■試合データ
米国時間:2021年8月1日
日本時間:2021年8月2日(月曜日)05時07分開始
ロサンゼルス・エンゼルス対オークランド・アスレチックス
@エンゼルスタジアム
エンゼルスは、初回4番マックス・スタッシの2ラン本塁打で2点を先制。2回には8番ジャック・メイフィールドのタイムリーでさらに1点追加し3点リード。3回、今日メジャーデビューの先発リード・デトマーズが、アスレチックスの3番マット・オルソンに3ラン本塁打を浴びて同点。その後8番のヤン・ゴームズにも2ラン本塁打を浴びて2点先行を許す。5回途中には、先発デトマーズから継投2番手のオースティン・ウォーレンが、8番ゴームズにタイムリーを打たれ1点を失い3点ビハインド。6回には3番手新加入のサム・セルマンが、2死満塁から4番ジェド・ローリーにタイムリーを打たれさらに2失点。打線は2番大谷翔平が2併殺など反撃ならず痛い黒星。このカード1勝3敗で、またもや勝率5割から借金1に逆戻り。
■今日の大谷翔平
【打者】先発2番DH
4打数0安打
通算打率.275
第1打席:レフトフライ
(状況)1回無死/走者1塁
(投手)ダウルトン・ジェファリエズ/右
(カウント)1B1S
(コース)真ん中高め
※メジャー2年目の右腕ジェフリーズと対戦。カウント1-1からの3球目、高めの直球にややタイミングが遅れ、左飛に仕留められた。
第2打席:センターフライ
(状況)3回無死/走者無し
(投手)ダウルトン・ジェファリエズ/右
(カウント)1B1S
(コース)真ん中高め
※3回無死、カウント1-1からのカットボールを捉えたが、中堅へのライナーで凡退した。
第3打席:セカンドゴロ併殺
(状況)5回1死/走者1塁
(投手)ダウルトン・ジェファリエズ/右
(カウント)3B1S
(コース)内角真ん中
※点差が3に開いた五回は1死一塁の場面で二ゴロ併殺。カウント3-1と有利なカウントから内角148キロシンカーを打ったが、ゴロ打球はシフトを敷いて一、二塁間を固めた野手の正面だった。
第4打席:セカンドゴロ併殺
(状況)8回1死/走者1塁
(投手)アンドルー・チェフィン/左
(カウント)2B
(コース)真ん中低め
※3-8の八回1死一塁の場面は4番手左腕チャフィンと対戦。ツーボルから低めの148キロシンカーを打ってふたたび二ゴロ併殺を記録した。
その他情報:
・1日(日本時間2日)に予定されていた先発が順延となった。試合前、大谷はフィールドでのキャッチボールを3日ぶりに再開。トレーナーも見守る中、親指の状態を確認しながら約20メートルの距離を7分ほど投げた。
・大谷は、5、8回に放った強い打球がともに二塁手の正面に飛び、メジャー4年目で初の「1試合2併殺打」を記録。米放送局NBCスポーツによれば、敵将メルビン監督は、大谷の2併殺打の起点となった二塁手のハリソンについて「名手なんだ。大谷の併殺なんて、なかなかお目にかかれるものじゃないよな」と、悦に入った。大谷はこれでメジャー通算17併殺打。打席数に対する併殺打率は「81打席に1本」となった。
■試合情報
ジョー・マドン監督:
(試合前)
「(大谷の次回登板について)2日~5日(日本時間3日~6日)に行われるテキサス・レンジャーズ戦の後半か、6~8日(同7~9日)に行われるロサンゼルス・ドジャース戦の前半に登板予定だが、明確には決まっていない。とにかく万全を期したい。痛みはあるが、良くなっている。しっくりこないまま登板してほしくない。悪化したというわけではない。とにかく完治させ、投げる準備を整えてほしい」
