2024年3月2日

 

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 ■ 今日の大谷翔平(関連NEWS)

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◯ 大谷は、1日(日本時間2日)アリゾナ州グレンデールの本拠地で行われたガーディアンズ戦に「2番DH」で出場し、3打席立った。

 

第1打席は通算107勝のカルロス・カラスコ投手(36)と対戦し、カウント3-2から外角のチェンジアップを見極め、四球で出塁した。

 

第2打席は3回1死二塁、昨季巨人で開幕投手を務めたタイラー・ビーディ投手(30)と対戦。カウント3-2から内角高めの速球を引っ張り、一、二塁間のゴロが二塁手のグラブを弾きながら、右前に抜けた。先制の右前適時打となった。

 

 

同投手とは第3打席でも対戦。フルカウントから、低めのスプリットを見極め、この日2個目の四球を選んだ。

 

今キャンプでは走力強化にも取り組んでおり、盗塁も注目されたが、2度けん制され、走るタイミングがなかった。第3打席は出塁後、代走で交代。この日は3打席で1打数1安打2四球だった。

 

◯ デーブ・ロバーツ監督は試合後、大谷が2日(同3日)のカブス戦を欠場すると発表。カブス・今永昇太投手との直接対決はお預けとなった。大谷の次戦は3日(同4日)のロッキーズ戦を予定している。4日(同5日)の休養日明けとなる5日(同6日)の古巣・エンゼルス戦、6日(同7日)のホワイトソックス戦と連続出場する可能性もあるという。指揮官は「様子が良さそうだったら、水曜日(日本時間7日)は出場する」と話した。

 

 

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 ■ 注目記事&コラム

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◆ 《独占インタビュー》大谷翔平、結婚を語る…大谷さん、何と呼ばれているんですか?「さん付けですね。僕は(彼女の)名前を呼び捨てにしています」

石田雄太氏/情報:NumberWEB)

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「大谷翔平結婚」そのニュースは瞬く間に世界を駆けめぐった。結婚発表会見では語られなかった“事実”を大谷本人がNumberだけに明かしてくれた。3月7日発売のNumber1092号掲載[独占インタビュー]大谷翔平「野球翔年2024 結婚生活を語る」より、雑誌発売に先行してインタビュー内容の抜粋を特別にお届けします。

 

斬新なデート?

 

――昨年来、WBCでの世界一、ホームラン王、2度目のMVP、ドジャースとの契約、そして結婚……本当に盛りだくさんの“おめでとうラッシュ”ですね。このたびはご結婚、おめでとうございます。 

 

「ありがとうございます」

 

――大谷さんは以前、「1日40時間あったらいいのに」と仰っていました。そんな野球をやるだけで忙しかった大谷さんが奥様との楽しい時間をどうやって作っていたのか、不思議です。

 

「彼女も働いていたので去年のシーズン中はほとんどアメリカへは来ていませんし、僕が右ヒジの手術をした後も、デコ(愛犬のデコピン)とふたりでリハビリしていましたからね。わざわざ時間を作るようなことはありませんでした」 

 

――日本とアメリカではオンラインでやり取りをしていたんですか。 

 

「そうですね。電話で話をしていました。電話しながら一緒のものを見たり……お笑いも見ていましたし、ドラマも見ました。たとえば『VIVANT』とか、今はNetflixを見ています。『忍びの家』とかね」 

 

――えっ、日本とアメリカで、離れているのに同じものを見ているってことですか。 

 

「そうですね。同じタイミングでテレビをつけて、同じタイミングで再生して、みたいな感じです」

 

――それはまた斬新なデートですね(笑)。いったいどんなタイプの女性で、どんなところに惹かれたんでしょう。

 

「何ですかね……比較的、見たいものだったり、一緒に楽しめるものが多いなっていうのは感じますね。だからといって好きなものが全部同じってわけじゃなくて、彼女は小説が好きでよく読むタイプなんですけど、僕はまったく読まないタイプなんで、違うところは違う、一緒のところは一緒って感じです」

 

――最初に作ってくれた料理は何ですか。 

 

「一番最初ですか? 一番最初か……彼女はアメリカには来ていますがキャンプ地には来ていないので、最初が何だったのか、うーん、思い出せないなぁ」

 

大谷翔平が「すごく美味しかった」料理とは?

 

――じゃあ、最初じゃなくて、作ってもらって美味しかった料理は何でしょう。 

 

「彼女としては作るのが難しい料理を言ってほしいんでしょうけど……へへへ。僕はカレーがやっぱり美味しかったですね」

 

――カレーですか? 具だくさんの?  

