2024年5月25日

 

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 ■ 試合データ

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米国時間:2024年5月24日

日本時間:2024年5月25日(土曜日)

8時10分開始

ロサンゼルス・ドジャース

対シンシナティ・レッズ

@グレートアメリカン・ボールパーク

 

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【MLB.JP 戦評】

 日本時間5月25日、シンシナティで行われたレッズとドジャースの3連戦の初戦は、レッズに軍配が上がった。レッズは初回に4番スペンサー・スティアーの5号3ランで先制するも、直後の2回表に4点を奪われて逆転を許す。さらにリードを1点広げられて迎えた5回裏、1番スチュアート・フェアチャイルドの4号ソロと押し出し死球、さらには8番ジョナサン・インディアの3号満塁本塁打が飛び出して6得点。大量得点にも助けられ、レッズはそのまま9対5で逃げ切った。レッズ先発グラハム・アッシュクラフトに4勝目(3敗)が付き、ドジャースの2番手ヨハン・ラミレスに2敗目が付いた。「2番・DH」でスタメン出場した大谷翔平は今日は5打数無安打1打点に終わった。

 レッズは5回裏、フェアチャイルドのソロ本塁打で1点を返し、その後二死からチャンスを作った。二死1塁から登板したドジャースの2番手ラミレスは制球が定まらず、3連続四死球を与え5対5と試合を同点にしてしまった。ここでドジャースはたまらず3番手アレックス・ベシアへと継投。しかし、インディアはベシアの持ち味である高めの4シームを巧みに捉え、レフトスタンドへ運んだ。インディアはこの試合前まで16打数無安打と苦しんでいたが、今日3打数3安打1四球4打点の大活躍。ソロ本塁打を放ち、センターで再三の好守を見せたフェアチャイルド共々、レッズを牽引した。/p>

 ドジャース打線は計11安打3四球と多くのチャンスを作ったが、11個の残塁を積み重ねた。1打点を挙げた大谷も5残塁。4点ビハインドで迎えた8回の一死1・2塁のチャンスでも、ショートフライに倒れてしまった。大谷の今季成績は今日の試合を終えて打率.340、OPS1.035となっている。

 

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 ■ 今日の大谷翔平(関連NEWS)

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【スタメン】

2番DH

 

【出場成績/打者】

5打数 0安打 1打点

通算打率・340

OPS1・035

 

◆第1打席:

(結果)サードゴロ

(状況)1回無死1塁

(投手)グレアム・アシュクラフト右

※相手先発の右腕アシュクラフトとは18日(同19日)に本拠地で対戦し、三ゴロ、二ゴロ、左飛で3打数無安打だった。初回無死一塁は初球、内角高めの96・4マイル(約155・1キロ)のカットボールを逆方向へ叩くも三ゴロ。一走ベッツは二塁で封殺されるも、大谷は快足を飛ばして併殺を阻止し、一塁に残った。

 

 

◆第2打席:

(結果)ショートゴロ

(状況)2回1死2、3塁

(投手)グレアム・アシュクラフト右

※初球、外角高めの91・4マイル(約147キロ)のシンカーを強打。打球速度97・4マイル(約156・8キロ)の遊ゴロに倒れたが、三走が生還して勝ち越しの打点を挙げた。

 

◆第3打席:

(結果)ショートゴロ

(状況)4回2死2塁

(投手)グレアム・アシュクラフト右

※2ストライクからの3球目、外角やや高めの95・7マイル(約154キロ)のシンカーを引っ掛けて遊ゴロだった。

 

◆第4打席:

(結果)ショートフライ

(状況)6回2死走者なし

(投手)サム・モール左

※2番手の左腕モルが1ストライクから2球目に投じた外角低めの82・7マイル(約133キロ)のスイーパーに泳がされて遊飛だった。

 

 

◆第5打席:

(結果)ショートフライ

(状況)8回1死1、2塁

(投手)ルーカス・シムズ右

※4番手の右腕シムズと対戦。初球、内角高めの94・9マイル(約152・7キロ)のフォーシームを打ち上げ、遊飛に倒れた。タイミングが合わなかったのか、初球打ち3度、2球目1度、3球目1度と早打ちが目立ち、大谷らしいスイングを見せることなく無安打に終わった。26球場目弾はお預けだ。