リード・デトマーズ投手:
・昨年のドラフト1巡目(全体10位)で指名した22歳のデトマーズを先発に抜擢。今季はマイナーで13試合に先発して60イニングを投げ、3勝4敗、防御率3.15、106奪三振をマークしていたが、メジャーの洗礼を浴びた。3点リードの3回裏にマット・オルソンの28号3ランで同点に追いつかれると、ヤン・ゴームスには移籍後初アーチとなる10号勝ち越し2ランを献上。4回表は初めて三者凡退に抑えたが、5回表に一死1・2塁のピンチを招いたところでマウンドを降りた。
■関連情報
アンドリュー・ヒーニー投手:
・ヒーニー投手は、2日(日本時間3日)、ニューヨークのオリオールズ戦で初先発することが決まった。ヒーニーは1日(同2日)、リモート会見に登場。「ヤンキースタジアムではビジターの選手としてプレーして来たが、(ホームの選手として)エナジーを感じられることに興奮している。(シーズン中の移籍の難しさについて)僕の持ち物はすべて(エンゼルスカラーの)赤色だ。(大変だったのは)赤ではないスパイク、グローブ、ズボンを探すこと。(大谷のチームメートとして学び、その中で新天地でも生かせることは)翔平は比類なき存在だ。自分のやり方で取り組んでいる。彼のように90マイルのスプリットが投げれたらいいけど、僕にはできない(笑)。彼は怪物だから、まねはできないよ(と笑いながら答えるなど、終始和やかなやりとりだった)」
トニー・ワトソン投手:
・エンゼルスからジャイアンツへのトレード移籍が決まった中継ぎのワトソン投手。マイナー選手と入れ替わる形で新天地へと移ったが、移籍するにあたっての心残りとして、大谷翔平投手の存在を挙げている。米スポーツ専門メディア「ジ・アスレチック」のアンドリュー・バガーリー記者は自身のツイッターで「トニー・ワトソンはショウヘイ・オオタニ(が二刀流としてもたらす)経験を満喫するために最前列を確保し、同僚として彼のことを知ることを楽しんでいた」と伝え、ワトソンのコメントも紹介。バガーリー記者によると、ワトソンは「ショウヘイが彼特有のプレーをする姿が懐かしくなるよ。僕の子どもたちは彼が大好きなんだ。あの子たちの今のお気に入りの選手は彼なんだ」と語っており、大谷のプレーを間近で見られなくなることを惜しんでいるようだ。
■メディア
菊地慶剛氏:
前半戦はロジャー・マリスと全く同じ!平均打数で考察する大谷翔平の年間60本塁打の可能性(スポナビ)
宇根夏樹氏:
「1試合2併殺打」の日本人メジャーリーガーは、大谷翔平が何人目!? 1試合3本を記録した選手も…(スポナビ)
杉浦大介氏:
久々にトレード期限で見せた「ヤンキースらしさ」で増えた楽しみ(スポニチ記者コラム)
週刊ポスト:
上沼恵美子「大谷翔平の嫁に女子アナNG」に枡田絵理奈と大神いずみの反論
松下茂典氏:
エンゼルス大谷翔平〝鉛筆人間〟からホームラン王へ! 少年時代の1日12時間睡眠が超人ボディー礎に(東スポ)
佐々木亨氏:
「なぜ彼は二刀流で戦うことを決めたのか。」#1
高卒でメジャー挑戦を表明した大谷翔平。苦悩の先に待っていた“18歳の決断”とは(新R25)
■NOTE
なかなか願望、期待通りにいかないもの。新星デトマーズの好投に大谷の援護射撃、できればホームランを期待したが、どちらも叶わず、アスレチックスに1勝3敗。まあそんなもの。デトマーズは、未だ始まりの始まり。1回でチャンスが潰えることは無いと思う。次戦に期待しよう。大谷のビッグサポートも!
