祝、祭典’24:令和6年:勝楽山 成就院薬師堂 | まちゃぼふの小部屋;掌の上で愛でるもの

まちゃぼふの小部屋;掌の上で愛でるもの

身の回りに集まってきた、いろいろなものをご紹介します
***ロシアもの,紙もの,ミニカー,プラモデルetc***
日常の出来事なども織り交ぜながら

9月10日 (火) 16:00  晴れて暑い ι(´Д`υ)アツィー晴れ晴れ晴れ

 

お祭りも終わってしまいました

ただ、10/6にダイドー・ドリンコさんが角館のお祭りの番組を

製作、AKT秋田テレビで放映してくださるそうで楽しみです

米の精米機の所にダイドーさんの日本の祭りカレンダーが

貼ってあるのは知ってましたから、各地の祭りを応援してくれて

るのだなあ、としみじみ思いました

 

お薬師さんの置山 「広目屋」 作

外題『能登復興祈願 能登・末森城の戦い』

人物「前田利家」「佐々成政」「奥村家福(いえとみ)」

お話

 

前田利家は、賤ケ岳の合戦後、旧領の能登に加え、加賀二郡を

与えられ、居城を七尾から金沢に移した。一方、賤ケ岳の合戦に

出陣しなかった佐々成政は天正十二年(1583)四月に秀吉から越中一国を安堵されたが、翌年の徳川家康と秀吉が衝突した

小牧・長久手の戦いでは徳川方につく。

 

成政は、秀吉方となった前田利家方の末森城を8000の兵で包囲

した。わずか1500の兵で末森城を守っていた前田家家臣の

奥村家福は金沢の利家に援軍を要請。秀吉から金沢守備を厳命

されていた利家だが出陣を決断。佐々軍のはげしい攻撃から城を

死守する家福は、援軍が来ることを信じ戦い続けた。落城寸前と

なったその時、利家軍3500が到着。佐々軍を背後から急襲し、

これを撃退した。その後も両軍の侵攻が繰り返されたが、翌年

八月に成政は秀吉に降伏した。

 

天正十三年(1585)前田家は、能登・加賀に加え成政の旧領

越中三郡が与えられ七十万石を領する北陸の盟主となった。

まさに末森城の戦いは、前田家のその後の加賀百万石の基盤と

なった戦いである。

 

-年号、兵の数を漢数字から数字に代えさせていただきました-

 

 

 

 

きょうこそは、さっとが早く寝ます