最近、「史記」を読み始めた。史記の口語訳はいくつか出ているのだが、古本屋でよく見る「平凡社 中国古典文学全集 第四、五巻」。何度も挫折したが、今度は通読できる予感が。
最初に中国ものを読んだのは小学生5年だったか。中国風のペラッとした絵に何となくひかれて、岩波ジュニア文庫の「水滸伝 上下2巻」を読んだ。上巻を読んだ時は、「こんな面白いものがあるのか!」と興奮したのだが、下巻を読んでがっかりしてしまった。
なんで上巻と下巻でこんなに差があるのか、と当時は不思議だったが、30歳代になって「水滸伝―虚構のなかの史実 (中公文庫) [文庫]」を読んで、納得した。
中学生になって、図書館で借りて「通俗三国志」?を読んだ。出版社は覚えていないのだが、一冊ものだったので平凡社の「平凡社 中国古典文学全集」ではなかったと思う。
高校になって吉川英治の「三国志」を読んだ。「通俗三国志」?では司馬炎が三国を統一して終わるのだが、吉川「三国志」では孔明が死んで終わるのはちょっと違和感があった。口語訳の「三国志演義」より随分読みやすいのでその後、3回は読んだと思う。
しかし、小説を読んでいると、「本当?」と思うところが多くなった。大体、吉川「三国志」の劉備は君子すぎる。おかしいだろう。よほど曹操の方が魅力的だ。これも後になって知ったのだが、吉川英治自身が「三国志の前半の主人公は曹操、後半は孔明」と言っているぐらいだから、劉備の陰が薄いと感じるのは正しい読み方だったのだ。
そんなこんなで「三国志演義」ではなく「三国志」正史の原文口語訳が読みたいと思っていたら、守屋洋?だったか「三国志」原文の口語訳抄本が出ていて、それを読んだ。今、アマゾンで検索しても見つからないのだが。
抄本なので、欲求不満のまま何年も経ったところで、「正史 三国志 (ちくま学芸文庫) 井波 律子 (翻訳) 」が出た。これは長年待望していたものだったのだが、全文通読するのはかなり大変だ。紀伝体なので曹操、劉備、関羽、張飛、孔明といった主要登場人物の「伝」だけ読むのならわずかしかなく、あっという間なのだが、全体を読んで正史として三国時代を理解するとなると、相当骨が折れる。北方謙三がNHKカルチャーテレビで小説を書く際、「正史三国志はよく読んだ。」ということだった。やはり、小説ではなく、正史三国志を読まなければ本当の劉備や関羽はわからない。実際、小説では嫌なやつだった劉備は正史ではいいやつだ。「三国志」がNHKでドラマ化されるなら、「劉備は中村雅俊がいいよな!」と思うのだ。
しかし、実際、抄本口語訳「三国志」や「正史 三国志」を読み始めると、注に「史記」を参照しているところが多々ある。「史記」がわかってないと、「正史」は読みにくいことがわかった。なので、「史記」を読もうとしたのだが、「史記」を「本紀」から読み始めるのは「正史 三国志」以上に骨が折れる。なんと言っても冗長的だし、まあ、面白くない。
なので、啓蒙書から読んで、馴染んでいく方針でこれまできた。人物のイメージが予めあれば読みやすいかと思った。「史記」の解説本はたくさんあるし、横山光輝の漫画もある。古来、日本人は「本紀」ではなく、「列伝」をよく読んできたということもわかり、実際読み始めてみたが、やはり続かない。あっさり、漢文読み下し文を「注」と併せて読んだ方が良いかと思ってやってみたが、これは歯が立たない。
平凡社の「史記」が読みにくい原因に、面白くないところに持ってきて、一頁の分量が多すぎるということもあると思う。読んでも読んでもページが進まないので、厭になってくるのだ。
そんなことで、「死ぬまでになんとか読み切らなければ、、、」と思いつつ50歳を超えてしまったところでiPadが発売された。「週刊碁」を読むために購入したiPadだったが、老眼が入り始めた目にiPadはやさしいのだ。「Fujitsu ScanSnap S1500」を購入して、一番にスキャンしたのは平凡社「史記」だった。
スキャンして2年経つがハウツーものばかり読んできたこともあって、やはり、気持ち的に「史記」は読めなかった。ここ半年、会社内の事情でごたごた慌ただしい日々を過ごして、どうもやりきれない気持ちで一杯だったが、数週間前から「史記」を読み始めた。「史記」を読むと何となく気持ちが落ち着くから不思議だ。お経を読んで気持ちが落ち着くという人があるなら、こういうことかと思う。