 

【コメント】

なし

 

【NEWS情報】

◯ 試合前に約18分間、60球ほどキャッチボールを行った大谷。プライアー投手コーチらが見守る中、投本間ほどの距離で、1球ずつ丁寧に感触を確かめるように投げた。大谷の背後ではトレーナーが球速を計測し、投球フォームを動画に収めた。キャッチポールを終えると、直後にダッシュを行い、合流した山本由伸も横でダッシュを繰り返した。2人は笑顔で話しながらの試合前の練習となった。

 

◯ 今回の3連戦はメモリアルデー・ウィークエンドと銘打ち、大谷とデラクルスをフューチャーし、Tシャツなどのコラボグッズが販売された。皮肉なことに5打席中、4打席がデラクルスへの打球だった。まだ、このカードは2試合残っている。

 

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 ■ 試合情報(ドジャース関連NEWS)

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【コメント】

デーブ・ロバーツ監督:

ーー11安打で6得点した攻撃陣について

「攻撃は良かった。中堅手フェアチャイルドが6回のベッツの長打、7回のスミスのホームランをもぎとった。その他にもいい打席はあったしもっと得点はできたと思う。攻撃面では良かったと思う」

ーー先発左腕パクストンを代え、救援陣が四死球連発から満塁弾を浴びたことについて

「悔しいね。確かに先発のパクストンは最初からいい状態ではなかった。四死球が多く球数が増えていく中でリリースポイントを一晩中探していたと思う。そして(2死一塁から投入した)ヘルナンデスなら次の2人のうち1人は抑え、ダメージを食い止めてくれると思ったが、うまくいかなかった。今夜はフィーリングがなく、見つけることができなかった。つまり1点リードの2死一塁ではテコ入れとは考えない。どうすれば試合を乗り切れるかを考えている。残念ながらそれがうまくいかなかった」

 

エリー・デラクルーズ内野手:

(試合前)

ーー今季2度目の“怪物対決”を前に

「大谷とはちゃんと話したことがない。僕が日本語を覚えなくちゃいけない(スペインで通訳を介して答えた)」

ーー大谷について

「あんなにハードにプレーする選手を見たことがない(自ら英語で答えた)。

 

ーー100メートル走で勝負したら大谷とどっちが速いと思うか

「わからない・・・僕が世界で一番速い。勝つのは僕だ(英語で答え、会見上は笑いの渦に包まれた)

 

(試合後)

「誰にも内野安打を許したくないんだ。大谷が打席にいるときは、また、ちょっと状況が違う。彼は足が速いから、更に、強く投げないといけない。今日は、ゴロが2つと、フライが2つ。彼のボールが(僕に)飛んできた。きょうは、そういう日だったね」

 

グラム・アッシュクラフト投手:

「打線全体に素晴らしい打者が揃っている。こっちがミスを犯せば彼らが仕留めてくる。(大谷との対戦について)彼は素晴らしい選手。以前何度か対戦した時のように、積極的に攻めようとするんだ。それがうまくできていると感じているよ」

 

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 ■ 球界情報

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ニューヨーク・ヤンキース:

◯ 日本時間5月25日、ヤンキースとパドレスの3連戦初戦は、ヤンキースが快勝。ヤンキースは初回、1番アンソニー・ボルピーの三塁打を足がかりに犠飛で1点を先制。圧巻だったのは3回。2番フアン・ソトが14号2ラン、続く3番アーロン・ジャッジが16号ソロ、5番ジャンカルロ・スタントンが13号2ランを放ち、パドレス先発・ダルビッシュ有をKOした。その後も7番グレイバー・トーレスの4号ソロが飛び出し、ヤンキース打線は大量8得点を挙げた。ヤンキース先発カルロス・ロドンも好投で応え、6回無失点で6勝目(2敗)をマーク。ダルビッシュは2敗目(4勝)を喫し、防御率は1点近く跳ね上がって3.04となった。

 

ダルビッシュ有投手:

◯ パドレスのダルビッシュが24日(日本時間25日)、本拠のヤンキース戦に先発し、5回2/3を投げ4本塁打浴びて7失点で今季2敗目(4勝)を喫した。初回ジャッジの犠飛で25回連続無失点でストップしたダルビッシュは、3回にソトに右中間に14号2ラン、続くジャッジに今月10本目の左翼に16号。そしてスタントンにも13号2ランを左翼に、自身2度目の1イニング3発を浴び5失点。4回にもトーレスに浴びて1試合4被本塁打。自身4度目のワーストで25イニング連続無失点から一転、6回2死、1試合7失点でマウンドを降りた。メディアへの対応は次の通り。

ーー9安打7失点となったが?
「最初はそんなに悪くなかったと思いますね。ソトのホームラン打たれた球もあとに見返しても僕の中では悪くはなかったですし、自分らのゲームプランとしては大丈夫な球っていうところだったんですけど、ま、そこからちょっとメカニックスが崩れていったな」

ーー向こうがすごかったというより、自分の問題だった?
「どっちもだと思いますね(苦笑)。やっぱり全員がちゃんとこう、ゲームプランをもって、自分をしっかり倒しに来るっていう感じはしてた」

ーー自分の方の問題は自分では原因もわかっている?
「そうですね。まぁ今日メカニックスも、最近だとだいたいこうしたいっていうのが明確にあるので、で、今日はこれができてなかったっていうのもわかってますし」

ーー昨年までの同僚ソト選手はお互い手の内を知っている相手。対戦していて嫌な感じはあるのか?
「でも、1打席目に関しては見えてないと思いましたし。ま、ツーシーム、ま、でも、あれだけのバッターなので、2打席目にやっぱり、同じ球で同じ失敗しないんだなって」

ーースタントンに打たれた初球のカーブ。あれは狙われた?
「(苦笑しながら)いや、狙われたっていうか、初球のカーブをホームラン打たれることはないので。やっぱり、ソト、ジャッジときて、、一番確実にホームラン打たれない球っていうのは、やっぱスローカーブだと思ったので選択したんですけど完璧に打たれたので訳がわからなかった」

ーー次回までに修正していく点は?
「次回までに修正点ですか? えっと、股関節ですね。右の股関節がやっぱり引き込みっていうか、足あげて出ていくときの、ある程度、内旋を保ったまま出て行かなきゃいけないんですけど、それがやっぱり内旋がほどけるので早く開くっていうところがあったと思うので、それをまた明日から練習していこうと思います」

 

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 ■ 注目記事&コラム

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◆ 伊良部秀輝にヤンキース監督が強烈発言「プロ野球を辞めて別の仕事を探せ」追い詰められた伊良部の姿…マック鈴木との“伝説的投げ合い”ウラ側

水次祥子氏/情報:NumberWEB)

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 1999年5月7日、ヤンキースタジアム。メジャーで初めて日本人投手が先発で投げ合った日――。当時、現地で取材した記者が綴る「伊良部秀輝vs.マック鈴木」伝説的試合の舞台裏。〈全2回の1回目〉

◆◆◆

「絶対に負けるなとは言わない。ただ底力を見せてほしい」

 ヤンキースのドン・ジマー監督代行が試合前、その日先発する伊良部秀輝に発破をかけた。

日本人先発「史上初の投げ合い」
 1999年5月7日、ヤンキースタジアム。相手の先発はマリナーズのマック鈴木だった。日本人2人が先発投手としてメジャーで初めて投げ合うという歴史的な出来事が、メジャーの聖地と呼ばれる球場で繰り広げられようとしていた。

 野茂英雄がパイオニアとして1995年に海を渡り日本人選手が次々とその後を追うようになってから、日本人対決が幾度となく繰り広げられ、さまざまなドラマを生んできた。伊良部対マックの前には1997年6月18日に野茂と長谷川滋利、同年8月20日には伊良部と長谷川が対戦しているが、事前に登板が予告される先発同士の投げ合いは、そのマッチアップにストーリー性があればあるほど、事前の盛り上がりが大きくなる。日本人先発の初対決は日本だけでなく米国でもやはり、試合前から話題になっていた。