 

「いや、ドライカレーでした。ルーから作ってくれましたよ。すごく美味しかった」 

 

――大谷さん、何と呼ばれてるんですか。

 

「僕は『さん』付けですね。『翔平さん』とか、あとは短縮した『さん』付けも……」 

 

――えっと、短縮というのは「翔さん」?  

 

「僕は名前を呼び捨てにしています」 

 

――年下なんですか。

 

 「年下です。2個下かな。僕が今年30歳で、彼女が……たぶん28歳です。あれっ、もし間違っていたらごめんなさい(笑)」 

 

――誕生日を一緒に過ごしたりとかは?  

 

「そうですね。僕の誕生日はシーズン中だったので無理でしたが、彼女の誕生日には一緒にいました。僕も彼女も仕事の予定があったりして、それがジャストの日だったのかはともかく、誕生日が近いタイミングで一緒にお祝いをしました」

 

実用的に使えるものがいいかな、というタイプ

 

――誕生日のプレゼントは何を? 

 

 「シューズです。彼女のサイズで作ってもらいました。店舗に出向いて買うのは難しかったので、人にお願いして、『プレゼントあげたいんだけど』と……もちろん誰にとは言いませんでしたが、母や(通訳の水原)一平さんにプレゼントするときもそうしてきましたから、彼女にもそうやって用意しました。僕と一緒で、何が欲しいというタイプじゃなくて、何でもいいけど実用的に使えるものがいいかな、というタイプなので……何がいいかな、これがいい、じゃあ、そうしようって感じでした」

 

――「短いスパンでたまたま何回か会った」というのは、大谷さんの生活を考えたらジムしかないと思ったんですが……。 

 

「ジムではないんですが、練習しているときだったみたいですね。というのも僕にとってはそこが微妙なところで、彼女が『最初に会った』と言うときのことを僕は認識していなかったんです。彼女曰く『すれ違いざまに挨拶してくれた』と言うんですけど、僕はそれがどこなのか思い出せない。練習施設の中の廊下だって……でも、その次の2回目と3回目に会ったときのことはしっかり覚えています。だから、2週間ちょっとの間に3回、うち2回は会ったのを僕も覚えています(笑)」

 

結婚の決め手は「僕にもわかんないです」

 

――大谷さんはエンゼルスを選んだときも右ヒジの手術を決断したときも、直感を大事にしてきましたが、今回も直感のようなものはあったんですか。

 

 「どうなんでしょう。それもあるとは思いますが、一緒にいて楽だし、楽しいし。僕はひとりでいたときとそんなに変わらずにいられるんです。彼女がいるからといって喋り方が変わるとか食べ方が変わるとか、そういうことなく、気を遣う必要がないので、最初から僕は何も変わらずにいられるというスタイルでした。そういうところなんじゃないかな」 

 

――それこそ決め手じゃないですか。 

 

「決め手か……決め手は、何なんでしょうね。僕にもわかんないです。これっていうものが、悪く言ったら決め手を欠くし、よく言えばいっぱいあるし……へへへ」 

 

――“野球翔年”大谷翔平、いつまでも子どもだなあと思っていましたが、ついに夫なんですね。

 

「そうですねぇ……と言いつつも、僕は変わっていないので、結婚したりワンコがいたりというのは変わったところですけど、今のところは実感はないですね。子どもができれば変わるのかもしれませんけど、そこまでの大きな変化は感じていません」 

 

――彼女の前では子どもなんですか?  

 

「僕ですか? どうなんでしょう。僕のほうが年上なので……でも、それは彼女に訊かないとわかりません(笑)」

 

(「メジャーリーグPRESS」石田雄太 = 文)

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◆ 大谷翔平の結婚発表に「今思えば…」婚約した昨年からの変化…担当記者が「見た」

安藤宏太氏/情報:スポーツ報知)

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 新たな伴侶と人生を歩む決断をしたドジャース・大谷翔平投手(29)。これまで野球一筋に生きてきた中、婚約したと明かした昨年頃から行動に“変化”が見て取れるようになった。「かけがえのない人」と接する中で変わりつつある大谷を、番記者の安藤宏太記者が「見た」。

 

 19年から大谷を追う担当記者として恥ずかしながら、結婚発表には本当に驚いた。実際に大谷の口から聞くまでは半信半疑だったが、「今思えば…」という変化がなかったわけではない。

 

 誰よりも野球に一直線な男。誘惑、雑音を断ち、自分の道だけを進んできた。だからこそ、二刀流という道なき道を日本だけでなくメジャーでも切り開けたことは疑う余地がない。