2週間で「下巻(列伝)」の半分まで読み進めた。ここ20年継続して読めなかった「史記」を読めるようになったのは、気持ち的な部分が大きいのだが、iPadに負うところも多い。平凡社「史記」は一頁三段組で普通の文庫本でいったら、一頁が6頁分に相当するのではないかと思う。だから、読んでもページが進まないので、読み続けられないということもあった。
iPadで読むといっても、実際はiPod Touchでも読む。iBookで読むと、しおりの位置が共有され、家でiPadで読んで、電車の中でiPod Touchで読む、寝っ転がってiPod Touchで読むという、チョコット読みができる。何となくページが進む。iPadで表示するとドデカ文字になるので、読みやすい。iPod Touchだと数行しか表示されないのだが、これも逆にここまで読まなければ、というページ数を全く考えない(ページ数が見えないので)。結果、読み進めるのが容易ってことになる。
まだ、一番面白い「列伝」の半分を読んだに過ぎず、これから、「世家」「本紀」「書」と読み続けられるか自信がないのだが、今回は「列伝」だけは読み切れそうな気がする。
「列伝」が一番読みやすいし面白いのだが、小説によく取り上げられるのは「列伝」ばかりではなく「世家」が題材にされる場合も多い。なので、「世家」は次に読みやすいのではないかと思う。なら「本紀」はというと、これも「項羽本紀」が「史記」で一番の出来であることは誰も認めるところだし、「封神演義」が好きなら「殷本紀」は欠かせないだろう。「書」は少し読んでみたのだが、司馬遷の時代には最新の科学だったのだろうが、現代からみるとやはりばかばかしいと思ってしまう。しかし「易経」読むだけの実力もなく、当時の科学を知るためにはやはり、読まなければならないと思う。
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iPadという道具が便利で読みやすい環境が得られたということが、「史記」を何とか読めるという大きな要因だったのは否めないのだが、やはり年をとって、その分、気分が落ち着いたというのが本当のところだろう。若い時分にiPadがあったとしてもやはり、冗長的な「史記」を読み続けるのは無理だったのではないかと思う。面白いとされている「史記 列伝」でこのザマだ。
大学で単位取得のために「史記」の原文を読まされる学生も多いのだろうが、学生さんの苦労は大変なものだと思う。漢文の教材として「史記」を読むのなら、続けて読めるのだろうか。
最初に中国ものを読んだのは小学生5年だったか。中国風のペラッとした絵に何となくひかれて、岩波ジュニア文庫の「水滸伝 上下2巻」を読んだ。上巻を読んだ時は、「こんな面白いものがあるのか!」と興奮したのだが、下巻を読んでがっかりしてしまった。
なんで上巻と下巻でこんなに差があるのか、と当時は不思議だったが、30歳代になって「水滸伝―虚構のなかの史実 (中公文庫) [文庫]」を読んで、納得した。
中学生になって、図書館で借りて「通俗三国志」?を読んだ。出版社は覚えていないのだが、一冊ものだったので平凡社の「平凡社 中国古典文学全集」ではなかったと思う。
高校になって吉川英治の「三国志」を読んだ。「通俗三国志」?では司馬炎が三国を統一して終わるのだが、吉川「三国志」では孔明が死んで終わるのはちょっと違和感があった。口語訳の「三国志演義」より随分読みやすいのでその後、3回は読んだと思う。
しかし、小説を読んでいると、「本当?」と思うところが多くなった。大体、吉川「三国志」の劉備は君子すぎる。おかしいだろう。よほど曹操の方が魅力的だ。これも後になって知ったのだが、吉川英治自身が「三国志の前半の主人公は曹操、後半は孔明」と言っているぐらいだから、劉備の陰が薄いと感じるのは正しい読み方だったのだ。
そんなこんなで「三国志演義」ではなく「三国志」正史の原文口語訳が読みたいと思っていたら、守屋洋?だったか「三国志」原文の口語訳抄本が出ていて、それを読んだ。今、アマゾンで検索しても見つからないのだが。
抄本なので、欲求不満のまま何年も経ったところで、「正史 三国志 (ちくま学芸文庫) 井波 律子 (翻訳) 」が出た。これは長年待望していたものだったのだが、全文通読するのはかなり大変だ。紀伝体なので曹操、劉備、関羽、張飛、孔明といった主要登場人物の「伝」だけ読むのならわずかしかなく、あっという間なのだが、全体を読んで正史として三国時代を理解するとなると、相当骨が折れる。北方謙三がNHKカルチャーテレビで小説を書く際、「正史三国志はよく読んだ。」ということだった。やはり、小説ではなく、正史三国志を読まなければ本当の劉備や関羽はわからない。実際、小説では嫌なやつだった劉備は正史ではいいやつだ。「三国志」がNHKでドラマ化されるなら、「劉備は中村雅俊がいいよな!」と思うのだ。