「先発投手はオールジャパン」

 その日の地元紙ニューヨーク・ポストには、そんな見出しが躍った。

追い詰められていた伊良部30歳
 伊良部とマックは当時、同じ日本人投手とはいってもまるで立場が違っていた。日本のノーラン・ライアンと呼ばれ97年に鳴り物入りでヤンキースに入団した伊良部は、メジャー3年目の99年は苦しいシーズンを送っていた。スプリングトレーニングから調子が上がらず、最後のオープン戦登板で2試合続けて一塁カバーに入るのを怠るという失態をおかし、当時の名物オーナーだった故ジョージ・スタインブレナー氏に「太ったヒキガエル」と罵倒され騒動になった。

 いよいよ開幕という時には先発ローテから外されシーズン最初の4試合はリリーフとして登板したが、1死しか奪えず5失点する試合もあるなど、崩れるときは派手に崩れた。5月にはエースのロジャー・クレメンスが太もも裏の肉離れで離脱したため穴埋めとして先発ローテに入るチャンスをもらったが、シーズン最初の先発となった5月2日の敵地でのロイヤルズ戦で3被弾を含む11安打6失点(自責点5)と打たれ4回1/3で降板していた。

 次の登板は、なんとしても結果を出さなければならない。

 そんな状況でマウンドに上がったシーズン2度目の先発が、マックとの投げ合いだった。もし再び打たれればマイナー落ちの危機もあり得るほど、追い詰められた状況だった。

 

「プロ野球選手を辞めて別の仕事を探せ」
「今日の登板がどうなるのか、私にもわからない。厳しい状況に耐えられないなら、プロ野球選手を辞めて別の仕事を探せとしか言えない」

 ジマー監督代行は、そんなことまで口にした。当時の監督だったジョー・トーリが前立腺がんの治療のため離脱している間にベンチコーチから監督代行になっていたジマーは、1966年に東映フライヤーズでプレーした経験があったが、日本つながりで伊良部に対して好意的だったかといえばそうではなく、むしろ突き放すような厳しさがあった。

 もう後がない伊良部に対して、マックはどうか。

マイナー用具係から…マック鈴木とは
 10代半ばで海を渡り、マイナー球団で雑用係からスタートするという真に“ゼロからの出発”といえたアメリカ挑戦。93年に野茂よりも先にマリナーズとマイナー契約を結んだが、メジャーまでの道のりは遠く険しいものだった。

 マリナーズ傘下でプレーした1年目は肩を壊して投げられなくなり、2年目の95年はリハビリのため主にルーキーリーグとA級で登板した。この年にはメジャー初昇格を果たしたが登板機会がないまま即降格。3年目の96年はAA級からマイナーの最上級であるAAA級に昇格し、さらに7月には念願の2度目のメジャー昇格を果たしたが、デビューとなった7月7日のレンジャーズ戦は6回から2番手で登板し最初の打者から空振り三振を奪ったものの、続投した7回に三塁打を浴び、敬遠と四球で満塁としたところで降板。継投した投手が打たれたため1回1/3を2安打2四球で3失点という結果に終わった。同年にメジャーで登板したのはこの1試合だけで、すぐにマイナーに逆戻りとなり、翌97年は一度もメジャー昇格のチャンスが与えられなかった。

 ようやく再昇格したのはメジャーデビューから2年後の98年、選手登録枠が拡大する9月になってようやくだった。このときはメジャーで初めて先発として起用され、3度目の先発となった9月14日のツインズ戦で7回途中まで5安打3失点(自責点2)、8奪三振の好投でメジャー初勝利。昇格後の1カ月間で6試合に登板し1勝2敗、防御率7.18と苦戦はしたが、6試合中5試合で先発に起用されローテの一員となったことは、マックにとってはステップアップだった。

 そしてマリナーズ入団から6年目の99年、遂にメジャーに定着するチャンスが巡ってきた。開幕当初はリリーフとして起用されたが、5月から先発ローテ入り。奇しくもヤンキースタジアムでの伊良部との投げ合いは、マックにとってもそのシーズン2度目の先発マウンドだった。

 

「苦労人」マック鈴木の雰囲気
 マイナーから長く下積みを経験し這い上がってきた選手と、日本のプロ野球で活躍してから鳴り物入りでメジャーに移籍した選手。同じ日本人選手でもやはり雰囲気は違っていた。わずかな給料しかもらえず言葉も通じないマイナー暮らしの中で、他の米国人や中南米出身選手に混じってたった一人でやっていかなければならない環境というのは、相当なタフさが必要であることは容易に想像がつく。

