2024年6月19日

 

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 ■ 試合データ

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米国時間:2024年6月18日

日本時間:2024年6月19日(水曜日)

9時40分開始

ロサンゼルス・ドジャース

対コロラド・ロッキーズ

@クアーズ・フィールド

 

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【MLB.JP 戦評】

 日本時間6月19日、ドジャースは標高1600メートルの「打者天国」と呼ばれる敵地クアーズ・フィールドでのロッキーズ4連戦の2戦目を迎え、先発のウォーカー・ビューラーが打ち込まれたものの、9回表に2本のアーチで一挙7得点。5点のビハインドをはね返し、11対9で大逆転勝利を収めた。ドジャース4番手のマイケル・ピーターセンがメジャー初登板で初勝利を挙げ、6番手のエバン・フィリップスは11セーブ目を記録。ロッキーズ4番手のビクター・ボドニックは痛恨の逆転アーチを浴び、今季初黒星(1勝)を喫した。

 ドジャースは先発のビューラーが初回にエゼキエル・トーバーとライアン・マクマーンの連続タイムリー二塁打などでいきなり4失点。2回表にアンディ・パヘスの8号ソロで1点を返したが、2回裏にエレウリス・モンテロの4号2ランで1対6とリードを広げられた。3回表に大谷翔平の内野ゴロの間に1点を返したが、4回裏にブレントン・ドイルに6号ソロを浴び、ビューラーは4回7安打7失点で降板。6回表に大谷が20号ソロを放ったものの、6回裏にドイルのタイムリーで追加点を奪われた。7回表にミゲル・バルガスのタイムリー二塁打で再び4点差としたが、7回裏にも1点を追加され、5点ビハインドに。しかし、9回表に代打ジェイソン・ヘイワードの4号グランドスラムで1点差に迫ると、二死1・2塁からテオスカー・ヘルナンデスに18号3ランが飛び出し、11対9で大逆転勝利を収めた。

 ドジャースの大谷は「1番・DH」でスタメン出場し、初回の第1打席はセカンドゴロ。3回表一死3塁の第2打席はファーストゴロで1打点を記録した。6回表の第3打席はセンターへ飛距離476フィート(約145.1メートル)の20号ソロ。今季メジャー最長の特大アーチで4年連続5度目の20号に到達した。7回表の第4打席は中堅ドイルの好プレーに阻まれてセンターライナー。9回表の第5打席はレフトへヒットを放った。5打数2安打2打点で連続試合安打を3に伸ばし、今季の打撃成績は打率.316、出塁率.388、OPS.996となっている。

 

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 ■ 今日の大谷翔平(関連NEWS)

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【スタメン】

1番DH

 

【出場成績/打者】

5打数 2安打 2打点 1得点 1本塁打(20号)

通算打率・316

OPS・995

 

◆第1打席:

(結果)セカンドゴロ

(状況)1回無死走者なし

(投手)オースティン・ゴンバー左

※フルカウントからの6球目、外角の86・2マイル(約138・7キロ)のスライダーを引っ掛けて二ゴロに倒れた。

 

◆第2打席:

(結果)ファーストゴロ

(状況)3回1死3塁

(投手)オースティン・ゴンバー左

※1―6の3回一死三塁は初球、内角高めの76・4マイル(約122・9キロ)のナックルカーブを強打するも一ゴロ。三走が生還して打点が付いた。

 

◆第3打席:

(結果)ホームラン

(状況)6回無死走者なし

(投手)オースティン・ゴンバー左

※マウンドは先発の左腕ゴンバー。2ボールからの3球目、内角の83・9マイル(約135キロ)のスライダーにバットを振り抜いた。角度30度、打球速度113㍄(約181・9キロ)で中堅後方へ一直線。フェンスのはるか上を越えた。これで4年連続20号を達成、もちろん日本選手初だ。この時点で本塁打トップのブレーブスのオズナに並んだ。飛距離476フィート(約145メートル)は今季メジャー最長。ヤンキースのジャッジが5月9日のアストロズ戦の8回に放った9号の飛距離473フィート(約144メートル)を上回った。

 

 

 

◆第4打席:

(結果)センターライナー

(状況)7回2死1、2塁

(投手)ジャレン・ビークス左

※カウント3―1からの5球目、真ん中高めの94・4マイル(約151・9キロ)のフォーシームを中堅方向へ。角度17度、打球速度111・7マイル(約179・8キロ)の弾丸ライナーは頭上を越えたかと思われたが、中堅手・ドイルがダイビングキャッチ。客席からは歓声とため息が上がった。

 

◆第5打席:

(結果)レフト前ヒット

(状況)9回1死走者なし

(投手)ビクトル・ボドニク右

※カウント1―1からの3球目、ほぼ真ん中の91・3マイル(約146・9キロ)のチェンジアップを引き付けて逆方向へ。115・3マイル(約185・6キロ)の弾丸ゴロは左前へ抜けた。

 

 

【コメント】

なし

 

【NEWS情報】

◯ ドジャースは18日、球団ホームページ上などで、8月28日の本拠地・オリオールズ戦で来場者に配布される大谷のボブルヘッド人形を公開した。ドジャース移籍後、第2弾となる大谷ボブルヘッド人形は、大谷が愛犬のデコピンを抱いている異例の品となった。「SHOHEI&DECOY(デコピンの米国名)」と書かれ、小さな笑顔を見せた白のユニホームを着た大谷が、左腕でデコピンを抱きかかえている。スポンサーとして提供するのは、ドジャースとスポンサーシップ契約を結び、100円ショップ「ダイソー」などでおなじみの大創産業だ。

 

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◯ 大谷の20号本塁打は、標高1600メートルの高地にあり、気圧が低く打球が飛びやすい「打者天国」での試合だったこともあり、飛距離476フィート(約145.1メートル)という特大アーチに。473フィート(約144.2メートル)でトップに並んでいたマイク・トラウト(エンゼルス)とアーロン・ジャッジ(ヤンキース)を上回り、今季メジャー最長飛距離の一発となった。

 

◯ 大谷はリーグ6冠に返り咲き。ここまで20本塁打、OPS.996、長打率.608、42長打、175塁打、ISO.292はリーグ最高。前日に発表されたMLB公式サイトの第3回MVP模擬投票では1位に輝いたが、ここにきて6月男の本領を発揮してきた。

 

◯ JTBが19日、メジャー生観戦を目的とする旅行者の「初挑戦を応援する」という意味を込めた「キービジュアル」を公開した。JTBではレギュラーシーズン観戦ツアーを販売していて、この日から同キービジュアルを使用したポスターを全国の店舗で展開した。今回のキービジュアルで打ち出すメッセージは「メジャー観戦、初挑戦するなら JTB。」。大谷ら多くの日本人選手が海を渡り世界最高峰の米球界で挑戦してきたように、JTBはメジャー生観戦を目的とした旅行者を応援していく。近日中に公式サイトもリニューアルする予定で、情報発信を行っていく。

 

 

◯ 評論家の伊東勤氏が今日の試合を分析した。

 

「ロッキーズのバッテリーは前日から大谷に対して外一辺倒。直球と変化球の外角への出し入れで勝負してきた。第1打席、甘いスライダーを打ち損じたが、第3打席で内角から真ん中に入ってきたスライダーを右腰を開かず踏み込んでバックスクリーンに運んだ。

 

 ベッツが離脱して1番に入った。打席も多く回るし、走れるし“はまり役”だと思う。9回の大逆転劇でもいい働きをした。ヘイワードの満塁弾の直後、161キロの直球でカウント1―1となった後の3球目、チェンジアップを左前に運んだ。エンゼルス時代なら同点の一発を狙ったはずの場面だが、出塁重視。後ろにいい打者がそろうドジャースだからこそ、無理をせず求められた仕事に徹することができる。

 

 昨年までは“大谷のエンゼルス”だった。今年は“大谷のドジャース”ではなく“ドジャースの大谷”。周りを生かし、周りに生かされる。勝つチームの中核打者としてどんな数字を残すのか楽しみだ。」

 

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 ■ 試合情報(ドジャース関連NEWS)

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【コメント】

デーブ・ロバーツ監督:

「(大谷の一発に)なんてこった…。あれほどのものを見たことがあるか、分からない。数日前にも、左中間への本塁打について『今まで見たことがない』と言ったが、この1本も、見たことがないと思う。言葉にならない。別次元」

