2024年8月20日

 

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 ■ 試合データ

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米国時間:2024年8月19日

日本時間:2024年8月20日(火曜日)

11時10分開始

ロサンゼルス・ドジャース

対シアトル・マリンーズ

@ドジャースタジアム

 

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【MLB.JP 戦評】

 日本時間8月20日、ナ・リーグ西地区の首位に立つドジャースは本拠地ドジャー・スタジアムでのマリナーズ3連戦がスタート。野手陣はマックス・マンシーとトミー・エドマンが復帰してほぼベストメンバーが揃い、マンシーの「復活弾」もあって3対0で勝利した。ドジャース先発のギャビン・ストーンは自己最多となる10個の三振を奪うなど、7回2安打無失点の好投で11勝目(5敗)をマーク。3番手のエバン・フィリップスが約1ヶ月ぶりの16セーブ目を挙げ、マリナーズ先発のブライアン・ウーは7回途中2安打2失点で2敗目(5勝)を喫した。

 3連戦の初戦はウーとストーンの好投により、6回まで両軍とも無得点という白熱した投手戦に。ドジャースは7回裏一死からギャビン・ラックスの9号ソロでようやく先制すると、一死1塁の場面で登板したマリナーズ2番手のジミー・ガルシアからマンシーが10号2ラン。ストーンが7イニングを無失点に抑えたあと、2番手のジョー・ケリー、3番手のフィリップスとつなぎ、2安打完封リレーでマリナーズを破った。

 ドジャースの大谷翔平は「1番・DH」でスタメン出場。初回の第1打席でレフトへのヒットを放ち、3試合連続安打とした。3回裏の第2打席はセンターフライ、6回裏の第3打席はセカンドゴロ、7回裏の第4打席は四球で3打数1安打1盗塁。「40-40」達成に向けて本塁打と盗塁を積み上げることはできず、今季の打撃成績は打率.290、出塁率.378、OPS.989となっている。

 

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 ■ 今日の大谷翔平

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【スタメン】

1番DH

 

【出場成績/打者】

3打数 1安打 1四球

通算打率・290

OPS・989

 

◆第1打席:

(結果)レフト前ヒット

(状況)1回無死走者なし

(投手)ブライアン・ウー右

※カウント2―2からの5球目、真ん中高めの95・1マイル(約153キロ)のシンカーを逆方向へ。ゴロは無人の三塁ベースの右側を抜けて左前に達した。二死後、4番T・ヘルナンデスの打席でけん制につり出され、一、二塁間で挟殺プレーに。二塁へ送球された際に一塁に向かった。アウトのタイミングだったが、一塁手ターナーのタッチを体をひねってかわし、セーフになった。

 

 

 

◆第2打席:

(結果)センターフライ

(状況)3回1死走者なし

(投手)ブライアン・ウー右

※1ボールからの2球目、真ん中高めの94・9マイル(約152・7キロ)のフォーシームを打ち上げるも平凡な中飛だった。

 

◆第3打席:

(結果)セカンドゴロ

(状況)6回無死走者なし

(投手)ブライアン・ウー右

※1ボールからの2球目、外角低めのチェンジアップを強打するも二ゴロに倒れた。

 

◆第4打席:

(結果)四球

(状況)7回2死1→2塁

(投手)タイラー・サウセド左

※3番手の左腕サウセドにフルカウントから四球を選んだ。

 

【コメント】

なし

 

【NEWS】

◯ 試合前練習でキャッチボールを行った。この日は投球フォームを確認しながら、約13分間、20メートルほどの距離でボールを投げ込んだ。15日(日本時間16日)のブルワーズ戦の試合前練習ではキャッチボールの後半、実際の投手と捕手の距離で昨年9月の手術後初めて座った捕手相手に12球投げ、ツーシームも交えながら、最速は89マイル(約143キロ)をマークした。

 

 

◯ 米大リーグ機構が19日、12日から18日までの週間MVPを発表。ナ・リーグは打率4割7分6厘、16日のナショナルズ戦でサヨナラ安打を放ったフィリーズのトレイ・ターナー遊撃手が通算4度目の受賞となった。候補選手にはナで4本塁打を放った大谷翔平が入っていた。