エンゼルス新人左腕・デトマーズが打たれて逆転負け 大谷翔平は4打数0安打、併殺打2本は自身初※MLB.JP
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エンゼルスはマックス・スタッシの10号2ランなどで2回までに3点を先制したが、メジャー初登板初先発の新人左腕リード・デトマーズが3回表に2本のアーチで5点を失い、3対8で逆転負け。アスレチックスとの4連戦を1勝3敗の負け越しで終え、再び借金生活に突入した。今季初登板初先発となったアスレチックスの新人右腕ドールトン・ジェフリーズは5回3安打3失点でメジャー初勝利をマーク。デトマーズは5回途中6安打6失点でメジャー初黒星を喫した。
トレード・デッドラインでアンドリュー・ヒーニーをヤンキースへ放出したエンゼルスは、昨年のドラフト1巡目(全体10位)で指名した22歳のデトマーズを先発に抜擢。今季はマイナーで13試合に先発して60イニングを投げ、3勝4敗、防御率3.15、106奪三振をマークしていたが、メジャーの洗礼を浴びた。3点リードの3回裏にマット・オルソンの28号3ランで同点に追いつかれると、ヤン・ゴームスには移籍後初アーチとなる10号勝ち越し2ランを献上。4回表は初めて三者凡退に抑えたが、5回表に一死1・2塁のピンチを招いたところでマウンドを降りた。
エンゼルスの大谷翔平は「2番・DH」でスタメン出場したが、レフトフライ、センターフライ、セカンドゴロ併殺打、セカンドゴロ併殺打で4打数0安打。連続試合安打は2でストップし、1試合で2本の併殺打を記録するのは自身初だった。マイク・トラウトとアンソニー・レンドンの両主砲に加えてジャレッド・ウォルシュを欠いたエンゼルスはアスレチックス4連戦でわずか4得点。大谷も13打数2安打(打率.154)に封じられた。
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前半戦はロジャー・マリスと全く同じ!平均打数で考察する大谷翔平の年間60本塁打の可能性※菊地慶剛氏
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【トレード市場で売り手に回ったエンジェルス】
いよいよ8月に突入し、MLBの2021年シーズンも残すところ2ヶ月となった。
7月30日のトレード期限を前に、ポストシーズンを見据えた各チームが戦力補強に着手する中、エンジェルスは売り手に回り、主力先発のアンドリュー・ヒーニー投手と主力リリーフのトニー・ワトソン投手を放出している。
ここ最近のエンジェルスは勝率5割前後で推移しているものの、地区首位のアストロズから10ゲーム以上(8月1日時点で11.5ゲーム)離されている状況を考えれば、実質的にチームはポストシーズン進出を諦めたと言っていいだろう。
そうなるとエンジェルス・ファンにとっての残りシーズンの楽しみは、間違いなく大谷翔平選手ということになってくる。特に本塁打王争いでは、現在も37本塁打でMLB単独トップを走り続け、エンジェルスとして2000年のトニー・グラウス選手以来のタイトル奪取の期待がかかる。
ファンにとってこれ以上の楽しみはないだろう。
【年間60本塁打は本当に可能なのか?】
シーズン後半戦が始まった当初は打撃不振に陥り、周囲を心配させた大谷選手だったが、1日の休養を挟み再び本塁打を打ち始め、現時点で2位のブラディミール・ゲレロJr.選手に4本差をつけている。
また打点部門でも現時点で82まで伸ばし、MLBトップを走るゲレロJr.選手に1差まで肉薄。二冠王の可能性も出てきたため、さらにファンを喜ばせている。
メディアの中には、今もMLB史上6人目の年間60本塁打を期待する声が挙がっている。だが本欄ですでに指摘しているように、シーズン前半戦で33本塁打以上を放った打者は、そのほとんどが後半戦で打率を下降させている。
シーズン途中で選手会がストライキに入り、シーズンを全うできなかった1994年のケン・グリフィーJr.選手とマット・ウィリアムス選手を除き、延べ10選手が前半戦で33本塁打以上を記録しながら、年間60本塁打を達成できたのは、2001年のバリー・ボンズ選手、1998年のマーク・マグワイア選手とサミー・ソーサ選手、1961年のロジャー・マリス選手──の4人に止まっている。
改めて各選手の打率の推移をまとめた表を掲載しておくので、ぜひ参考にしてほしい。
【打率以上に重要になってくる平均打数】
だが上記4選手にしても、ボンズ選手を除けば皆後半戦で打率を落としているのだ。それでも年間60本塁打以上を記録しているのだから、打率の推移だけで判断するのはやや早計だとの考えに至った。
もちろん前半戦で33本塁打以上を放っていれば、後半戦で各チームはその打者に対し警戒心を強め慎重に攻めてくるのだから、打率も下がるし、四球が増え打数も減ってくることになる。
その中で本塁打を放っていくには、効率よく本塁打を打っていかねばならない。それを示す指標こそ、打率ではなく1本塁打辺りの平均打数だと考えた。