 

「(大谷の7回の右中間へのライナー性のあたりに)ドイルがこれまでに見たことのないような素晴らしい選手の一人になった。あの打球が中堅手として、どれほど難しいかみんなは知らないと思う。あそこで(本当は)6-8になっていた」

 

ジェーソン・ヘイワード外野手:

「彼(右腕キンリー)は速い球を投げるし、スライダーもあることが分かっていたから、ベストなスイングをしなければいけないと思っていた。最初に良い球を何球か投げていたし、(カウント)2-1からスライダーに空振りして、次はファウルになったから、落ち着いていつも通りのスイングをしろって自分に言い聞かせて、幸いにもボールを捉えてフェアに飛ばせることができた」

 

テオスカー・ヘルナンデス外野手:

「ジェイソン(ヘイワード)がグランドスラムを打って、(次打者の)大谷が粘り強く安打を放って、何かが起こるかもと思っていた」

 

「(ストライクから高めの速球をハーフスイング。これを振っていないと判定した一塁塁審にロ軍のブラック監督が激怒。退場となった。その直後の1発に)リプレーを見たら、振っていないと思ったけど、どちらの判定にもなり得るくらいだった。チームに貢献できたし、すごく良かった」

 

オースティン・ゴンバー投手:

「(大谷への攻め方について)彼はスライダーを打った。わからない。わからない。わからない(うんざりした様子)彼は私に対していい対戦成績を残している。わからない。(抑えられる)提案があれば、聞くよ。最初の2打席はいいピッチングができたと思う。特に最初の打席。ゴロ(二ゴロ)に抑えて、その次の打席もゴロ(一ゴロ)に打ち取った。彼はこの惑星で1番の選手だ。スライダーが真ん中にいってしまい、失投になってしまった。(そこに投げたら)許してはくれない」

 

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 ■ 球界情報

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アーロン・ジャッジ外野手:

◯ ジャッジが左手に死球を受け、途中交代するアクシデントに見舞われた。3点リードの三回、先頭で打席に立ち、カウント1-2から151キロ直球を左手に受けた。本拠地にブーイングが響き渡る中、苦悶の表情を浮かべて一塁へ歩いたジャッジは四回の守備にも就いたが、その裏の攻撃で代打を送られ、退いた。今季は75試合に出場し、両リーグ独走の26本塁打を記録し、64打点と合わせて二冠のジャッジは打率でも・301をマークし、22年に続く2度目のMVPの最有力候補に挙げられている。米メディアによると、試合後に取材に応じたジャッジは笑顔で「良いニュースがあったので気分はいい。CT検査の結果が異常なしだった。すごくホッとしている」と話した。

 

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 ■ 注目記事&コラム

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◆ 大逆転負けロッキーズ側は全員激怒「あれはスイング」「微妙ですらない」 ド軍戦の判定が物議

(THE ANSWER)

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 米大リーグのロッキーズ―ドジャース戦が18日(日本時間19日)にクアーズフィールドで開催された。4-9と5点を追うドジャースが、9回に大逆転。代打ジェイソン・ヘイワードの満塁弾と、テオスカー・ヘルナンデスの逆転3ランで一挙7得点を挙げ、11-9で勝利した。しかし、ヘルナンデスの本塁打の直前の判定を巡り、ロッキーズ側からはグラウンド内外から怒りの声が上がった。

 あと1球の状況から勝利が零れ落ちた。ロッキーズは9-4とリードした9回の守備で、1死満塁から代打ヘイワードに右翼ポール直撃の4号満塁弾を打たれて1点差に。さらに2死一、二塁とピンチが続いたが、4番手ボドニクがヘルナンデスを2ストライクに追い込み、高めの直球で勝負。ヘルナンデスのバットが出たかに思われたが、一塁塁審バークスデール氏はノースイングの判定だった。

 ロッキーズのバド・ブラック監督はベンチから怒りの声を上げ、退場処分に。その直後、ヘルナンデスに逆転の18号3ランを浴びた。打球を見送った右翼手ジェーク・ケーブは、一塁塁審の方に向かって怒りの仕草を隠さなかった。