 

◯ 米野球専門誌「ベースボール・アメリカ」電子版は19日までにメジャーリーグの監督、スカウトらに部門別のアンケートを行い、大谷がナ・リーグの「最高打者」「最高のパワー」「最もエキサイティングな選手」の3部門でトップ選出された。同誌は「選手の価値についてはいくらでも議論ができますが、メジャーリーグの監督たちは1つの点において一致しています。それは、大谷翔平が野球界で最もエキサイティングな選手であるということ」「すべて納得の結果」と評価した。

 ◆ナ・リーグ「最高にエキサイティングな選手」
 1位大谷翔平(ドジャース)
 2位エリー・デラクルス(レッズ)
 3位ポール・スキーンズ(パイレーツ)

 ◆ナ・リーグ「最高の打者」
 1位大谷翔平(ドジャース)
 2位ブライス・ハーパー(フィリーズ)
 3位ムーキー・ベッツ(ドジャース)

 ◆ナ・リーグ「最高のパワー」
 1位大谷翔平(ドジャース)
 2位ブライス・ハーパー(フィリーズ)
 3位オニール・クルーズ(パイレーツ)
 

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 ■ 試合情報(ドジャース関連NEWS)

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【コメント】

デーブ・ロバーツ監督:

ーー開幕時のようなベストオーダーに近づいた

「その通りだ。ラックスはブレイクしてからずっと好調だ。彼が5番に入って本当に良かった。9番を打ったエドマンも内容も良く、安打もあり、安打性の当たりもあった。マンシーが7番を打っているんだからまさに容赦ないラインナップになった。そして今夜のホームランだ。彼は大したもんだ。彼が本塁打し、我々に余裕が生まれた。ポジションプレーヤーがようやく健康な状態になったことが本当にうれしい」

ーー10三振を奪う快投を見せたストーンについて

「素晴らしかった。内容も本当に良かった。初球ストライクがとても効果的だった。彼はゾーンを存分に使っていた。彼はプラン通りにやってのけた。カーブ、ツーシームも使い、相手打者のバランスを崩し続けた。三振も多く今夜は本当に良かった」

 

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 ■ 注目記事&コラム

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◆ 「大谷翔平より藤浪晋太郎が上だった」大阪桐蔭に“打ちのめされた”青森の名物監督が証言「選手の前で言っちゃった」高校生・大谷の本音評

中村計氏/NumberWEB)

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 花巻東・大谷翔平と大阪桐蔭・藤浪晋太郎がいた2012年。2人と何度も対戦した青森・光星学院(現・八戸学院光星)の仲井宗基監督に聞く「高校時代、どちらがスゴかった?」。【全3回の1回目】

◆◆◆

選手の前で思わず…「言っちゃったんです」


――仲井さんがこれまで対戦してきた投手の中で、いちばんすごいと感じたのは誰ですか。

仲井 やっぱりね、藤浪(晋太郎=メッツ傘下シラキュース)。

――大阪桐蔭の春夏連覇の立役者ですもんね。光星学院は2012年、春夏連続で甲子園の決勝で大阪桐蔭とぶつかり、春は3-7、夏は0-3で敗れています。藤浪と言えば、同学年に大谷翔平(ドジャース)がいました。同じ東北エリアですから大谷とも何度も試合はしているわけですよね。

仲井 練習試合はしょっちゅうやっていました。ただ、投手としての完成度は低かったですから。大谷はまだ自分を制御し切れていなかったというか、ボールが高めに浮きがちだった。なので、うちのバッターもけっこう打っていました。

――甲子園のあとに行われた世界大会で藤浪、大谷ともに日本代表に選ばれましたが、ここぞという試合は全部、藤浪が投げていました。あの時点では、明らかに藤浪の方が上だったんでしょうね。