 

 だが、婚約したと明かした昨年から視野が広がったように映った。3月のWBCでは、短い時間ながらも積極的に周囲と交流。シーズン中はほぼ外食すらしない男が、決起集会に参加し、多くの選手の質問や疑問に可能な限り答えた。エンゼルスに戻ってからも、若手に助言を送る場面が増えた。

 

 今季はドジャースで山本と同僚になり、4歳年下の右腕をかなり気にかけている。ブルペンにわざわざ足を運び、28日(同29日)には、車で30分ほどかかる敵地の球場まで行って、山本のオープン戦初登板を見守った。

 

 私生活でも犬を飼い始めるなど、気持ちに余裕が出てきているようにみえる。今キャンプは新天地ながら練習中に笑顔が多く、これまで以上に野球を楽しんでいる。振り返れば、婚約とほぼ時を同じくして少しずつ“変化”を見せていた。愛妻の存在によって、大谷は野球人としてさらなる高みへ進むだろう。(安藤 宏太)

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◆ 大谷翔平の結婚“じつは異例だった”囲み取材の決断…日本人選手のメディア対応、どう変化? 過去に米国で騒動「まとわりつくハエのよう」

水次祥子氏/情報:NumberWEB)

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 野茂英雄から大谷翔平まで、日本人メジャーリーガーに殺到する日本メディアは、アメリカでどう見られていたのか? 長年メジャーを取材する筆者が振り返る。〈全2回の2回目〉

 

 新庄剛志がジャイアンツにトレードで移籍した2年目のこと。日本メディアを巡るちょっとした騒動が起こった。

 

地元紙の記事「まとわりつくハエのよう」

 出場機会がどれだけ得られるかわからない立場だったメッツでの1年目とは違い、サンフランシスコでは日本のスター選手が来たと盛り上がり、大きな期待と注目を集めていた。新庄を追ってメッツをカバーしていた日本人メディアもほぼ全員、今度はサンフランシスコに移ったのだが、シーズン開幕時に球団の広報部長が日本人記者全員を高級ステーキハウスに招待してくれたほどの歓迎ぶりだった。

 

 そんな中で、地元の最大手紙サンフランシスコ・クロニクルが、開幕して間もなく新庄の大きな特集記事を掲載した。そこにはこんな一文があった。

 

「ツヨシ・シンジョウには、常に周りにまとわりつくハエのように、日本のメディアが集まっている」

 

 その記事が出た日、筆者も含めた日本人記者たちが球場に到着すると、この一文は一体何だという話題になった。「人種差別だろ」と憤る記者もいたし「そうかな」とその意見に否定的な記者もいた。

 

 筆者自身は、差別かどうかは別として、見下されているとは感じた。サンフランシスコという街はマイノリティーの人々による「差別反対」の抗議活動において長い歴史を持つため差別に関して敏感な街という印象だが、それと同時に富裕層と貧困層の差が激しい街でもある。富裕層はエリート意識が強く、クロニクル紙の記者もそんなエリート意識を持つ層の1人という印象だった。ある日本人記者が代表してその記事を書いた記者に抗議し、話し合った末に和解したが、嫌な思い出として今も記憶に残っている。

 

松井秀喜の時代「なぜ騒動ならず?」

 その後も大物の日本人選手がメジャーに移籍するたびにメディアサーカスは起こったが、受け入れる米国側も取材に行く日本側も経験を重ね、戸惑うことは少なくなっていった。2003年に巨人からヤンキースに移籍した松井秀喜は、日本からともに海を渡った広岡勲氏というに専属広報がいたこともあり、メディアの数は多かれど統制が取れていた。他の選手に迷惑がかからないよう配慮し、日本メディアがクラブハウスで松井を囲むこともほとんどなかった。試合後の囲み取材は連日行われたが、松井が入団した当時の本拠地である旧ヤンキースタジアムは会見場がホームのクラブハウスからかなり離れた場所にあり、他の選手はおそらく誰も、日本人メディアの取材がその場所で日々行われていたことに気づいていなかっただろう。

 

 その年、ヤンキースのメディア対応に舌を巻いたことがある。松井とメジャー3年目のマリナーズのイチローが顔を合わせた2003年8月8日のヤンキースタジアムでの試合だった。当時、この日本の2大スターがメジャーの同じ舞台に立つというインパクトは相当なもので、日本のメディアの数も倍に膨れ上がった。試合前の練習中のグラウンドはおびただしい数の報道陣で埋め尽くされ、ワールドシリーズかスーパーボウルのような賑わいになった。

 

