9月16日(金)16:40
晴れ、朝晩は涼しいけど(ってか寒い位の時も
)
日中は暑~い
「大塚若者」の曳山
人形場面『一言坂(ひとことざか)の戦い』
人物「本多忠勝」&「小杉左近」
元亀3年(1572年)10月に
遠江国(とおとうみのくに:現 静岡の東海道 辺り)の
二俣城(ふたまたじょう)をめぐって、
徳川家康と武田信玄との間で行われた戦で、「三方ヶ原の戦い」
の前哨戦
武田が挙兵すると家康は、本多らに斥候隊を組織させ、
武田軍の動向を探ろうとした。が、武田の先発隊と遭遇、
戦闘になる。
家康は退却を決断。本多忠勝は、家康を逃がすため、
殿(しんがり;「との」じゃないよ:最近、テレ朝の「ことば検定」で、
林先生も出題してました」・・・
<退却する軍隊の最後尾にあって、追撃する敵を防ぐ役>、
殿という字は、尻という字の本字「臀」に通じるから、だって)
※まちゃぼふのためになるブログ・・・ナンチテ
、ともあれ、
殿(しんがり)を務め、一言坂で戦う。
兵力に勝る武田軍にあって、信玄の側近の一人、
小杉左近(こすぎ さこん)は、坂の更に下方に回り、
本多隊を迎え撃つ。
決死の本多は、中央突破を試みる。この時、小杉は、
本多隊を見逃す。
本多隊の働きにより、家康は無事、撤退できた。
(三方ヶ原でまた、負けちゃうけど・・・)
小杉左近の落書き・・・
「家康に過ぎたるものが二つ有り
唐の頭(から の かしら)に本多平八」