関節、足首を上手に使えていないようでした。
私も、いつかは歩くことが不自由になるんだろうな。あと20年ないかも。なんて、夫にその事を話すと、笑えないよなぁ。年をとるってそういうことかもな…なんて言ってました。
お互い、健康には気を付けよう。なんて思いました。
昨日で、今年の仕事を終えました🎉✨
最近、気持ちが落ち込んだ仕事というのは、
排泄物垂れ流しの家に家庭訪問することがあったからです。
父親がアルコール依存性、母親は糖尿病とうつ病。
子どもは発達障害で他動的。
その子どもが、下着姿で大手スーパーに出向き、オモチャ、お菓子を万引きし、警備員に補導されました。(万引きしたいほど緊迫した心身の状態だったのだと思います。)
つい最近、放課後等デイサービスで一緒に製作をしたものですから、子どもがスマイルの名前を覚えていて、スマイルの事業所の名前を言ったのでした。警備員は、スマイルの法人事業所に連絡してくれて、彼女が誰なのかが発覚。おそらく彼女だろうと目星をつけて個別ファイルをもって自転車でかけつけると、顔をみてビンゴ。すでに警察も来ていて、ファイルから両親の名前と住所を伝えました。
家に電話しても出なかったので、警察は家に行く警官も手配。それから学校や児童相談所にも連絡をしたらしく、まもなく、校長先生と担任も駆けつけてくれて、先生が、子どもにとりあえずの服を買ってきてくださいました。
担任とスマイルは、障がいの程度や養育環境などの事情を聞かれたので話しました。
自宅に行った警官から、父親はいたが、酩酊状態。迎えには行けない。それに、排泄物が撒き散らされているらしく、衛生状態がよくないので家にもどれる状態ではない。父親は職務質問にもこたえることができず。母親は不在で、連絡とれず。とのことでした。
結局、子どもをみられる人が居ないとのとで、早いうちから児童相談所が一時保護する場所の手配と電話での緊急会議を始めました。
親が来れないので、とりあえず、関係者で子ども連れてスーパーから自宅へ移動し、意志疎通のできる母親が来るのを待つことになりました。
スマイルは担任と子どもと話しをしたり、足じゃんけんをしたりして遊びました。
その後、母親から職場に警察や学校から、なんやらたくさんの着信が来ていて、何があったかしってるか?って、連絡がきました。
職場に残る同僚から母親へ、電話ではなく、直接事情を話さなければならないので、とにかく落ち着いて家に帰ってくるように、スマイルが待ってるから。と伝えてもらいました。
母親はおどおどしていましたけれど、家のカビの臭いや身体を洗っていない人の臭い、カピカピの髪に染みだらけの服、パチンコ屋さんの鉄の臭いと強烈なたばこの臭いがしました。
母親が帰宅しても、子どもは寄りつきません。スマイルと家の前で石ならべをして遊びながら「ママ、買ったの?」と言い、パチンコをする仕草をする彼女が目に入ります。
母親は、警察、児童相談所から事情を伝えられて、言葉を失っていました。
家庭のなかから、母親が衣類等を買い物袋につめてもってきました。そこで、本当に子どもは行ってしまうのかと実感してきたのか、「なんでよ!!私の子どもをどこに連れていくって言うのよ!」みたいなことを言いながら、警察に詰め寄っていましたが、子どもに触れさせてもらえず引き離されていきました。
立ちすくんでいる母親に帰りますので…と、スマイルも先生たちと早々に一緒に帰ってきました。
子どもが保護された以上、この家庭のことは、もう関与しなくてよくなりました。
「誰も信じられない!なによ!」などと大きな声をあげられ、今までの関係性は失くなった…きっと、私たちがひどい人間と思ったに違いありません。
でも、申し訳ありませんが、後は…ご両親が健康で文化的な最低限度の生活を送れるように、大人の障がい福祉に頼むことにしましょう。
この家の状態はものすごくて、リアルには書けません。
次の日、母親からスマイルへ、子どもを返してもらうにはどうしたらいいかと電話が何度かきました。
そして、一昨日は、事務所に両親と来ました。何とか子どもを取り返すために、手伝ってほしいと…
刃物を持っているかもしれない。怖いと思いました。所長と男性の同僚を両親の視界に入るようにして対応させていただきました。
そこでも、両親の思いを受け止め、何もできないスマイルが悪かったと謝りました。お力になれるタイミングは、子どもが地域にもどってきそうになったとき。それまでは、両親の出番で、勇気を出して、変わらなくちゃいけないということ。
最後に繰り返し伝えたのは、あなた方夫婦が健康で文化的な生活をおくること。そして、児童相談所の職員の話をよく聞くこと。親としてやっていけると信じてもらえるように、指導されたことをちゃんと守って生活することだと伝えました。
そして、また○ちゃんが帰ってきたら、全力で支援をするからね。と、ずっと待っていますから。とお伝えました。
その後、数日、私の鼻が、頭が、おかしくなりました。事務所もすごい臭いがしばらく残ってしまいました。
