ここ数年、宮崎市定先生の本をよく読みます。読み初めは「水滸伝 虚構のなかの史実」(中央公論社)でした。この中で、宋江は実は二人いたんだという主張がされています。宋江といういかにもありふれた名前が、時期を同じくして盗賊の宋江と将軍の宋江とが歴史書に現れたため、盗賊の宋江が官の将軍として活躍しいたという誤解が生まれたのだと。誰でも読める一般書ですが、極めて明確な説明で、根拠となる出典も明らかにされています。
この本を読んで、宮崎市定先生の本を書店で見かけると必ず買って読んでいます。宮崎先生の本は「宮崎市定全集」という形で岩波書店から発売されているのですが、一冊4800円という価格で、購入しにくいので、購入はもっぱら文庫本です。中央公論社、岩波書店などから出ています。古本屋で購入することもあります。歴史全集の一部として宮崎先生が担当されているものがあります。河出書房の「世界の歴史7 大唐帝国」、中央文庫の「世界の歴史6 宋と元」(これは先生の編集です)、中央文庫「中国文明の歴史9 清帝国の繁栄」「中国文明の歴史11 中国のめざめ」などです。
宮崎先生の本を読んでいると、歴史って本当に面白いなと思います。宮崎先生自身は中国の歴史が専門ですが、なぜ中国かというと、中国の歴史は他との干渉がすくなく独自性が強いから、だそうです。(正確な文面でなく申し訳ありません。先生の本のどこかにそういったことが書いてあった記憶があります。)その割には「アジア史概説」(中央文庫)では、ヨーロッパ史に対してアジア史という観点でアジア全体の歴史を捉えるという本もあります。

歴史の細かい部分はもちろんですが、先生の本には泰斗でなければ書けないような、その時代に対する、大きな主張があります。例えば、「史記を語る」(岩波文庫)では史記に演劇的な部分が多分に含まれていると言われています。司馬遷の取材が市場で開かれている講談のようなものにまでおよんでおり、史記の名文と言われている部分はその取材に寄っている。だから面白い。後世の歴史書が史記に習おうしてもそれほど面白くないのは、その取材の方法が異なっているからで、面白さという点で史記に及ばないのは当然のことなのだ。ということです。
(三国志演技、水滸伝にしても市場の辻で講釈師の話すことをまとめたものだということですが、史記の時代からそんなことが行われていて、しかも今、手頃にそれが読めるなんて、驚きです。)
最初に「史記を語る」を読んだ時はビックリしました。それまで、史記は古代のバイブル的存在でその文章に疑いを挟むなんて、ありえないと思っていたからでした。もともとは史記の記述はかなりあやしいのではないかと言われていたのですが、殷虚が発見されて、王の系図が史記の記述通りだったので信憑性高いことが証明されたのでした。その史記に演劇的要素が多分に含まれているなんて。(要するに作り事が)
そう思って読むと確かにそれらしい部分がかなりあります。そうでなければ説明できないような記述も多いです。秦始皇本紀、項羽本紀、伍子ショ列伝、韓王信(信陵君)列伝、刺客列伝どれをとっても「なんでこんな会話が記録に残っているの?」という部分がかなりあります。
実際のところ、史記に演劇的要素がかなり含まれているということは、史記をを読めば誰でも感じることだと思います。しかし、それを誰でも指摘できるわけではありません。やはり泰斗と言われる人でなければ言えないことです。それだけに何でも言える立場の人の書いた本は面白い。

また、「中国文明の歴史11 中国のめざめ」は清末から蒋介石の北伐までを書いたものですが、このごちゃごちゃした歴史を飽かさせることなく、解説してあります。「世界の歴史6 宋と元」にしても前半は唐の滅亡から五代十国を経て、宋の成立を解説してあるのですが、五代十国なんて高校の歴史いらい何にも予備知識がなく、時代名くらいしか知りませんが(清末同様非常に複雑です)、これを正確に書いてあるにもかかわらず(物語的な要素は全くない)非常に面白く読めます。

最近やっと読み切った、「アジア史概説」は大好きな中国の歴史以外に、インド、西アジアの歴史の記述も多く、その他の中国の歴史だけを扱った本に比べると非常に読みにくかったです。高校の歴史の授業の時もそうでしたが、インドや西アジナのカタカナばかりの舌を噛みそうになる名前を聞くと、覚えるどころではなく、舌を噛みきらないのがやっと、という感じです。この本での大いなる主張は古代、中世、近世といった時代区分は場所ごとに異なっている。ヨーロッパが近世に入っても、日本ではその時代まだ中世的要素が多く残っており、同一点を見つけようとしても難しい。当然場所ごとに異なる。もちろん、こう言った議論をするためには、古代、中世、近世の定義がはっきりしておかなければなりませんが。

また、青銅器文化、鉄器文化にしても中国から日本に伝わるまでの伝達時間が異なっており、日本では青銅器が伝わり、鉄器が伝わるまで100~200年足らずしかなく、青銅器文化が大きく花開いた中国とは条件が全く異なっている。巨大な中央集権国家の成立には鉄器が必要で、青銅器時代がほとんどない日本では時代形成が中国とは大きく異なる。

「アジア史概説」の「第七章 アジア史上における日本」の部分は圧巻です。これまで、小学校、中学校、高校と日本歴史を教わってきましたが、全体としてどのような理解をすればよいかなど考えたこともありませんでした。細かな年号や寺の名前、天皇、将軍の名前を覚えただけでは歴史を理解したことにはなりません。時代時代の特徴を知り、地域性からくる時代を超えた条件をふまえた上で歴史を理解しなければなりません。(いや~、面白い! 宮崎先生、最高!)

邪馬台国が九州にあったか、畿内にあったかという問題も、大雑把に読んだ感じでいうと、はっきり畿内という記述はありませんが、魏誌にわざわざ書いてあるほどの国なので、やはり大和朝廷と直接につながりがあるのだろうということです。その大和朝廷の位置が問題で、従来、西日本は先進的、東日本は後進的であり、大和朝廷がその境に位置していることから、全国の統一が可能だったということです。東日本から兵士を供給し、西日本の統一を行った。そういえば、壬申の乱の時、大海王子はいったん岐阜県方面に逃げてから兵力を整えて再起を図りました。平安時代に入って、武士の発生は坂東です。また、第二次世界大戦中も東北地方出身の兵は優秀でした。大和朝廷の頃から一環して徴兵は東日本から行われていたのです。こういう視点で説明されると、三角縁神獣鏡の出土がどうの、その製造が中国だ、日本だということで議論されるより説得力があります。やはり泰斗というべきでしょう。

「アジア史概説」の「第七章 アジア史上における日本」は是非読まれることを勧めます。