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2024年1月1日

 

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 ■ 今日の大谷翔平(関連NEWS)

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◯ エンゼルスからFAでドジャースに移籍した大谷が昨年に続き、スポニチ読者へ年賀状を送った。メジャー6年目の昨年は日本選手初の本塁打王に輝き、2年ぶり2度目のMVPを獲得。オフにはスポーツ界史上最高の10年総額7億ドル(決定時約1015億円)でド軍と契約を結んだ。世界に誇る二刀流が新たな決意を示すとともに、さらなる飛躍を誓った。海を渡って7年目を迎えた。今オフ初めてFAとなり、ドジャースに移籍した多忙な時期にもかかわらず、大谷はスポニチ読者への年賀状を忘れてはいなかった。

 

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 ■ 注目記事&コラム

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◆ ドジャース・大谷翔平から年賀状「新たな環境での再スタートに身も心も引き締まります」

柳原直之氏/情報:スポニチ)

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 エンゼルスからFAでドジャースに移籍した大谷翔平投手(29)が昨年に続き、スポニチ読者へ年賀状を送った。メジャー6年目の昨年は日本選手初の本塁打王に輝き、2年ぶり2度目のMVPを獲得。オフにはスポーツ界史上最高の10年総額7億ドル(決定時約1015億円)でド軍と契約を結んだ。世界に誇る二刀流が新たな決意を示すとともに、さらなる飛躍を誓った。

 

 海を渡って7年目を迎えた。今オフ初めてFAとなり、ドジャースに移籍した多忙な時期にもかかわらず、大谷はスポニチ読者への年賀状を忘れてはいなかった。

 

 「チームは替わりますが、野球への情熱は変わらず皆さんと一緒にさらなる飛躍の一年にしたいと思います」。2024年元日。自身初のプレーオフ(PO)進出、夢のワールドシリーズ(WS)制覇に向け、率直な思いをしたためた。

 

 昨季は44本塁打で日本選手初の本塁打王を獲得。投手でも2年連続2桁となる10勝を挙げ、史上初となる2度目の満票でア・リーグMVPに輝いた。そして6年在籍したエンゼルスやブルージェイズ、ジャイアンツなどの争奪戦の末、ド軍への移籍を決断した。

 

 スポーツ界史上最高の10年総額7億ドル(決定時約1015億円)の大型契約。さらに97%の6億8000万ドル(同約986億円)を後払いにする異例の契約は「勝ちたい」という思いの表れだ。ド軍は補強の予算を捻出できたことで、投手史上最長で最高額となる12年総額3億2500万ドル(同約462億円)で山本を獲得。大谷も「ぜひ獲得してほしい」と進言し、交渉にも同席して日本人最強タッグ結成に尽力した。

 

 「新たな環境での再スタートに身も心も引き締まります」

 

 昨年9月に2度目の右肘の手術を受け、今季は打者に専念する。入団会見では既に素振りを再開していることを明かし「開幕に十分間に合う」と明言。3月20日のパドレスとの開幕戦(韓国・ソウル)に向け、新たな本拠ドジャースタジアムで練習に励んでいる。

 

 初めて主戦場にするナ・リーグは昨季史上初の「40本塁打、70盗塁」を達成したブレーブスのアクーニャを筆頭に強力なライバルがそろうが、史上4人目の両リーグ本塁打王や、過去61、66年のフランク・ロビンソン(レッズ、オリオールズ)しかいない両リーグMVPに期待がかかる。

 

 ド軍は11年連続PO進出も、WS制覇はコロナ禍で短縮シーズンだった20年のみ。デーブ・ロバーツ監督はPOへの秘策として、手術した右肘の回復次第ではシーズン終盤の左翼起用の可能性を掲げ、来年の投手復帰に備える大谷も了承した。7月5日に節目の30歳を迎える世界の二刀流。メジャー第2章がいよいよスタートする。(柳原 直之)

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◆ 大谷翔平移籍でも「日ハムユニは欲しい」 エ軍ファンの胸中…記者に明かした“使い道”

川村虎大氏/情報:Full-Count)

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 WBCから始まり、2度目の満票MVP、ドジャースへの移籍――。2023年、大谷翔平投手は歴史的な1年を送り、多くのファンを熱狂させた。メジャー取材1年目の記者にとっても、米国の地でその影響力を感じさせる出来事は沢山あった。6月、敵地レンジャーズ戦に帯同していた時、テキサス州のホテルで1人の熱狂的なエンゼルスのファンに出会った。

 