 2001年のキャンプ中、当時ロイヤルズに移籍していたマックを取材時、こんなことを言っていた。

「マイナーはしんどいこともあるけど、野球だけでなく、楽しいこともたくさんある。(日本人も)他の国みたいに、もっと10代からこっちに来てやれるようになればと思う。僕は英語も覚えたし、アメリカ人の友だちもできた」

 マイナーで下積みを経験したことが良かったと言えるそのメンタルは、間違いなくたくましかった。

試合前、緊迫の空気
 メジャーデビューから3年が経つもののまだ経験が浅くルーキーの身分だったマックは、初の日本人先発対決のときはまだ23歳。いよいよこれからという希望に満ち溢れ、与えられたチャンスを何とかものにしようと狙うハングリーな若手だった。

 一方の伊良部は30歳になっていたが、同じくメジャーデビューから3年目。大きな期待を背負って始まったメジャーでのキャリアが順風満帆とはいかず、失いつつある信頼を取り戻すべくもがいていた。立場は違うが、それぞれに野球人生がかかった大事な一戦。歴史的な投げ合いは、互いのそんな事情も絡み合い、試合前から緊迫した空気に包まれていた。

〈続く〉

(「メジャーリーグPRESS」水次祥子 = 文)

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◆ 高校中退してメジャー挑戦…23歳の日本人が伊良部秀輝と対決“マック鈴木の伝説”「マイナーの用具係を経て…」伊良部が試合後に残した言葉
水次祥子氏/情報:NumberWEB)
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 1999年5月7日、ヤンキースタジアム。メジャーで初めて日本人投手が先発で投げ合った日――。当時、現地で取材した記者が綴る「伊良部秀輝vs.マック鈴木」伝説的試合の舞台裏。〈全2回の2回目〉

◆◆◆

互角の投げ合い…マックが悔やむ「ジーターへの1球」
 1回表、まずマウンドに上がったのはヤンキース・伊良部秀輝だった。1番ブライアン・ハンターにいきなり中前打を打たれたが、後続2人を凡打に抑え、ハンターに盗塁を許した後に4番エドガー・マルチネスを見逃し三振に退け、上々の立ち上がりだった。

 一方のマリナーズ・マック鈴木は1回裏、先頭打者を凡打させた後に2番デレク・ジーターに一、二塁間を抜く右前打を許し3番ポール・オニールには四球を与えたが後続のバーニー・ウィリアムズ、ティノ・マルティネスを連続空振り三振に切ってとり、こちらも負けていなかった。

 2回は伊良部が3者凡退、マックは1安打を許したが残りを凡打に抑え危なげない投球。3回は伊良部が再び3者凡退で1回の2人目の打者から9者連続凡退の快投。マックも先頭に四球を与えるも後続を抑え、好投が続いた。4回は伊良部が4番マルティネスに今度は二塁打を許し暴投もあって2死三塁に陥ったが無失点に抑え、マックはこの試合で初めて3者凡退でイニングを終えた。

 試合が動いたのは5回だった。伊良部はこの回も下位打線を3者凡退と簡単に抑えたが、マックは2死一、二塁でジーターに3ラン本塁打を被弾。「フォークが高めにいってしまった」と登板後にその1球を悔やんだ。

 6回は伊良部が安打と内野のエラーによる無死一、二塁のピンチを無失点でしのいだが、マックはその裏、先頭から四球と二塁打で1点を追加され、1死二塁から2者連続四球と突然の乱調で満塁としたところで交代。継投した投手が打たれ、出した走者をすべてかえされた。

 マックは5回1/3を5安打7失点(自責点4)、5四球3奪三振で黒星。伊良部は7回にラス・デービスにソロ本塁打を浴びたものの7回を投げきり4安打1失点、無四球5奪三振でシーズン初白星を挙げ、ヤンキースは 10-1で圧勝した。

 