しかし、実際、抄本口語訳「三国志」や「正史 三国志」を読み始めると、注に「史記」を参照しているところが多々ある。「史記」がわかってないと、「正史」は読みにくいことがわかった。なので、「史記」を読もうとしたのだが、「史記」を「本紀」から読み始めるのは「正史 三国志」以上に骨が折れる。なんと言っても冗長的だし、まあ、面白くない。
なので、啓蒙書から読んで、馴染んでいく方針でこれまできた。人物のイメージが予めあれば読みやすいかと思った。「史記」の解説本はたくさんあるし、横山光輝の漫画もある。古来、日本人は「本紀」ではなく、「列伝」をよく読んできたということもわかり、実際読み始めてみたが、やはり続かない。あっさり、漢文読み下し文を「注」と併せて読んだ方が良いかと思ってやってみたが、これは歯が立たない。
平凡社の「史記」が読みにくい原因に、面白くないところに持ってきて、一頁の分量が多すぎるということもあると思う。読んでも読んでもページが進まないので、厭になってくるのだ。
そんなことで、「死ぬまでになんとか読み切らなければ、、、」と思いつつ50歳を超えてしまったところでiPadが発売された。「週刊碁」を読むために購入したiPadだったが、老眼が入り始めた目にiPadはやさしいのだ。「Fujitsu ScanSnap S1500」を購入して、一番にスキャンしたのは平凡社「史記」だった。
スキャンして2年経つがハウツーものばかり読んできたこともあって、やはり、気持ち的に「史記」は読めなかった。ここ半年、会社内の事情でごたごた慌ただしい日々を過ごして、どうもやりきれない気持ちで一杯だったが、数週間前から「史記」を読み始めた。「史記」を読むと何となく気持ちが落ち着くから不思議だ。お経を読んで気持ちが落ち着くという人があるなら、こういうことかと思う。
2週間で「下巻(列伝)」の半分まで読み進めた。ここ20年継続して読めなかった「史記」を読めるようになったのは、気持ち的な部分が大きいのだが、iPadに負うところも多い。平凡社「史記」は一頁三段組で普通の文庫本でいったら、一頁が6頁分に相当するのではないかと思う。だから、読んでもページが進まないので、読み続けられないということもあった。
iPadで読むといっても、実際はiPod Touchでも読む。iBookで読むと、しおりの位置が共有され、家でiPadで読んで、電車の中でiPod Touchで読む、寝っ転がってiPod Touchで読むという、チョコット読みができる。何となくページが進む。iPadで表示するとドデカ文字になるので、読みやすい。iPod Touchだと数行しか表示されないのだが、これも逆にここまで読まなければ、というページ数を全く考えない(ページ数が見えないので)。結果、読み進めるのが容易ってことになる。
まだ、一番面白い「列伝」の半分を読んだに過ぎず、これから、「世家」「本紀」「書」と読み続けられるか自信がないのだが、今回は「列伝」だけは読み切れそうな気がする。
「列伝」が一番読みやすいし面白いのだが、小説によく取り上げられるのは「列伝」ばかりではなく「世家」が題材にされる場合も多い。なので、「世家」は次に読みやすいのではないかと思う。なら「本紀」はというと、これも「項羽本紀」が「史記」で一番の出来であることは誰も認めるところだし、「封神演義」が好きなら「殷本紀」は欠かせないだろう。「書」は少し読んでみたのだが、司馬遷の時代には最新の科学だったのだろうが、現代からみるとやはりばかばかしいと思ってしまう。しかし「易経」読むだけの実力もなく、当時の科学を知るためにはやはり、読まなければならないと思う。
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iPadという道具が便利で読みやすい環境が得られたということが、「史記」を何とか読めるという大きな要因だったのは否めないのだが、やはり年をとって、その分、気分が落ち着いたというのが本当のところだろう。若い時分にiPadがあったとしてもやはり、冗長的な「史記」を読み続けるのは無理だったのではないかと思う。面白いとされている「史記 列伝」でこのザマだ。
大学で単位取得のために「史記」の原文を読まされる学生も多いのだろうが、学生さんの苦労は大変なものだと思う。漢文の教材として「史記」を読むのなら、続けて読めるのだろうか。