 仕事を終え、ホテルのロビーで休憩していた際に2人組の男性が声をかけてきた。片方がエンゼルスのユニホームを着用し、片方はドジャースのキャップをなぜか被っていた。「オオタニはドジャースだ!」「エンゼルスだ!」と楽しそうに言い合う2人と意気投合した。

 エンゼルスのユニホームを着用していたロジャースさんは30年近くエンゼルスファンだった。ロサンゼルス在住で、記者はその後、本拠地の試合で再会。試合後、ご飯に連れて行ってもらうなど、友好を深めた。

 

 日本に帰る直前、こんなお願いをされた。「日本に帰ったら、オオタニのユニホームを買ってきてくれないか?」。日本ハム時代のユニホームはもう日本でも売っていない。「買うにしても中古か、金額が高くなっていると思う」と返すと「どうしても欲しいんだ」と返してきた。

 

 記者が「ドジャースに行っても?」と聞くと「オオタニはドジャースに行かない。だから大丈夫だ」の一点張りだった。「来年もエンゼルスにいて、自分がアメリカに行くことになったら買ってくる」。そう約束して、記者は日本に帰った。

 

 12月9日(日本時間10日)、大谷はドジャース入りを発表した。日本帰国後も、記者はロジャースさんと連絡を取り合っていたが、その日も涙の絵文字だけ送られてきた。「ユニホームどうするの?」と聞くと、「Forever Angels」と生涯エンゼルスファンを誓った後、「日本ハムのユニホームは欲しい」とお願いされた。

 

 エンゼルスファンにとっては複雑な心境だろう。隣の常勝球団に奪われ、自らが応援するチームは9年連続プレーオフ進出を逃している。それでも「オオタニはどこへ行っても応援し続けるよ」とロジャースさん。「ドジャースタジアムならすぐに見に行ける。エンゼルスファンとわからないユニホームを買ってきて」。日本ハムのユニホームの、使い道がわかった。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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◆ ユニホームの売上はメジャー全体1位、1人で観客を4000人増…大谷翔平の「高すぎる価値」が故障でも下がらない納得の理由

四竈衞氏/情報:文春オンライン)

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 世界一に輝いた2023年3月のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本中を熱狂させ、その後の公式戦でも「二刀流」で異次元の活躍をみせ、世界中の野球ファンを魅了した大谷翔平のメジャー6年目が終了した。打者として44本塁打を放ち、日本人選手として初のリーグ本塁打王に輝いただけでなく、OPS(出塁率+長打率の打撃指標)が1.066とメジャー全体の1位を記録。投手としても2年連続2桁勝利となる10勝を挙げた。

 

SNSで語った「不本意ながらシーズン途中で…」

 

 右肘靱帯損傷のため8月23日を最後に登板せず、さらに右脇腹痛に見舞われて打者としても9月3日が最終戦となったにもかかわらず、全米野球記者協会所属の記者による投票により、本稿執筆時点で21年以来2年ぶり2回目となるリーグMVPの最有力候補とされる。それほど、大谷が投打で残した成績はメジャー最高レベルの領域に達していた。

 

 不運な形で23年シーズンを終えたが、24年以降へ向けた切り替えも速かった。投打ともにプレー継続を断念した後、9月19日にはロサンゼルス市内のカーラン・ジョーブ整形外科クリニックで右肘の手術を受けた。施術の詳細は明かされていないが、前回18年10月の手術で移植した腱の修復と同時に、新たに自分の別の腱を移植して、そこに人工靱帯で補強する「ハイブリッド手術」だったと見られる。術後には大谷自らインスタグラムを更新し、今後へ向けて心境を綴った。

 

「早朝に手術を受け無事成功しました。不本意ながらシーズン途中でチームを離れることになりましたが残り試合のチームの勝利を祈りつつ、自分自身一日でも早くグラウンドに戻れるように頑張ります」

 

 2度目の手術でもあり、復帰成功率を不安視する声も囁かれる一方、執刀医のニール・エルアトラッシュ医師は手術後に、「大谷の完全な回復を期待している。2024年の開幕には制限なく打てる状態になり、2025年の開幕には二刀流として復帰できると思う」と、今後の見通しを明かした。

 

 実際、メジャー屈指の強打者ブライス・ハーパー(フィリーズ)は22年11月に「トミー・ジョン手術」方式の靱帯修復術を受け、わずか160日後に「DH(指名打者)」としてメジャーに復帰した。医療技術、リハビリ、トレーニング方法の進歩に伴い、同手術後としては最短での復帰が実現したこともあって、大谷の場合も順調に進めば24年3月28日の開幕戦に打者として出場できる可能性は十分にある。

 

 その一方で、前回の手術から復帰後、投手としても稼働したわずか3シーズンで再手術となった事実は見過ごせまい。無論、どの投手にも故障のリスクはあり、再手術にいたった選手も少なくない。ただ23年の大谷の場合、WBCからフル回転でプレーし、開幕後は登板日にも打席に立ち、他の試合はほぼ「DH」としてフル出場を続けてきた。7月27日のタイガースとのダブルヘッダーでは、第1試合で投手として初完封し、わずか45分後に始まった第2試合で2打席連続本塁打を放つ離れ業もやってのけた。

 

故障で評価に影響はある? ない?