松井とイチローの対戦「臨時スタッフが出現」

 実は2人が対戦したのはこれが初めてではなく4月29日から3日間、マリナーズがヤンキースタジアムに遠征しており、その時点ですでに2人とも試合に出場していた。ヤンキースはその経験を踏まえ、8月の対マリナーズ3連戦に備えていた。このシリーズのためだけに臨時の日本人スタッフを配備し、300人を超えるメディアの対応と日本人観戦客のサポートに当てたのだ。

 

 普段は会計士をしているというニューヨーク在住日本人のその臨時スタッフは「警備会社の幹部をしている知人から、日本人のスタッフがいなくて困っていると言われ、私がやることになりました。メディアの受付対応をして、試合が始まるころに客席のコンコースを回り、主に松井さんが守っているレフト側を担当しました」と話していた。メディアだけでなく、その3連戦には1000人を超える日本人観戦ツアー客が訪れたという。

 

記者の葛藤「伝える」と「配慮」

 日本人選手を取り巻くメディアサーカスのこれまでを当事者として振り返ると、自分の使命と周囲への配慮との間には、しばしば葛藤があった。日本人選手を囲んで直接話を聞ける機会がある場合はまだいい。しかし投手の場合は登板前日と登板日の試合後というように、週に多くて2回しか囲み取材をする機会がない。しかしその選手を担当し球場に取材に行っている以上は毎日、何かしら記事を出稿しなければならないという使命があった。困って投手コーチに話を聞きに行く場合も多く、あまりにも頻繁に話を聞きに行ったため嫌がられたこともあった。申し訳ないとは思いつつ、そうする以外にはなかった。

 

大谷「囲み取材で対応」の意味

 あれから20年が経った。いまメジャーリーグには、大谷翔平という稀代のスーパースターがいる。日本人選手ではあってもスターともなれば、日本メディアだけでなく米国メディアからも注目される。日本人選手について周りのチームメートや対戦相手から話を聞きたいとき、米国人記者が先に聞くということがよくある。大谷がまさしくそんな選手である。

 

 その点、大谷が結婚を報告した自身のインスタグラムには、「明日の囲み取材で対応をさせていただきますので……」とも書かれていた。結婚について質問を受けるという、異例の意思表示である。日本だけでなく米国でも大きなニュースになるというスターとしての自覚と、野球に集中したいという強い意思がうかがえた。

 

 日本だけにとどまらない大規模なメディアサーカスは、これからも続いていくだろう。情報を伝えつつも、公表理由に「皆さんうるさいので(笑)」と冗談めかしながら釘を刺す――大谷の結婚報告は、自身の経験から大谷が導き出した最善のやり方だった。

 

(「メジャーリーグPRESS」水次祥子 = 文)

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◆ 「1月11日に日本に滞在していたことにも意味が…」大谷翔平がはぐらかした“入籍日”の有力候補「大谷にとって『1』は特別な数字」

木嶋昇氏/情報:文春オンライン)

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 米大リーグ、ドジャースの大谷翔平(29)の結婚は世界へのビッグサプライズとなった。発表された時、日本は2月29日午後4半頃、大谷がキャンプを行っている米アリゾナ州グレンデールは29日午前0時半頃で日付が変わったばかりだった。大谷は自身のインスタグラムで「結婚いたしました事をご報告させていただきます。(中略)お相手は日本人女性です」とつづった。

 

 3月20日のメジャー開幕戦へ順調に調整を進める中、4年に一度のうるう日となる2月29日、29歳というタイミングでのまさかの発表だった。手練れの米国人野球記者にさえ誤報を打たせるほど秘密裏に交渉を進めたドジャース移籍時と同様、結婚でもまたも日米のメディアを出し抜く形になった。

 

 しかし、ここ数カ月の動きをつぶさに見ていくと、いくつもの予兆があったことに気付く。

 

 ながらく、大谷の結婚は世界的な関心事だった。昨オフにドジャースとは世界のスポーツ史上最高額の10年総額7億ドル(約1015億円=レートは当時)で契約に合意。「世界のオオタニ」となり、ニュースバリューは極限まで膨らんでいた。

 

「結婚とか子供も含めて平穏に暮らしたいなというか」

 

 それでも、浮いた話ひとつ出てこない。シーズンは球場と自宅の往復で、オフもトレーニング漬けの日々……。自身初の最優秀選手(MVP)に輝いた21年のオフ、日本記者クラブで臨んだ会見では結婚のタイミングを問われ「特に考えていないですね。良きタイミングでというか……。そうなるようにしかならないものだと思っているので。今のところまだまだ少し先じゃないかと思っています」と答えている。

