高校野球の思い出。 | スポーツ大好き!!

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野球が専門ですが、野球以外のスポーツも大好きです(^^)/
また観客や歓声に包まれたスポーツシーンが見れる日が来る事を期待しています。

台風7号は和歌山に上陸したようですが周辺の皆さん大丈夫ですか?

何度も言いますけど、ノロノロ台風ですからサーッと通り過ぎてくれません。

危険な地域に住んでる方は、まず避難です、とにかく避難してください。

 

 

今日は高校野球はありませんけど、これ台風のせいじゃないですよね・・・?

組み合わせ抽選が決まった日に僕が作った勝敗表では今日は休養日です・・・・。

違った・・・??

 

 

ホークスも今日は試合が中止になりました。

ラッキーです 笑  今 試合しても勝てる気がしないんですよね。

リチャードもまた下に落としたし・・・・ショック

 

 

そんな日ですから、僕の高校時代の話を書いてみようと思います。

個人的な話ですし、長くなりますから読まなくても良いですよ ニコ

 

 

暇だったり、高校野球ってどんなだろうね・・・と思った方はどうぞ\(^o^)/

 

 

毎年、春と夏に高校野球を見ていると、自分の高校時代の事を思い出します。

高校球児だった人達はみんなそうだと思いますよ。

それが栄光の記憶だろうと悔しい記憶だろうと同じです。

人間は、辛い悲しい思い出はだんだん薄まっていき楽しかった思い出はその時のまま

記憶に残るように出来ているんです 笑

何故なら そうじゃないと生きて行けないでしょ?? 

 

僕の高校野球で一番ラッキーだった事は、入学時に新監督になられた先生が、僕の1,2年の

担任だった事です。

16歳くらいで高校に入学しますけど、先生27歳で初めての担任でした。

僕が入学して野球部に入って、挫折して苦しんで頑張って開花するまでを全部見てくれてます。

担任じゃなくなった3年の春には、僕もうチームの中心選手になってました 笑

 

 

その 1年2年の苦しい時にいつも側にいてくれたんですよね。 

体に少し障碍がある事も入部する時話しましたけど、そのくらいなんだと言ってくれました。

先生の空き時間に、授業がある僕を呼び出して素振りさせられました 笑

今なら 先生、辞職ですね 笑

将来に不安があった僕に懇々と、生きる事の意味を説いてくれました。

僕は親からもそんな話をされた事が無かったので、教官室の椅子に座ってる先生の前に立って、足元に涙の水たまりが出来るくらい泣きながら話を聞きました。

 

野球では、僕が当時の常識と言われる事とは全然違う練習を始めて 先輩や他のコーチに何か

言われても「自分の思う通りにやれ」と言ってくださいましたよ。

まあ あまり期待されてなかったのかも知れませんけどね 笑

 

 

1年の秋冬、2年の春夏と頑張って ついに秋に努力が一気に開花したんですけど、開化と言うよりは何かが一気に爆発した感じでした 笑

その頃に先生に呼ばれて、「今 どんな強豪チームと当たってもお前だけは勝負できる。

これからはそう言うチームを作っていくぞ、頑張った気持ちを爆発させてくれ。」と言われ

ました爆  笑

具体的には どんな強いチームでも3点以内に抑えてお前が2打点あげろと言われました 笑

あとの1点か2点は全員で獲りに行くからそれで勝てると言う分かり易い作戦 (>_<)

そうすればどんなチームとも勝負できると言われました。

事実2アウトになろうが僕の前に出た走者は2塁に送ってあとはお前が打つだけ・・・と言う

恐怖の場面が最後までずっと続きました 笑

 

相手を3点以内に抑えるのも難しいのに、僕 毎試合2打点がノルマですよ (>_<)

高校野球なら一大会14打点、プロ野球なら一シーズン286打点です 笑笑

打点王間違いなし 笑

 

ただ 全然酷いとは思わなかったです。

毎試合2打点くらいなら可能だと思っていたから、先生に「3打点あげたら4失点しても良いですか? 4打点あげたら5失点しても良いですか?」とか聞いていたら 怖い先生が笑いながら「何打点でも良いから、失点は3点以内に抑えろ」と言われました 笑

 

2年の秋からホントにそんな試合が出来るようになりました。

2年の秋に僕 突然打ち始めて、しかもシングルヒットではなく2塁打や3塁打が多かったですから打点もアップ 笑

ピッチングもだんだん分かって来たんですけど、こちらは肩の痛さが辛かったです。

秋の大会で打ちまくって、3年の春も絶好調。

前年の秋に対戦した強豪チームと対戦した時にはキャッチャーが立ち上がって敬遠されました。

 

ああ 王さんと同じだ・・・と思うと敬遠が嬉しかったです 笑

今は申告敬遠がありますけど、僕の高校時代 勝負するふりして四球で歩かせる事はあっても

キャッチャーが立ち上がっての敬遠なんか高校野球ではほとんど無かったんですよ。

もう貴方とは勝負しません 1塁へどうぞ・・・と言う事ですからね。

それを 強豪校が無名の県立高の4番バッターにするのですから さすがにスタンドがざわつきました 爆  笑 お~、敬遠か~・・・と言う感じ 笑

 

出来る事は全部しよう、この2年3か月の間に猛練習で身に付けた事を全部出し切りたいと思って一生懸命やりました。

今は7試合勝てば甲子園に行けますけど、僕の頃は8試合。

もう4試合目には打てるけど投げられなくて力尽きました。

僕 7点くらい獲られたと思うけど、5打点くらいは打ったと思います。

先生・・・・5打点あげたら6失点までだったですね・・・・すみません 泣

負けた時に もう何も力が残ってなかったです。

矢折れ刀尽きる とはこう言う事なんだなと思いながら、あと4試合戦えるチームや投手って

凄いな・・・・と思っていました。

泣いてるチームメイトもいましたけど、僕 一滴の涙も出ませんでした。

たぶん 体にはもう水分も無かったんだと思います 笑

 

2年生の秋に、「お前が投げてお前が打つ。お前が抑えてお前が打って勝つんだ。」と言われた時にあまりにも重責じゃないのか・・・と思いながらも嬉しかったです。

力が足りなかったのかも知れないけど一生懸命やりました。

その後 数十年経ちますけどあんなに頑張った事はないですよ 笑

 

即ベンチ入り、上手くいけばレギュラーを狙った高校で、ベンチにも入れず1塁側のファール

ボール拾い係をやりながら、「レギュラーじゃない、かならずこのチームの4番打者になる」と決めたあの日の思いは完全に成就しました\(^o^)/

投手までやる事になるのは想定外でしたけど、投げて打って頑張りました。

 

よく「思い続ければ夢はかなう」と言う人がいますが、そうは思いません。

その夢を実現するために脳みそと体と意思を総動員して努力すれば・・・・と言う条件付きなら賛同します 笑

 

今やあの頃の1/100も頑張ってないと思うけど 笑 何しろ分母が大きいから 今でも

人に比べても恥ずかしくないくらいは頑張ってるようです。

青春期の一時期に 常識を外れるくらい何かに向かって頑張ってみる事は、老後に良い影響を

与えてくれるのかも知れませんよ 笑

 

僕のブログは若い人は見てないですけど 笑 たまたま見た若い諸君がいたら、好きな事に

死に物狂いで頑張ってみる事も案外良いのかもしれませんよ \(^o^)/

 

懐かしい良い思い出です・・・・・・。