 

 大谷の体に異変が生じ始めたのはその後だった。脚や右手、中指など複数箇所に相次いで痙攣を訴え、途中交代するケースもあった。大谷自身、原因は疲労と認識していたが、これは明らかな危険信号だった。それでも大谷は休むことなくグラウンドに立ち続けた。その都度、エンゼルスのフィル・ネビン監督(当時)は「彼とは毎日コミュニケーションを取っている」と説明した。しかし結果的に再手術という最悪の結果に繋がってしまった。プレー継続は大谷の意思を尊重したもので、選手は個人事業主とはいえ、球団の管理責任能力を問う声も多い。

 

 23年シーズン後にフリーエージェント(FA)となった大谷の契約については、これまでメジャー関係者の間で8~10年の複数年契約で総額5億ドル(約725億円)以上の北米スポーツ史上最高額を含め、空前の契約規模になるのはほぼ確実と見られてきた。しかし今回の故障で評価が変わるとする見方が一部に出てきた一方、ほとんど影響しないと見る向きも依然として多い。また24年は長期契約ではなく、まずは短期契約を交わして、「二刀流」復活の際、改めてFAとなる可能性も捨てきれない。いずれにせよ投打両部門で「オプトアウト」(契約見直し)、細かいインセンティブを含む複雑な契約になるとみられる。

 

ユニホーム売上げはメジャー全体で1位

 

 たしかに24年は「DH」だけの出場に限定される。しかし25年以降、再び「二刀流」として復活できれば、大谷の商品価値が下がることはないだろう。なぜなら大谷の場合、投打の戦力としてだけでなく、選手としての付加価値がズバ抜けて高いことが明らかになったからだ。

 

 23年はレプリカユニホームの売上げがメジャー全体1位を記録しただけでなく、広告収入、観客動員などビジネス面でのプラスが他の選手とは比較にならないほどアップした。その結果、打者としてはアーロン・ジャッジ(ヤンキース)らメジャーを代表するスラッガーと同格であり、投手としてもジャスティン・バーランダー(アストロズ)らサイ・ヤング賞クラスの剛腕と同等と評価され、「エースと4番」の2人分に相当する高額の計算式が妥当と目されるようになった。

 

 雑誌『ザ・ニューヨーカー』も「マイク・トラウトから三振を奪ってWBC優勝を決めるなど今季もっとも記憶に残る瞬間の多くは大谷」だが、同時に「大谷は投手として先発した敵地で平均約4000人の観客増を記録した」と指摘する。

 

 現代野球では不可能とされてきた「二刀流」を、もっとも高いレベルで実現させた大谷が次に見据えるものとは何か。いかなる決断を下したとしても“唯一無二”の大谷が、24年以降も特別な存在であることに変わりはない。

 

◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『 文藝春秋オピニオン 2024年の論点100 』に掲載されています。

 

四竈 衛/ノンフィクション出版

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◆ 《1000億円移籍》大谷翔平(29)が“生涯ドジャース”を決断した“4つのワケ”

(情報:文春オンライン)

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〈次のチームにドジャースを選ぶことを決めました〉

 

 12月9日、大谷翔平(29)は自身のインスタグラムでドジャースへの移籍を表明。契約金はプロスポーツ史上最高額の10年総額7億ドル、日本円にして実に1015億円となる。10年後、大谷は39歳になる。実質「生涯ドジャース」を決めた格好だが、その重要な決断の背景には大谷の“マイルール”があった――。

 

◆ ◆ ◆

 

ドジャースの誠意がようやく伝わった

 

 メジャー史上初の2年連続「2桁勝利、2桁ホームラン」を達成し、アジア人初の本塁打王を獲得、11月には2度目のMVPに輝いてシーズンを終え、最盛期のとば口に立つ大谷の争奪戦が激化するのは当然のこと。約1カ月の極秘交渉を経て、大谷が新天地として選んだのは、ロサンゼルス・ドジャースだった。決断に至るまでのマイルールを密着記者の言葉から探る。まずその一は球団の熱意。

 

「この14年間、ドジャースは大谷選手へのアプローチを怠らず、愛を送り続けてきた。ようやくその誠意が伝わったのでしょう」

 

