9月10日 (火) 16:00 晴れて暑い ι(´Д`υ)アツィー
お祭りも終わってしまいました
ただ、10/6にダイドー・ドリンコさんが角館のお祭りの番組を
製作、AKT秋田テレビで放映してくださるそうで楽しみです
米の精米機の所にダイドーさんの日本の祭りカレンダーが
貼ってあるのは知ってましたから、各地の祭りを応援してくれて
るのだなあ、としみじみ思いました
お薬師さんの置山 「広目屋」 作
外題『能登復興祈願 能登・末森城の戦い』
人物「前田利家」「佐々成政」「奥村家福(いえとみ)」
お話
前田利家は、賤ケ岳の合戦後、旧領の能登に加え、加賀二郡を
与えられ、居城を七尾から金沢に移した。一方、賤ケ岳の合戦に
出陣しなかった佐々成政は天正十二年(1583)四月に秀吉から越中一国を安堵されたが、翌年の徳川家康と秀吉が衝突した
小牧・長久手の戦いでは徳川方につく。
成政は、秀吉方となった前田利家方の末森城を8000の兵で包囲
した。わずか1500の兵で末森城を守っていた前田家家臣の
奥村家福は金沢の利家に援軍を要請。秀吉から金沢守備を厳命
されていた利家だが出陣を決断。佐々軍のはげしい攻撃から城を
死守する家福は、援軍が来ることを信じ戦い続けた。落城寸前と
なったその時、利家軍3500が到着。佐々軍を背後から急襲し、
これを撃退した。その後も両軍の侵攻が繰り返されたが、翌年
八月に成政は秀吉に降伏した。
天正十三年(1585)前田家は、能登・加賀に加え成政の旧領
越中三郡が与えられ七十万石を領する北陸の盟主となった。
まさに末森城の戦いは、前田家のその後の加賀百万石の基盤と
なった戦いである。
-年号、兵の数を漢数字から数字に代えさせていただきました-
きょうこそは、さっとが早く寝ます