 

 一方で、昨年12月に自身のスポンサー企業が公開したインタビュー動画では具体的な結婚のビジョンに触れた。

 

「結婚とか子供も含めて平穏に暮らしたいなというか。心が平穏なことが何よりもいいことかなと思うので、私生活はそうでありたいなと。仕事柄、多くの人の前でプレーするということをしているので、それはまた違う楽しみ」

 

 違いは明白だった。

 

 昨年11月、2度目のMVP受賞会見では愛犬『デコピン』の存在を明らかにした。

 

「直前には2度目の右肘の手術を受け、試練に直面していました。リハビリ中に独り身の寂しさを紛らわすためなのかなと受け止めていましたが、よく考えれば、ペットに逃げ道を求めることは、われわれが知る大谷像とはかけ離れています。またシーズンに入れば、遠征中に家を空けることになり、その間は他人に世話を任せることがわかっているのにペットを飼うというのも大谷らしくありません。この時覚えた違和感を、もっと深掘りすべきでしたね」(エンゼルス時代からの番記者)

 

「今年の1月11日に日本に滞在していたことにも意味があるように思えます」

 

 実際、大谷は囲み取材で「ぼやっとは考えていました」とデコピンを交えた夫婦生活をイメージしていたことを認めている。

 

 デコピンのもともとの名前である『デコイ』は、英語で「おとり」を意味するという事実は周知の通りだ。フリーエージェント(FA)の去就が注目されていた当時、日米のメディアの関心をイヌに向けさせる意図があるとも囁かれたが……。おとりであるとともに、大谷の身を固める気持ちの表れでもあったようだ。

 

 年が明けても、大谷の行動は確かにこれまでとは違っていた。1月11日、大谷が東京都内の米大使館を訪問していたことが判明したのだ。ラーム・エマニュエル駐日大使はデコピン用のビザを発給したことをうかがわせる写真をSNSに掲載した。

 

「この時期はアメリカでリハビリや練習に励んでいるのかと思っていました。日本ハム時代、大谷はルーキーイヤーの2013年1月11日に新人合同自主トレーニングでプロとしての第一歩を踏み出しています。また、17年オフにメジャー挑戦が決まり、日本記者クラブでの会見で正式に表明したときも11月11日11時が開始時刻。ハム時代の背番号も11で、実家で飼っていた愛犬の誕生日も11月11日。世界一の選手を目指してきた大谷にとって『1』は特別な数字で、今年の1月11日に日本に滞在していたことにも意味があるように思えます」

 

 前出の番記者は意味深な言い回しで、こう続ける。

 

「大谷は囲み取材では、婚約は昨年と明らかにしていました。ですが、入籍日は『特に言わなくていいのかなと思っている』とはぐらかしています。しかし今思えば、日本に帰り1月11日に米大使館に出向いたのは奥さんのビザ発給のためだった可能性もあります。この一時帰国の機会に、入籍の手続きを取ったことは十分に考えられると思っています」

 

報道に対して異例の「この様な事実は一切ありません」

 

 大谷の変化はさらに続いた。1月31日に「大谷の通訳である水原一平氏の妻が元ファイターズガールで、チアリーダーだった女性から大谷を紹介してと言われて困惑している」と一部週刊誌メディアが報じた。

 

 これに対し、水原氏はインスタグラムで妻は一般人であると否定。さらに大谷は水原氏よりも前にインスタグラムのストーリーズで「一平さん夫妻にこの様な事実は一切ありません。事実とは異なる報道が多数ありますので皆さまご注意ください」と投稿した。

 

「大谷はこれまで、自分のことでたとえ事実と異なる記事などが出ても、クレームを付けることはなく、『間違ったことがいっぱい出ていますよね』と他人事のようでした。同じメジャーリーガーでも自身の書かれ方に敏感で、時に記者に注文を付けるダル(ダルビッシュ有=パドレス)やマー君(田中将大=楽天)とは正反対のスタンスですが、水原さんの時は違いました。自分のことはともかく、自分の家族のような存在に対する事実と違った報道は看過できない、ということでしょう。この時すでに、奥さんのことや周囲の親族に同様のことが起こることを予期し、けん制していたのかもしれません」(同記者)

 

 インスタでの結婚報告の文面は、こう結ばれていた。「今後も両親族を含め無許可での取材等はお控えいただきますよう宜しくお願い申し上げます」

 

 丁寧ながら家族を守る断固たる意思が垣間見える言葉で、1カ月前のストーリーズの投稿と、点と点が結び付いた。

 

木嶋 昇

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 ■ NOTE