 そう語るのはMLB記者の笹田幸嗣氏だ。

 

 ドジャースと大谷の出会いは花巻東高校時代に遡る。

 

「大谷選手が高校1年生の時、真っ先にその才能を見出したのが、ドジャースのスカウトでした。高校3年生の秋にメジャー挑戦を表明した際も、最初に交渉の席につき、ドジャース行きが決まりかけていましたが、日本ハムの強行指名により事態は一転。栗山英樹監督から説得を受けた大谷選手は日ハム入団を決めた」(同前)

 

大谷のためにすべてやった

 

 17年オフ、日ハムからポスティングシステムでメジャー移籍を目指した際も最後まで候補に残ったが、獲得には至らなかった。

 

「それでもドジャースは“人事を尽くして天命を待つ”という姿勢で、大谷選手獲得のためにやるべきことをすべて行い、この日に備えてきた。資金面もそうですが、本来複数の選手を起用するDH(指名打者)の枠を1人の選手で埋める運用に変えた上で、大谷選手のために空けるなど万全の用意をして交渉に臨んだ」(同前)

 

 大谷が移籍を表明する4日前、ドジャースのデーブ・ロバーツ監督は「ショーヘイと会ってきた。手ごたえはあったと思う」と交渉の中身を明かし、報道陣を驚かせた。ここにマイルール二、信頼関係が見える。

 

ドジャースの勝利への執着

 

 大谷の密着取材を続けるスポーツライターの斎藤庸裕氏は語る。

 

「ロバーツ監督は他球団の監督が『オータニ』と呼ぶ中、『ショーヘイ』と親しみを込めて呼んでいる。二刀流を高く評価し、その獲得を『トップ・プライオリティ(最優先)』と表明したことからも、両者に信頼関係があるように感じました」

 

 ドジャースは13年以降、11年連続でポストシーズンに進出。10度の地区優勝を果たす“常勝軍団”。大谷にとっては毎年オープン戦や公式戦で戦ってきた強敵であると同時に、野茂英雄やダルビッシュ有など多くの日本人が活躍してきた憧れの球団でもあった。

 

「メジャー1年目の時にドジャースタジアムについて『伝統のあるとても綺麗な球場で、そこでプレーすることはすごく楽しい』と話していたのが印象的です。今年6月にドジャース戦で登板した際にも、その強さの理由を聞かれて、『ゲームプランを立てて、全員が同じ目的意識を持っている』と語っていました」(同前)

 

 すなわちマイルールその三、勝利への執着である。

 

 野球専門メディアの在米記者、小谷真弥氏は、「大谷選手は今後10年を見据えて勝てるチームとしてドジャースを選んだという印象を受けます」と話す。

 

「ドジャースはロサンゼルスというビッグマーケットで得た潤沢な資金を使った補強だけでなく、独自のスカウティングと育成のシステムを確立していてマイナー組織も充実している。大谷選手が目標に掲げるワールドシリーズ制覇、世界一に最も近い球団といえると思います」(同前)

 

自ら年俸の「後払い方式」を提案

 

 大谷の勝利への渇望は、契約内容からも見てとれる。

 

「今回、大谷選手は契約にあたり、自ら年俸の『後払い方式』を提案したとされています。MLBでは球団が支払う総年俸が基準を超えた場合、ぜいたく税を支払わなくてはならないのですが、それを回避するため、年俸の一部を契約満了後に分割で払う『後払い方式』というオプションがある。チームはそこで浮いた資金を補強に活かすことができるため、大型契約の際に採用される傾向があります。イチロー選手もマリナーズ時代にこの方式で契約を結んでいました」(同前)

 

二刀流に必須の西海岸気候

 

 ファンにとって最も気がかりなのは、二刀流の行方だろう。大谷自身もSNSの投稿で〈浮き沈みのある中でもエンゼルスファンからのサポートと声援は私にとってかけがえのないものでした〉と綴っている通り、大谷の二刀流はエンゼルスに在籍した6年間で培われたものだった。

 

「故障の影響もあり成績が振るわなかった20年も、エンゼルスは大谷選手を信じて辛抱強く、二刀流で起用し続けた。ドジャースからもそのような二刀流への信頼を感じたからこそ、契約に至ったのだと思います。ドジャースには、今年9月と18年に大谷選手の右肘の靱帯再建手術を執刀したエラトロッシュ氏や、エンゼルスでリハビリを担当したセラピストが在籍しており、二刀流復帰へのバックアップ体制も整っています」(斎藤氏)

 

 そしてマイルールその四が環境。これも二刀流には欠かせない要素なのだという。

 

