2017年5月1日
ファイターズは、30日の対イーグルス戦、4月最後の試合を1対2の接戦で落とした。10連敗の後、2連勝し波に乗りかけていたが、1対1の9回に痛恨のミスから今季初の3連勝を逃してしまった。
ほとんど大谷翔平が不在の4月は、10連敗を含む6勝18敗と大きく負け越してしまった。栗山監督は、4月の経験を来月以降に活かすと明言。
「少なくとも4月が終わるまでにファイターズらしくと思っていたのですが、とにかく、明日1日空いて、必死に戦っていきます。あまり4月がどうのこうのは。ここまで1ヶ月経験したいろんなことが、本当に大きな意味を持つようにしないといけないので、しっかりやっていきます」
昨季、日本一を掴み取ったチャンピンチームは、唯一無二の二刀流戦力を欠いたまま苦境に喘いでいる。
松坂大輔特集
4月26日に発売された、今回の『Sports Graphic Number』926号は、「2017年の松坂世代。』をテーマに、ソフトバンクの松坂大輔投手を主役とする同期世代の今現在の状況や、松坂に対する過去から現在までの思い出を取材し特集されている。
「◯◯年の××××」タイトルは、自分も大いに感化された「1984年のUWF」等、柳澤健氏の人気著作シリーズから来ているように思う。このブログのタイトルも、そこから拝借したが、好みの起点テーマだ。
松坂は、当初4月15日、本拠地福岡ドームで行われるバファローズ戦に復帰登板を予定していたが、直前に回避。既にNumberで自信を中心とした特集企画が組まれていることを知っていた松坂は、同日15日に、石田雄太氏の取材を受けている。
松坂への取材の顛末をNumber編集部が、WEB版の記事にあげていた。松坂を主人公にした同級生、同期世代という関係性が好影響をもたらした背景が端的に書かれてある。
今号を最初から最後までチェックしてみたが、後半のショートコラム「SCORE CARD」を含めて、大谷の名前が取りあげられているページはない(と思う)。
松坂の思い出と言えば…
松坂といえば、自分にも強く記憶に残るエピソードがある。小さい頃から野球選手やスポーツ選手の直筆サインを直接もらうコレクションを趣味にもつ自分に、松坂に対してもその機会が訪れた。
ときは2000年のシドニーオリンピック、野球大会準決勝となる対キューバ戦、当日の試合前の出来事だ。
1997年秋から仕事の関係で、シドニーに駐在していた自分にシドニーオリンピックは、大きな楽しみであった。
オリンピック開幕直前には、同じオーストラリア国内のゴールドコーストへ駐在場所が転勤となっていたが、チケットは各種の主要競技を購入済みだった。プロ野球選手が参加する野球は、最大の待望競技であった。
キューバ戦の当日、試合前の練習時にファンサービスの可能性があるかもと朝から緊張感とワクワクの中、理由は忘れてしまったが、パートナーとちょっとした内輪喧嘩し、予定より出発が遅れてしまった。
慌てて到着しスタジアムを見渡すと、何と松坂がダッグアウト前でファンサービスを行なっている長蛇の列があり、喜び勇み即刻最後尾に並んだ。
1999年夏の甲子園で偉業を成し遂げて、プロ野球界へ颯爽と登場した松坂は、初年度から16勝の最多勝をはじめ、ゴールデングラブ賞、ベストナインに新人賞と大活躍。2000年には、すでにスーパースターの存在であった。
途中で即席サイン会が途切れないか、ストップされないかドキドキしながら自分の順番まで、あと数名にせまったその時、曇り模様の空から小雨が降り始めた。
ヤバい、気ばかりが焦りながらも列は進み、何とか次は自分の順番まで辿り着き安堵したその瞬間、付き添いの担当者が突然サイン会を打ち切りにし、松坂を連れ立ってダッグアウトへ消えてしまった。
この時の絶望感、失望感は、そのあとも悔んで悔やみ過ぎて、正常にまともに試合観戦できないほどだった。
結局、キューバ戦で松坂は登板せず、敗れた日本代表は決勝戦に進めなかった。
帰り際に解説に来られていた元西武や巨人で活躍された大久保博元氏にサインを頂けたことが、少しの気休めになった。それでも、今でも決して忘れられない思い出。
この松坂の直筆サイン未入手事件(個人的には大きな事件!)には、後日談がある。
その後、オーストラリアから日本に帰任した2002年の夏。あるプロモーション撮影の仕事で知り合ったフォトグラファーさんが、松坂の専属カメラマンというご縁だった。
仕事の合間の雑談時に、サイン未入手事件の思い出を熱く話したら、仕事終わりの打ち上げ時に自分の宛名入りの直筆サインボールを貰ってきてくれた。松坂らしいのか、そのフォトグラファーさんらしいのか、ボールは凸凹した軟式球だった!笑
これは願い続ければ叶うんだな、と実感した嬉しい人生経験だ。
復活1軍登板は実現するのか、見守りたい。
★2024年1月20日 NEW更新後記
このNumber926号を取りあげたブログ記事は、それなりの文字量で当時書いていたが、マガジンの要約がかなり入っていた。今回そのあたりは省いて、当時のファイターズの状況を冒頭に差し込み、松坂との思い出にフォーカスしてまとめ直した。
松坂の直筆サインで言えば、その後の後日談もある。2018年にドラゴンズへ移籍した松坂から、北谷のキャンプで運良くサインをもらうことができた。
あのときは、松坂のサインだけを目当てに雨予報の中、北谷へ向かった。満車状態のパーキングスペースになんとか隙間をみつて無理やり駐車。
メイン球場へ向かおうとしたところ、隣の陸上トラック近辺で人集りがあるのを発見し、行ってみた。そこに松坂がファンサービスを行っていて、到着後、即幸運にありつけた思い出。
おそらく、これまでの個人的なファンサービス待機時間、最短記録だと思う。
石田雄太氏が、シドニーオリンピックの松坂について、『webSportiva』に記事を書いてくれているものを、こちらもあとから発見した。