▼本日限定!ブログスタンプ
何泳ぎが得意?
弱小水泳部で水泳の選手をしてる時は、平泳ぎ専門でしたな^^
大学に入って水泳指導に携わるようになってから、フリーの形をより固め、背泳ぎとバタフライを独学で形から入り泳げるようになりました^^
一番泳げたのは、水泳指導を辞める27~28歳の頃。
持久力は落ちてきてたけど、平泳ぎもフリーもその頃がベストタイムやったね^^;
◇■■◇■■◇◆◇■■◇■■◇
しろくま・まちゃるが水泳の選手だった70年代末から80年代初頭(小6~中3)においては、強豪校の水泳部や担当顧問が部活に指導熱心な学校を除いて、水泳部所属でもスイミングスクールに通う選手はほとんどおらず、現代の水泳選手と違って4種目泳げる選手はほとんどいなかった。
しろくま・まちゃるの属する弱小水泳部もご多聞に漏れず、選手たちの自主性だけで部活が成り立ってて、中1~中2の時の男性顧問教師は部活の時間帯、プールで練習に励む部員を放置して、女子テニス部でテニスをしてる始末。
(元々テニス部の顧問で、イケメン系やったせいで女子にモテた事もあってか、女子テニス部にばかり寄り付いてて…後年、水泳部の父母会で問題となって解任されたけどね^^;)
しろくま・まちゃるは、小5の時に初めて平泳ぎが泳げるようになり…
小6の記録会で、県上位に入った事もあって、中学で水泳部に入部する。
水泳部では、中1の時から平泳ぎにおいては部内1の速さを誇り…
中3や中2の先輩を差し置いて、鼻高々な状態。
その為、先輩に敬語を一切使っていなかったのは、今から思えば傲慢やった…アカン行為やけどね^^;
そのおかげで先輩たちには「先輩に敬語を使わない生意気なやつ」とずいぶん敵視されて、シーズンオフのトレーニングの時はあれこれ無茶な要求をされ意地悪されたけど、夏の大会では実力でそれら先輩をねじ伏せていたので、何にも気にならんかった。
中2になった頃から、同級生の一部がスイミングに通い始め…
専門種目以外の泳法もマスターしてきたんやけど、しろくま・まちゃるは相変わらず平泳ぎ専門で、たまにフリーやリレーで代打出場する位。
6月から7月には、得意の平泳ぎでもスイミング通いの選手たちに速さでわずかに負ける悔しさを味わったけど、8月から9月にかけて自身の練習量が追い付いてくると、いつも通り引き離したタイムを叩き出してましたな。
中3では、自己平均タイム辺りで泳ぐと「国体強化選手」に選ばれるラインという事で、意外と水泳に打ち込んだんやけど、ただ泳げるだけで競泳選手としての専門知識に欠けていた事が大きくマイナスに響きましたな。
深さ5mの飛込競技用のプールでアップをするんやけど…
しろくま・まちゃると友人はアップなんてせず、5mまで潜って沈んだまま長い時間水上方向を観察するという遊びに夢中。
後で知る事やけど…ただ潜って遊ぶだけでも体力を消耗する事。
そこを当時は全然知らなかったんよね。
今の選手ならそういう教育も当然の様に受けてて、理論的にも技術的にもノウハウがあるけど、当時のしろくま・まちゃるは、ただ速く泳げただけの素人同然の選手。
ほんと知識が無かったんよね。
後年水泳指導者になって、生徒たちにはこういう理論や技術もしっかり教え込みましたな。
秋の大会で、ベストタイム程でなく、いつも出してるタイム辺りを出すだけで「国体強化選手」に選ばれるところ、いつものように5mプールで遊んでから、午後の競技に出場。
過去半年のタイムからセンターコース(一番速いタイムの選手がそのレースの中心に座る)を貰って、100mの平泳ぎに挑む。
ここで普通に自分の平均的な速いタイムを出せるだけでよかったのに…
1番でゴールに戻ってくるどころか、一番ビリで戻ってきて…しかもプールサイド上に自力で上がる体力すらなかったという^^;
しろくま・まちゃるの学校始まって以来の快挙(強化選手の選出)の応援に女子バスケ部の同級生が総出で観戦に来てくれてたのに、そんな応援団の前で大きな赤っ恥をかいてしまいましたな^^;
レース後、応援団の女子にむっちゃ呆れ、怒られたし^^;
もちろん、国体の強化選手にも選ばれず…高校進学も公立共学校から私立男子校になってしもた。
無知が人生の岐路に大きく影響を与えた典型的な一例ですな^^;
まぁしろくま・まちゃるはその後も何度も訪れたこういう人生の岐路で何度もアカン方を選ぶ事になっちゃうんやけどね^^;
まだ当時はそれすら知らず、まだまだ前途洋々を信じてましたな^^;
今となっては、懐かしい若気の至りな思い出やけどね^^;