とても厳しい心身の状態でした。それなのに、これまた次から次へとケースの対応をしていきます。小学校入学を控え、放課後児童クラブには行けそうもない、放課後等デイサービスの空きがない、仕事ができないという保護者の焦りに、市外の放課後等デイサービスを探したり、冬休みを家で過ごせない、母親が疲弊しているケースは、放課後等デイサービスの利用を増やせないか調整したり、家での生活に支援を入れたり…児童支援利用計画書を作って、同意のサインを書いてもらう面談をしたり…
電話相談の最中に、大声で叫びたくなるほどにいっぱいいっぱいになりました。
でも、マイナスの部分の自分が出せなくて、我慢していたら、
そのうち些細なことでものすごく涙が止まらなくなり、
かといって、笑いだしたら笑いが止まらなくなりまして、心と身体のバランスを崩してしまったのでした。
そんな心身の状態で
あるとき「スマイルの担当する医療的ケアの必要なこどものいる家庭の個別避難計画を策定するための会議」に参加してきました。
自治会長、児童民生委員、障がい福祉課、訪問看護師、医療的ケア児等コーディネーターのスマイル、子育て支援課、健康福祉総務課危機管理係…そういったメンバーで、在宅で酸素が必要なきょうだいの医療的ケア児が住む家庭の個別避難計画、実施要項をたてたのです。
あらかじめ家庭訪問をしてから、この会議を行っていますので、マンションの築年数から、耐震性があること、自治会に加入していること、具体的には、どんな支援を受けられるといいのかを聞き取りできていたので、自治会や民生委員がイメージを持って、対応してくださることになりました。
日ごろから顔見知りになってくれる、非常時には届け物をどこの自治区から誰がするのか決められましたし、私たちの顔のみえる関係も作ることができました。
自治会の皆様のあたたかな心と行動力を知って、胸がいっぱいになって、とても嬉しく思いました。
それから、法人の事務の方から「○○様はご存じですか?この度、○○様から、子どもの障がい福祉のために役立ててほしいと、大きな額の寄付をいただきました。今度お会いするときにお礼を。」と言われました。
○○様は、知的障がいのある母親で、子どもは知的障がいのない発達障がいです。
母親は、小さいころから喧嘩の絶えない両親のなかで生まれ、放置され、捨てられ、15歳で一人暮らしを経験します。身体を売る仕事もしたときがあるという苦労人で、後に素敵な男性と出会い、結婚します。
ところが生まれてきた子どもの育て方が分からなくて、リストカットなどの自殺未遂や発達障害のある子育てのしづらさから、スマイルのところに繋がりました。
今年で出会って4年目になります。
今でも週に2回以上は電話が来て、悩みや愚痴、怒りや不安、死にたい、もう子ども育てられない…つらい等々、何でも聞いてき、ほめて、最後は頑張ってきてるもんね。と、笑って電話を切ってきました。人への不信感が強いので、学校や子どもの利用する放課後等デイサービスとの連携もかなり密にとってきました。
そして、いつでも電話をしていいよ。一緒に頑張ろうと言ってきました。
子どもが成長するたびに、お母さんも落ち着いていきます。お母さんに知的障がいがあっても、お母さんに合った子育てを一つ一つ積み上げてきました。お母さんをしたいと思う気持ちの強さが、自分を進化させたのだと思うのです。本当に純粋で素直で、一生懸命なお母さんです。
そんな○○様が、今度は誰かのために、役立ててほしいと、寄付をくださるなんて、思いもよらないことでした。
その気持ちがまた、心身のバランスを崩したスマイルの心に響きわたるのでした。
スマイルは、ちょっと大変だったから
周りのことを気遣う気持ちを忘れました
恥ずかしながら、自分だけが大変と思ってしまい、この気持ちを誰にも分かってもらえないなどと、心を閉じようとしていました
なんと小さな、醜い心でしょう
微笑みを忘れてしまいそうなとき
勇気を失いかけていたときに
身近な方からの
優しい心に触れることができて、
スマイルをまた、
善行への道へ導いてくださいました。
他者との出会いや繋がりがなければ
一気に、心身のバランスを悪くしていたことと思います
師走は、
本当にあっという間に終わろうとしています
また来年も
障がいのある子どもの支援と子育て支援をやろうと思います。
地域の繋がりを少しでも増やして、安心できる、暮らしやすい地域づくりをしたいと思います。小さな勇気をもって、一歩、一歩、すすんでいくうちに、私にも優しさが…勇気を与えてくださる順番がめぐってくるのだなぁ…とつくづく感じるのでした。
年末最後に、長文を読んでくださいましてありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
そして、また来年も
皆様とささやかな繋がりをもって
スマイルがよい子であり続けられますように
勇気にかえさせてください
何よりもここで出会いました皆様が
健やかで素敵な新年を迎えられますよう祈っております…✨