 試合後、MLB公式のロッキーズ地元中継では、ブラック監督が「スイングだった。チェックスイングだったが、彼(ヘルナンデス)のバットは回っていたと思った」と語り、ケーブの様子についても言及。「全ての選手が彼と同じように怒っていた」「怒っていたのは彼だけではない。これは感情的な試合だった」とチーム全員に怒りが広がったと強調した。

 同じ中継内でケーブは「この時点でみんながプレーを見たと思う。僕はランス(バークスデール一塁塁審)と同じく右翼線にいた。微妙ですらなかったと思うよ。リアルタイムで見ていてもね」と怒りを露わにしていた。

「ランスにスイングだったとライトから怒鳴りつけたんだ。イニング終わりに駆け寄ったら、僕の目を見ながら『際どくすらなく回っていない』と言われたんだ。それで余計に怒ってしまってね。世界中のみんなが、少なくとも際どかったことは見て分かる。彼はスイングしていたんだから」とその後のやり取りも明かした。

 ケーブはさらに「あれはスイングだった。それで試合終了。三振でドジャースを倒せていたんだ。だから激怒してしまったよ。『際どくすらなく回っていない』なんて言われれば、我々に敗戦をもたらした説明責任を果たしていないんだから怒り心頭だよね。でも、今何ができるんだというんだ。しょうがないよ」と、バークスデール塁審の態度にも不服の様子だった。

 ロッキーズ側の放送では、実況のドリュー・グッドマン氏がノースイング判定の瞬間「振った! オーノー! ランス・バークスデールはノーと言った!」と困惑。リプレー映像を見返した解説のコーリー・サリバン氏も「(バットが)回ってますね」と指摘した。直後の3ランに、グッドマン氏は「勘弁してくれ! 三振が3ランになってしまった!」と不満を爆発させていた。

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◆ 米倉涼子「はじめてのメジャーリーグ観戦記」大谷選手の人気を実感!

米倉涼子氏/ミモレ)

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先月、渡米してメジャーリーグ観戦を楽しんできました。
この連載でも紹介したドキュメンタリー『憧れを超えた侍たち 世界一への記録』を観て以来、野球への関心がグッと高まっているなか、本場で観戦できることに。
小さい頃からサッカーの試合はよく見ていたのですが、野球観戦のために球場に足を運んだことはあまりなく、野球の試合ってこんなにも見応えがあるんだ! と改めて感動しました。

 まずはサンディエゴにあるパドレスの本拠地、ペトコパークへ。
パドレス対ドジャース戦では、選手たちの声やボールがバットに当たる音が聞こえるような席で観戦。
ロサンゼルスドジャースタジアムで観戦する機会にも恵まれ、それぞれの球場の雰囲気の違いを感じることもできました。
大きさに圧倒されたドジャースタジアムに対して、ペトコパークは地元の方たちに親しまれている身近な球場という印象を受けました。

タイミングよく観戦した母の日の試合では、選手たちのユニフォームやバットにピンク色があしらわれるイベントも。

日本のプロ野球でも行われているそうですが、とても素敵な企画ですよね。甥っ子へのお土産としてTシャツを購入しようと立ち寄ったショップでは、大谷翔平選手の人気で日本人の観客が増え、店員さんが日本語を勉強中とのこと。
実際に日本人のお客さんもたくさん観戦していて、大谷選手の影響力の大きさを感じました。

 メジャーリーグにはベネズエラやドミニカ共和国出身の方をはじめスペイン語を話す選手も多く、お話しさせてもらう時間も。
野茂英雄選手と同じ時期にご活躍されていた元キャッチャーのカルロス・ヘルナンデスさんとも、かつて野茂選手からサインボールをいただいた話で盛り上がり、貴重なお時間をいただき感謝の気持ちでいっぱいです。

 実際に観戦してみて感じたのは、試合の熱気や迫力だけではなく、選手の方たちのアストリートとしてのストイックな存在感です。
鍛えられた大きな体であの小さなボールを投げ、打ち、キャッチする瞬発力と集中力。あれだけの観客を前にしてベストな状態で戦うためには、持久力や忍耐力、判断力などメンタル面でもあらゆるものが必要とされるスポーツであることが直に伝わってきました。
これから先、野球の試合を見るときには、裏側にある選手の方たちの努力を想像しながら観戦することになりそうです。