仲井 うちはあの年、ラッキーで春夏ともに甲子園で準優勝しましたけど、春夏連続で甲子園に出るだけでも本当に大変なんですよ。夏の青森大会もうちはギリギリだったんです。選抜のあと、バッティングがぜんぜん上がってこなくて。だから夏は、正直なところ、出られただけでもよかったなぐらいの感じだったんです。選手にも楽しんでやろう、ぐらいのことを言っていて。その年、大阪桐蔭は初戦で木更津総合(千葉)とぶつかったんです。それを宿舎で選手たちと一緒に観てたんですけど、藤浪が春とは別人のようになっていて。「こんなん打てるわけないな。絶対、無理やぞ」って言っちゃったんです。

――思わず本音が……。

仲井 はあ、俺、言っちゃってるな、って。そのときは、まさか決勝まで行けるなんて思ってなかったんで。

 

中学生・大谷は「知らなかった」


――藤浪は別人になっていましたか。

仲井 選抜のときとは、ぜんぜん違いましたね。春はね、ガーッと力任せに投げている感じだった。でも夏は最初はふわ~っとしていて、リリースのところだけバチーンと力を入れていた。木更津総合は前評判も高かったんですけど、軽く勝ったように見えたんですよ(藤浪は14奪三振を奪い、8-2で完投勝利)。ああ、これはレベルが違い過ぎるな、って。

――あの夏の藤浪は投げるたびにどんどんよくなっていっているように見えましたよね。

仲井 準決勝の明徳義塾戦、うちとの決勝と、2試合連続完封勝利ですから。

――準決勝も決勝も2安打ずつ許しただけです。ほぼ完璧。

仲井 手も足も出んかった。つま先すら出せませんでしたね。

――大谷の存在は同じ東北エリアなので中学時代から知ってはいたわけですよね。

仲井 いや、僕は知らなかったです。中学生に興味ないですもん。うちは基本的に来てくれた選手たちでやるというスタイルなので。

――スカウト担当もいないのですか。

仲井 お金で雇っている人はいません。僕の先輩・後輩や、光星のOBが紹介してくれるというパターンがいちばん多いです。

――投手・大谷の第一印象は? 

仲井 たぶん1年秋ぐらいかな。ちょっと投げたんですけど、体も細くて、すごく速いっていう感じでもなかった。コントロールもアバウトでしたよ。バランスを崩すと、めちゃくちゃになってしまうところもあったりして。ただ、ひと冬を越して、体が別人のように大きくなった。打ったら、めちゃめちゃ飛ばすんです。3年夏の練習試合でも大谷が投げてきたことがありましたね。そのとき、大谷に左中間にすごいホームランを打たれてね。でも、うちも北條(史也=元阪神)が大谷の真っ直ぐをセンターオーバーに打ち返したりしていましたから。ピッチャーとして、これはとんでもないなと思ったことはなかったな。

北條・田村がいた「最強世代」


――大谷の世代は光星学院も田村(龍弘=千葉ロッテ)、北條というすごいバッターがいましたからね。

仲井 北條もすごかったですけど、田村ですよ。これまで見てきた選手とはレベルがぜんぜん違いました。あんな選手、初めてみましたよ。前年夏もうちは甲子園で準優勝しましたけど、あいつのお陰です(田村は4番・サードとして活躍)。

――当時の他校の選手たちに聞くと「北條は穴があったけど、田村はどこに投げればいいかわからなかった」と言うんですよね。身長は170センチちょっとだったんですけど、「どこにでもホームランを放り込む長打力があった」と。

仲井 彼は早熟だったんです。小学生の頃にすでに170センチくらいあって、子どもの中に1人だけ大人が交じっているような感じだったらしいですよ。ただ、体の成長はとまりましたけど、センスはずば抜けていましたし、技術的な成長は止まらなかったんだと思います。

 

田村を発掘したエピソード


――田村と北條は大阪狭山ボーイズのチームメイトで、そのときに全国優勝を経験しているんですよね。大阪の選手というと、争奪戦がすごいというイメージがあります。彼らが入学してきたときに金沢さんから仲井さんに監督が替わったわけですけど、やはり金沢さんがスカウトしてきたのですか。

仲井 そうです、そうです。金沢監督の同級生がたまたま狭山ボーイズでコーチをやっていて。そこに別の選手を見に行ったときに「こんなにえぐい選手がおるんか」と。初めて声をかけたのが金沢監督だったということもあって、うちに来ることになったんです。だから、たまたまですよ。争奪戦になったら、うちには来てくれないです。