そこで上記の表から1994年の2選手を除いた延べ10選手と、大谷選手のシーズン前半戦と後半戦の平均打数を改めて表にまとめてみた。ちなみに大谷選手の後半戦のデータは、7月31日終了時点のものだ。
【大谷選手の前半戦平均打数はマリス選手を全く同じ】
如何だろう。年間60本塁打以上放っている4選手は、全員が後半戦に入っても平均打数がほぼ変わっていない。その一方で60本塁打に届いていない打者は、一様に後半戦で平均打数が大幅に上昇している。
残念ながら大谷選手もその1人であり、このままの状態で推移していけば、60本塁打に届くのはかなり難しくなってくるのは明らかだ。現状は2001年のルイス・ゴンサレス選手に類似しており、予想本塁打数は57本前後ということになる。
だがシーズン前半戦の平均打数は、1961年に61本塁打を放ったマリス選手と全く同じなのだ。つまり後半戦の平均打数が10.32に近づいていければ、60本塁打は可能ということになる。
果たして大谷選手は残り2ヶ月間で、どこまで平均打数を下げることができるだろうか。期待しながら見守りたい。
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「1試合2併殺打」の日本人メジャーリーガーは、大谷翔平が何人目!? 1試合3本を記録した選手も…※宇根夏樹氏
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8月1日、大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)は、4打数0安打に終わった。最初の2打席は外野フライに倒れ、その後の2打席は併殺打に討ち取られた。3打席目も4打席目も、場面は1死一塁。どちらも、打球は二塁手のジョシュ・ハリソン(オークランド・アスレティックス)の真ん前に転がり、二塁ベースのすぐ左を守っていた三塁手のマット・チャップマンが送球を受け、一塁手のマット・オルソンに転送した。
野手の正面だったのに加え、緩いゴロでもなかった。スタットキャストによれば、それぞれの打球の初速は82.3マイルと95.9マイルだ。これでは、大谷のスピードをもってしても、セーフにはできない。しかも、2人のマットはともに名手だ。
大谷の併殺打は、これがシーズン5本目と6本目。2018年は2本、2019年は6本、2020年は3本なので、通算16本目と17本目となる。1試合に2本以上の併殺打は、これまでなかった。
ベースボール・リファレンスなどで調べたところ、1試合に複数の併殺打を記録した日本人メジャーリーガーは、大谷を含め、延べ13人が見つかった。城島健司と松井秀喜が3試合ずつ、井口資仁と田口壮は2試合ずつだ。1人目の吉井理人は、今から22年前の1999年8月18日に、1試合3本の併殺打を記録している。
もっとも、この試合の吉井は、9イニングを投げきり、相手の打者を併殺打に仕留めることはなかったものの、1点しか取られずに白星を挙げた。また、打席では3打数0安打、併殺打3本ながら、送りバントを2本成功させた。
なお、通算併殺打が最も多い日本人メジャーリーガーは、106本の松井秀喜だ。50本以上は他に2人。イチローと城島が、それぞれ、92本と53本の併殺打を記録している。
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久々にトレード期限で見せた「ヤンキースらしさ」で増えた楽しみ※スポニチ
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ヤンキースは、やはりヤンキース―――。近年は、資本にものをいわせたチームづくりの印象は一時より薄れた東海岸の名門チームだが、今年は7月30日のトレード期限を前に積極的な補強を見せてくれた。レンジャーズから今季25本塁打のジョーイ・ギャロ、カブスから同14本塁打のアンソニー・リゾという左のスラッガーを獲得(成績は、いずれも移籍決定時)。この2人を加えたことで、右打者ばかりなのが弱点とされてきた打線はバランスの良いものになった。
期待通り、リゾはトレード直後の30、31日のマーリンズ戦で2試合連続本塁打を放っている。ア・リーグ東地区で首位レイズに7ゲーム差、ワイルドカード争いでも3ゲーム差と厳しい位置にいるヤンキースにとって、この2人を加えたトレード期限は重要な分岐点となる可能性もありそうだ。
今夏の補強が2人にとどまらず、エンゼルスからアンドリュー・ヒーニー投手を獲得して少し驚いたファンもいたかもしれない。今季のヒーニーは大谷らとともにエンゼルスの先発ローテーションを守ってきたが、18試合で6勝7敗、防御率5・27と、成績はもう一つ。防御率はこの4年間でもワーストで、台頭期の期待度は既に薄れた感がある。
ヤンキースの先発陣はコール、モンゴメリー、タイヨン、ヘルマンが中心となり、故障離脱しているクルバー、セベリーノも、もうすぐ復帰の予定。チーム内でも弱点とされていたわけではなく、ここでヒーニーを加える必要があったのか。