帰りの機内では『PIANOFORTE』という素晴らしいドキュメンタリー映画との出会いもありました。
題材となっているのはフレデリック・ショパン国際ピアノコンクール。バレエの世界でいうとローザンヌのような登竜門的コンクールで、日本でも話題になることが多いですよね。
撮影が行われたのは日本人の反田恭平さん、小林愛実さんが受賞した第18回。
おふたりにカメラは向けられていませんが、中国やロシアなど多国籍な参加者がどのようにピアノと、そしてショパンと向き合っているのかに迫ったドキュメンタリーになっています。

当たり前のことですがもうショパンはこの世にはいないわけで、どんな風に本質や哲学を見つけていくのかは、本当に人それぞれ。
先生のタイプや教え方によって、アプローチも全然違います。上手に弾くだけではなく、ショパンの世界に入っていくドアを見つけるまでの苦しみや重圧は相当なものだと思うんです。
そもそも芸術とは傾向と対策を練って誰かと競うものなのか、コンクールを機会に聴いてもらう場所が増えるならば、戦うことにも意味があるのではないか……。
そんな葛藤も伝わってきました。

『憧れを超えた侍たち 世界一への記録』を観たときにも同じ感想を抱いたのですが、プレッシャーのかかる環境でずっとカメラを向けられるって本当に大変なこと。
私も『シカゴ』でブロードウェイに挑戦したときにドキュメンタリー番組のカメラが密着していたので、その大変さが理解できます。
このドキュメンタリーに大きく心を動かされたのは、メジャーリーグの試合を観戦した後だったからかもしれません。
誰もがうらやむような場所で活躍している人たち、夢をつかんだ人たちの裏側には、絶対にセンスだけでは語れない人並み以上の覚悟と努力がある。
野球とピアノと全く世界は違いますが、本当の意味での“頑張る”ってこういうことなんだなと感じました。
日本での公開は決まっていないようですが、もしも機内のプログラムにあったらぜひ観てみてくださいね。

写真/米倉涼子
取材・文/細谷美香
構成/片岡千晶(編集部) 

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◆ 大谷翔平「小4からホームラン量産」伝説…幼なじみ捕手が明かす成長物語「中学の時はストライクが入らず、大変だった」

内田勝治氏/NumberWEB)

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 今季ドジャースで活躍を見せる大谷翔平。その姿を北海道から友人として見守る幼なじみがいる。2歳年上の捕手・佐々木大樹だ。幼少期から花巻東入学までについて振り返ってもらった。(全2回の第1回/後編も配信中)

 

「ダイキくん」「ショウヘイ」

 幼少期の大谷翔平から「ダイキくん」と呼ばれ、頼られた2つ年上の幼なじみがいる。佐々木大樹は、32歳となった今でも、北海道の日本製鉄室蘭シャークスで白球を追いかけている。そのひたむきな姿は、「ショウヘイ」とともに岩手で過ごしたあの時代と、何ら変わりはない。

 

「翔平は当時から活発で、ゲームをするというよりは、とにかく外で野球やサッカー、ドッジボール、鬼ごっこをしていました。僕も外が好きだったので、みんなでよく遊んでいました」

 

 初対面は幼稚園の頃だった。互いの母親同士が近所の体育館でやっていたバドミントンについていくうちに、子ども同士が仲良くなった。ただ、幼少期の2学年差と言えば、体格面や運動能力などを含めて違いは明確。外で遊ぶにしても、走り回る年長のはるか後ろをついていくのがやっとだが、翔平少年も負けていなかった。

 

2学年上の佐々木と肩を並べる身体能力

「体力や身体能力、走りも僕とほとんど変わりませんでした。当時からやっぱり凄かったです」

 

 佐々木はその後、硬式の水沢リトルで本格的に野球を開始。大谷も小学2年で入部し、4年になる頃には、65メートルほど先にある右翼のネットを越すほどの打撃を披露していたという。

 

「小4から飛ばしていましたね。バッティングは本当に凄かったと思います。普通の球場よりは狭いですけど、ホームランも何本か入れていました」

 

 中学では一関リトルシニアへと進むと、その2年後には大谷も再び後に続いた。身長は、中1にして175センチと、他の新入生より頭一つ抜けていた。投手と捕手を務めていた佐々木が、「投手・翔平」を振り返る。