「西海岸の気候は温暖で、雨天による中止がほとんどない。週に一度のペースで投げる大谷選手にとって、スケジュール通りに安定して試合に出続けられることは望ましい。慣れ親しんだ環境でプレーできるのも、大きなメリットでしょう」(笹田氏)

 

早くも“夢の復帰プラン”が進行中

 

 来季はリハビリのため、打者に専念する予定の大谷。

 

「24年シーズンは二番DHで出場すると見られています。リハビリの影響を受けず、打者として集中力を発揮できれば、打率、本塁打、打点でリーグトップとなる三冠王の獲得も夢ではありません。チームを世界一に向けて引っ張るような活躍が見られるのではないか」(同前)

 

 すでに現地ロサンゼルスでも期待が高まっている。

 

「移籍発表の瞬間、ドジャースタジアムにいた球団スタッフやファンの方々からは大きな歓声があがりました。『MVPがやってくる』『来年こそ世界一だ!』と大興奮で、早くも歓迎ムードでした」(小谷氏)

 

 ドジャース大谷の二刀流が見られる日はいつになるか。実は早くも“夢の復帰プラン”が進行中だという。

 

「MLB関係者によると、25年シーズンは大谷の所属球団が、日本で開幕戦を行うことで調整を進めているようです。場所は古巣である日ハムの新球場、エスコンフィールドが最有力視されています」(斎藤氏)

 

 青いユニフォーム姿が今から待ち遠しい。

 

「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年12月21日号

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◆ 大谷翔平2年連続キングに追い風 球場別本塁打数は左打者最多 ドジャースタジアムってどんな球場?

小林信行氏/情報:デイリースポーツ)

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 今季から大谷翔平投手(29)、山本由伸投手(25)が米大リーグの強豪ドジャースに加わった。それぞれ10年総額7億ドル(約1015億円)、12年総額3億2500万ドル(約465億円)の超大型契約を結び、米国内でも高い注目を集めている。2人が戦う本拠地ドジャースタジアムはどんな特徴を持つ球場なのか。必見のカードはいつ行われるのか。ドジャース戦観戦のポイントを、MLB担当の小林信行記者が解説する。

 昨年7月8日、ドジャースタジアムで行われた前半戦最後の試合。当時エンゼルスの大谷はシーズン最多5万3057人が埋めたスタンドを何度もどよめかせた。七回に右中間席へ飛距離132メートルの豪快な32号2ランを放つなどサイクル安打まで二塁打を残す猛打賞。“敵地”のファンの心を鷲づかみにした。

 今季から大谷、そして山本の本拠地となるドジャースタジアムは5万6000人を収容できるメジャー最大の球場だ。開場は1962年4月10日。レッドソックスのフェンウェイパーク(1912年)、カブスのリグレーフィールド(1914年)に次いでメジャーで3番目に古い。

 両翼はいずれも330フィート(約101メートル)。昨今、独特の形状でレトロ感を前面に押し出すスタイルがトレンドとなっている中、60年代から80年代にかけて流行し、ナ・リーグでは唯一となった左右対称の大型スタジアムとして野球の歴史を今に伝えている。

 中堅最深部は395フィート(約120メートル)あり、外野が広いのが特徴の一つ。ロサンゼルスは日没後の寒暖の差が大きいため、ナイターになると急速に空気が冷え、さらに中堅方向からの風で打球は飛びにくいとされている。

 しかし、昨季のチーム本塁打238本は球場別では4番目に多い。左打者に限れば、直近3シーズンの総数はメジャー最多。ボックス席の拡張でファウルエリアが狭くなるなど打者有利な点も少なくない。今季は打者に専念する大谷にとって2年連続キングへの追い風になる。

 野茂英雄が旋風を巻き起こしたド軍と日本の絆は強い。70年代から80年代には「アイク」の愛称で親しまれた生原昭宏がオマリー会長の補佐としてチームに尽力。また、生原のド軍留学を後押しした巨人顧問の鈴木惣太郎が友好の証しとして贈った高さ約3メートルの石灯ろうが球場の第6駐車場に奉献されている。

 2025年には本拠地開催通算5000試合に到達する歴史的建造物。試合のない日や試合開始前の時間帯には球場ツアーを実施。選手が使用しているロッカーや場内博物館などを見学し、球団の今と昔に触れることができる。

 昨季の本拠地開催試合観客動員数383万7079人、1試合平均4万7371人はメジャー最多。10年連続で1位をキープしている。“ショウタイム”にふさわしいステージ。ドジャースファンの熱狂と興奮はテレビ画面からも感じられるはずだ。

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 ■ NOTE