この試合を機に…マック鈴木の“評価UP”
「2人の日本人選手が同じ日に投げることは、意識しなかった。ただ試合に勝つことだけを考えていました」

 試合後のマックは、淡々と試合を振り返った。

 メジャーの日本人選手としては先駆け的な存在の1人でありながら目立つことが少なかったマックにとっては、この試合が恐らく人生で最高に注目を集めた舞台だったに違いなかった。滝川二高を中退し、十代で渡米。マイナー球団で雑用係からスタートさせ、ついに手にした先発登板のチャンスだった。特別な思いやモチベーションの高まりはあったかもしれないが、それを言葉や表情に出すことはなかった。

その後のマック鈴木…移籍で状況好転
 結果的には負け投手となったが、ちょうど黄金期の真っただ中だったヤンキースを5回途中まで無失点に抑えた投球は印象的だった。この登板の翌月にマックはトレードでメッツ、さらにロイヤルズへと移っているが、評価され望まれたからこその移籍だったと思う。その証拠にロイヤルズ移籍後のマックは先発ローテの一角を任され、2000年には32試合の登板中29試合に先発、メジャーで自身最多の8勝を挙げている。

 ロイヤルズには若い選手が多かったこともありチームにはすぐに馴染み、楽しそうに見えた。その年のシーズン序盤に取材で訪ねたときには「このチームは調子が悪くても変わらないし、落ち込むこともないし、雰囲気がいい。仲のいい選手はマイク・スイーニー。彼はいつもお祈りしてる。僕と違って真面目ですね」と冗談交じりに話していた。スイーニーというのは当時スターの階段を上り始めたばかりの若き主砲だったのだが、そんな選手ともすぐに打ち解けられるのは、やはり同じようにマイナーから這い上がってきた者同士、わかり合える部分が多かったのだろう。伊良部と投げ合った試合での力投が、マックをロイヤルズという居場所に導いたのかもしれなかった。

 そして伊良部にとっても、あの日本人先発対決は大きな意味を持つ試合になった。

 

その後の伊良部…大活躍していた
 快投を披露した翌朝のニューヨークのメディアには、賞賛の言葉が躍っていた。

「イラブが自分自身の立場を救った」

 ニューヨーク・デイリーニューズ紙はそう書き、ニューヨーク・ポスト紙はこう賞賛した。

「マウンド上のイラブは、ヤンキースが期待した通りの姿だった」     

 ヤンキースのチーム内は、ほっとしたムードに包まれた。試合後のジマー監督代行は「本当に見事な投球だった。以前にも見せてくれた彼の投球と同じだった。こういう投球をまたやってくれることを、私たちはずっと待っていたんだ。これ以上は望めないというくらいの投球だった」と目を細めた。メル・ストトルマイヤー投手コーチは、大崩れした前回の登板以降、伊良部につきっきりで投球フォームの修正に取り組んでいただけに、結果につながったことを誰よりも喜んだ。

「前回の登板よりも球が速く、力があった」

 そう振り返ったのは、バッテリーを組んだホルヘ・ポサダ捕手だった。大きな注目を集めた投げ合いが、伊良部に一段高いモチベーションと力を与えていたことを女房役として感じていたようだった。伊良部自身、登板後のクラブハウスで報道陣に囲まれ、こう振り返っている。

「この試合に、多くの人が興味を持っていることはわかっていた。いい刺激と緊張感を持って投げられた。海を渡ってこっちに来ているのだから、お互いに頑張りたい」

 伊良部はこの登板の後、先発ローテに残り、6月から7月にかけては無傷の6勝をマーク。7月にはメジャーで自身2度目となる月間最優秀投手賞を受賞した。

 メジャーでの日本人対決はその後、野茂英雄対イチロー、野茂英雄対松井秀喜、イチロー対松坂大輔、ダルビッシュ有対大谷翔平といった投手対打者による名勝負がいくつも生まれ、ダルビッシュ有対田中将大、岩隈久志対田中将大といった先発投手の投げ合いでは、縁の深い者同士ならではのドラマが繰り広げられた。伊良部とマックの投げ合いは、そんな日本人メジャーの対決の歴史の幕開けであり、その1ページを彩る好勝負だった。

(「メジャーリーグPRESS」水次祥子 = 文)

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 ■ NOTE

 

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