 

「スピードは当時で130キロ近かったと思いますが、コントロールが悪かったですね。フォアボールやデッドボールを何回出しても、ストライクを入れに行こうとするわけでもなく、全力で腕を振って自分の球を投げてくるので、大変だった印象しかありません」

 

打者としての凄み「どこに投げても打たれそう」

 ただ、投手として相対した「打者・翔平」は、別格だった。

 

「スイングも凄いですが、懐が深い構えでオーラがありました。どこに投げても打たれそうな感じがしました」

 

 佐々木はその後、甲子園を目指し、花巻東に進学。1学年上には、菊池雄星(現トロント・ブルージェイズ)がいた。

 

大谷と菊池

「翔平はどちらかと言えば、高いところから腕を振り下ろして速い球を投げるんですけど、雄星さんは横からくる左特有のクロスファイアが凄かったです」

 

 花巻東は、その菊池を擁し、2009年センバツに初出場すると、岩手県勢初の決勝まで進み準優勝。同年夏には岩手県勢90年ぶりとなる4強進出を果たした。2年生だった佐々木も左翼、そして2番手捕手としてチームの快進撃に大きく貢献した。

 

「僕らが結構初めてというか、歴史を変えたところもあったので、その時の岩手の盛り上がりは凄かったですね」

 

花巻東で、甲子園で優勝しよう

 佐々木はこの時、中3となった大谷を花巻東に誘うため、一通のメールを送った。

 

「花巻東で、甲子園で優勝しよう」

 

 大谷も、地元の高校が春夏の甲子園で活躍する姿に刺激を受けたことは間違いない。8月頃には進路を絞り、三度、「ダイキくん」の背中を追って、花巻東に入学した。

 

 最上級生となった佐々木は、新チームから主将を務めていた。呼び名は「ダイキさん」に変わり、久しぶりに受ける幼なじみのボールは、中学の頃とは別格だった。

 

「190センチの大きさで体を柔らかく使いこなせるので、投手の方が可能性があると思って見ていました。体重は68キロぐらいしかなかったですが、144キロを投げたり、ホームランを打ったりしていたので、体を作ったらもっと凄い選手になると感じていました」

 

監督がこだわった全力プレー

 佐々木の期待通りに、大谷は1年春からベンチ入り。右翼でスタメンに名を連ねることもあった。ただ、そのことで、スタンドで応援することになった上級生がいる。少しでも気の抜いたプレーをすれば、佐々木洋監督から烈火のごとく怒られた。

 

「3年生を差し置いて試合に出ていたので、逆に厳しくされていたと思います。全力疾走とかしなくても怒られていましたね」

 

投手・大谷の進化

 大谷は佐々木監督の方針で、1年時は体作りに主眼を置き、「打者7割、投手3割」(佐々木大樹)ほどの比率で練習を行っていた。それでも、マウンドに上がった大谷と対戦した時は「三振したりしていました」という。中学時のイメージは、すっかり消え去っていた。

 

「荒れてはいますが、ストライクが入るようになっていて、変化球も精度はかなり上がっていました。器用でしたね」

 

 幼なじみの関係とはいえ、3年生と1年生が他の部員の前で仲良く話すことは難しい。それでも、「翔平からストレッチとか、コンディショニングのことを聞かれたので、教えた記憶はあります」と振り返る。上下関係の垣根を超えて、野球がうまくなることだけを追求していった。

 

寮で同部屋生活「すごい寝ていました」

 寮では一関リトルシニアの先輩、後輩という間柄から、2人同部屋でプライベートを共にした。大谷は今でも1日10時間以上の睡眠を取るが、この頃も「すごい寝ていました」と佐々木は振り返る。

 

「練習がきつすぎて、基本的にはお互い寝ていました。部屋にはテレビがなかったので、DVDプレーヤーで『アメトーーク! 』を見たりしました。勉強は……していなかったです(笑)。多分授業をしっかり聞いていたんだと思います」

 

 最後の夏が近づくにつれ、2年連続甲子園出場への重圧は増していったが、昔と変わらない幼なじみの天真爛漫な性格が、佐々木の緊張をほぐしてくれた。

 

<つづく>

 

(「甲子園の風」内田勝治 = 文)

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 ■ NOTE