――全国各地に大阪出身の選手がいて、彼らの活躍でいろんなエリアから甲子園に出てくるチームがあるわけじゃないですか。大阪はよくそんなに選手がたくさんいますよね。

仲井 当時はまだいたんですよ。でも大阪桐蔭の西谷(浩一)さんも言っていましたけど、近年は大阪に昔ほどいい選手はいなくなってきているそうです。他のスポーツに流れているというのもありますし、そもそも子どもが減ったというのもあると思います。

プロ入り後の田村…恩師の評価


――高校時代の数々の田村伝説を聞いていると、プロで結果を出し切れていないのはなぜなんだろうという気がしてしまいます。中には、大谷を語るとき以上に興奮して語る選手もいましたから。「とにかくすごかった」と。

仲井 田村は田村でがんばっていると思うんですけど、限界なのかなという気はします。何ていうのかな、野球の技術は抜群なんだけど、大谷ほどは努力ができるタイプではないんですよ。もともとできちゃった選手って、そこからさらに努力できるかっていうとなかなか難しいところがあると思うんですよね。

――田村は高校時代、本当によくしゃべってくれるので記者からすると大助かりな選手だったんですよね。

仲井 あいつは回遊魚がとまったら死んでしまうのと一緒で、黙ったら死んじゃうんです。そういう生き物です。

〈つづく〉

(「野ボール横丁」中村計 = 文)

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◆ ド軍加入の予感的中も…1か月で“戦力外” 無かった居場所、29歳右腕との最後の会話

川村虎大氏/フルカウント)

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 前日に話を聞いたばかりだった。ドジャースのブレント・ハニーウェル投手は18日(日本時間19日)、メジャー出場前提となる40人枠から外れる(DFA)の措置を受けた。ロングリリーフなどもこなして、10試合に登板し、防御率2.21。好投を続けていたが、ロースターの枠を空けるための苦渋の決断だった。

 17日(同18日)の敵地・カージナルス戦の試合前。クラブハウスでは、山本由伸投手とジョー・ケリー投手らと共にボードゲームを楽しんでいた。リラックスした様子で記者の質問に答えてくれたが、それがDFAになる最後の会話。翌日にロッカーはなくなっていた。

 29歳のハニーウェルはレイズ時代の2018年にはMLB公式サイトのプロスペクトランキングで球団1位に輝く存在だった。しかし、同年にトミー・ジョン手術を行い、2021年に復帰したが防御率8.31。昨年も2球団に所属して40試合に投げたが、防御率4.82と精彩を欠いた。

 今季もマイナー契約でパイレーツに加入したが、わずか2試合でDFAに。そんな右腕を拾ったのが、ドジャースだった。「僕を拾ってくれるんじゃないかという、変な予感はあった」。当時のドジャースは中継ぎ投手に故障者が続出。7月にウェーバーで獲得した。

 移籍後はスクリューボールを駆使し、6試合連続無失点と好投。一方で、ロングリリーフや難しい局面での登板もあり、直近4試合は3被弾6失点だった。それでも「チームが必要としていることを受け入れている。試合に勝つために役立つこと、複数イニングをこなすことやその逆でも。その日はまったく登板しないことも含めてね」と便利屋に徹した。

 8月に入り、ブレイク・トライネン、ライアン・ブレイシア両投手ら救援陣が続々復帰。怪我人が続出し、地区2位に迫られる後半戦を支えてたが、メジャーの試合に出場できるロースターの枠は決まっている。デーブ・ロバーツ監督も「タフな決断だった」とハニーウェルをDFAにした。

 DFAのなる前日、ハニーウェルは「(DFAの後は)自分でどうこうできるものじゃない。どのチームに行きたいか、行きたくないかに関係なく、試合に出ていいピッチングをしなければならない」と話していた。酷な決断も受け入れるしかない。新天地を目指し、自らの仕事に徹している。

川村虎大 / Kodai Kawamura

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 ■ NOTE