2017年5月7日

 

階段昇降、20分以上!

 

昨日6日、ファイターズは、敵地でのバファローズ戦に5対2で勝利し、5月に入ってから無傷の5連勝。開幕投手を務めた先発の有原航平が、7回2失点の粘投で今季6度目の登板で初勝利を飾った。

 

打線は1点ビハインドの3回に、矢野謙次がレフト線への2点タイムリー二塁打を放ち逆転。3回裏に同点に追いつかれたが、5回に中田翔がセンター前のタイムリーヒットを放ち勝ち越した。

 

大谷翔平が戦列へ戻るまで、1試合1試合大事に戦い、上位進出に食い込んでいって欲しい。

 

そんな大谷は、リハビリの一環で6日、階段歩行を始めた。千葉・鎌ケ谷の2軍施設で外野をウオーキングした後、球場の内野スタンドの階段を20分以上かけ昇降。最後は速度もあげた。

 

その後は室内練習場でキャッチボール、ティー打撃などをこなした。「よくなりました。(大股での階段も)大丈夫」とコメント。本田訓宏ファームトレーナーは「(階段は)運動量確保のための一つ」と説明。順調なら近日中にジョギングを再開できる見通しだという。

 

こちらも一歩一歩焦らず、完全復調を目指して欲しい。

 

 

Number900号!羽生世代

 

今春、このブログをスタートさせたときに大人買いした、過去の大谷翔平が掲載された雑誌や書籍の数々の中から、今日は『Sports Graphic Number』の記念すべき創刊900号、「羽生世代 最強の証明。」をピックアップ。

 

丁度、ほぼ1年前の2016年4月14日に発売されたこの号に、1994年生まれの羽生世代である、大谷が取り上げられている。

 

この段階では、同じ1994年生まれでも、世界レベルのオリンピックで金メダルを獲得し、日本国内でも大人気のフィギュアスケーター、羽生結弦が表紙や巻頭記事含めて、メインコンテンツと据えられている。

 

そういえば、以前にこのブログを始める時に、スポーツ関連ブログのランキングをチェックしたことがある。

 

そのときの上位ランキングは、ほとんど羽生選手がテーマになっていることに気づいた。予想以上の人気に驚いたことがある。ブログ寄稿者は、ほぼ女性だった。

 

 

大谷の少年時代

 

大谷の記事は、羽生選手の次の20頁目から、4頁にわたり割かれている。執筆担当は、大谷の取材を定期的に行っている「野球翔年」記事でもおなじみ、石田雄太氏。

 

記事の要約ポイントをピックアップしてみると、ざっとこんな感じである。

 

・大谷が野球を始めた小学2年生の2002年には、メジャーでイチローが2年連続200安打のヒットを積み重ね、巨人の松井秀喜が国内最後のシーズンをすごし、自身初の50号ホームランを放った年。世間は日韓ワールドカップ・サッカーで日本代表が決勝トーナメントに進み、サッカー熱が強い時代にあっても、父親の影響を受けて野球の道に進んだこと。

 

・大谷が野球で圧倒的に頭角をあらわす小学6年生の2006年には、第1回WBCが行われ、イチローが牽引する日本代表が世界一になった。翌年には当時西武の松坂大輔がメジャーのレッドソックスへ入団し、野球界の国内スーパースターは、皆メジャーへ行く流れが自然の流れであった。それでも、メジャー入りを意識したのは、その後、メジャー関係者に声を掛けられるまでなかったこと。

 

・大谷世代は、トップレベルの選手がメジャーへ行き、WBCで日本代表が世界一になり、インターネットを通じて、世界中の野球を覗くことができる環境で育ってきたので、世界レベルのメジャー挑戦は、ごく自然の流れであったこと。

 

・世界レベルで戦う羽生選手が1994年生まれの「羽生世代」を牽引するが、大谷が将来メジャーの舞台でトップに上り詰める日が来ても、大谷は「羽生世代」と呼ぶだろうし、羽生選手が「大谷世代」と言うに違いない、と締めくくられている。

 

 

★2024年1月21日 NEW更新後記

 

Number900号を取り上げたブログ記事。当時は、誌面の要約を記録したに過ぎなかった。今、あらためて同号を読み返してみると、印象に残るインプットは全く異なるものになった。

 

印象に残ったのは、22頁最上段の大谷の談話。

 

「僕が物心つく前からお父さんやお兄ちゃん、お母さんともキャッチボールをしてきたからでしょうし、早く野球をはじめて、単純にボールを扱っている時間が他の子たちより長かったからだと思ってました。

 

ただ、最初からあったそういう自信が、その後も継続して積み重なって、さらに広げたいなという気持ちにつながったのかもしれません。ですから、最初の自信というのが大事でしたね」

 

”最初の自信”、小さな成功体験は、やっぱり重要なんだなとあらためて思った。

 

スポーツ家系に生まれ、野球をやってきたお父さんの存在、6つも上にいる野球をやっていたお兄さんの存在という家庭環境は、間違いなく大谷の初動に影響を与えたのだろう。

 

それから同じ22頁の中段からの談話も印象に残る。

 

「全国大会に出ましたけど、千葉のチームに1回戦で負けましたし、相手のピッチャーが僕よりもいい球を投げていて、相手の4番バッターが僕よりもいい打球を打っていた。その1回戦で負けた相手が次の試合であっさり負けて・・・

 

そういう現実を見せつけられたら、やっぱり僕はたいしたことないんじゃないかと思いました。僕はしょせん、狭い範疇で野球やっているんだな、岩手では大谷、大谷と言われても、そんなの、それこそ小さな枠組みの中の話で、全国にはもっともっと上がいるんだなと思い知らされました」

 

中学生ながら、冷静に客観的に自分自身の立ち位置や現在地を分析している。レベルの高い枠組みや環境に入る重要性に、心底気づいている。

 

素直に驚く。

 

そして、石田雄太氏の最後のくだりもいい。

 

「いずれ大谷がメジャーの舞台でトップに上り詰める日が来ても・・・」そんな時代が本当に来たし、今この世代特集を企画するなら、間違いなく「大谷世代。」とNumberは表紙にもってくるだろう。

 

 

今、KinKi Kids堂本剛との電撃結婚で話題の百田夏菜子も、当時の同世代として取り上げられている。WEB版も記事化されていた。同世代なんだ!