これに関して、アーロン・ブーン監督は30日の記者会見で、こう説明していた。
「(ヒーニーを)加えられてエキサイトしている。彼のような投手は投手陣の層を厚くしてくれる。この時期は層の厚さが大事。投手陣が十分すぎることはないんだ」
実際に故障者は出るもので、クルバー、セベリーノの復帰路線も順調に運ぶとは限らない。先発の頭数はそろったとしても、左打者対策としてヒーニーをブルペンから起用することもできる。先発の軸の1人ではなく、あくまで「保険」のような形で実績ある左腕を加えておくことは、いずれプラスになるという考え方なのだろう。
30歳のヒーニーの年俸は今季675万ドル(約7億4300万円)と比較的安価で、今季終了後にFAになる選手。また、ギャロ、リゾの今季年俸は前の所属チームが支払うということで、新たに加入した3人を合わせても金銭面の負担は小さい。もちろん放出した若手有望株が他チームで開花するリスクはあるが、年俸総額を大きく増やさずにこれだけの戦力補強が可能になったのであれば、少なくとも現時点でヤンキースのトレード期限は成功だったように思える。
今後、ギャロ、リゾ、そしてヒーニーが新天地ニューヨークでどんな活躍をするか。ヒーニーに関しては、7月の1試合が雨天中止になった関係で、今月16日(日本時間17日)に1試合だけ行われるヤンキース対エンゼルス戦で、仲の良かった大谷と対決する可能性もある。名門球団が巧みに展開した一連の補強策で、また新たな楽しみが増えたことは間違いなさそうだ。 (記者コラム・杉浦 大介通信員)
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上沼恵美子「大谷翔平の嫁に女子アナNG」に枡田絵理奈と大神いずみの反論※ポストセブン
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ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平(27)の結婚をめぐり、本人をさしおいて外野が騒がしくなっている──。「一番イヤなのは、女子アナ!」と主張するのは、“関西のご意見番”ことタレントの上沼恵美子(66)。7月18日放送の『上沼・高田のクギズケ!』(読売テレビ)で、「大谷の結婚相手には誰がふさわしいか」という問いに声を張り上げた。
これまで決定的な熱愛報道もなく、大谷の女性関係は謎に包まれている。それもあってか大活躍中の今年は、「お嫁さん論争」が過熱。特に“王道”への反発が強く「女子アナはNG」という意見が多い。坂上忍(54)も7月、番組内で「フジテレビの女子アナだけはやめて」と話していた。
イチローの妻が福島弓子(元TBS)、松坂大輔の妻が柴田倫世(元日テレ)など、“一流プロ野球選手といえば女子アナ”というイメージがある一方、煌びやかに見える職業だけに、「アスリートを支えられるのか」と懐疑的な声が上がっているようだ。
しかし、広島・堂林翔太(29)の妻で元TBSアナウンサーの枡田絵理奈(35)は結婚を機に退社し、夫を支えるため広島に移住した経験をもとにこう言う。
「アナウンサーと野球選手と聞くと、定番のカップルという印象を持たれるかもしれませんが、私にとっては、生涯を共にしたいと思った相手が、たまたまこの職業の人だったという感じです。結婚した時、『この人を支えることが新しい自分の仕事だ』と思い、気を引き締めました。遠征も多いので、特に食事面でサポートできるよう日々料理に勤しんでいます」
巨人のヘッドコーチを務める元木大介(49)の妻で、元日本テレビアナウンサーの大神いずみ(52)は「女子アナ妻」は野球選手の“弱点”を補える存在だと指摘する。
「プロ野球選手は小さい頃から野球一筋で、夫は『一般常識や社会通念的なことに疎くて恥ずかしい』と思っていたようです。だから奥さんはそれを補ってくれる人が良かったと言っていました。まぁ、それが私なのか? とは思いますが(笑)。
アナウンサーは会社員であり、様々な方に礼節をわきまえてお目にかかる仕事です。皆さんが『チャラチャラしてそう』などと思っておられるなら、激しい誤解だと掴みかかって訴えたいです!」
“外野”は盛り上がっているが、大谷本人が場外級の祝砲を打ち上げる日を待ちたい。
※週刊ポスト2021年8月13日号
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エンゼルス大谷翔平〝鉛筆人間〟からホームラン王へ! 少年時代の1日12時間睡眠が超人ボディー礎に※東スポ
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【松下茂典・大谷と松井、太平洋に虹を架けた二人(連載4)】エンゼルスの大谷翔平投手(27)は1日(日本時間2日)に本拠地アナハイムでのアスレチックス戦に「2番・DH」で出場し、メジャー移籍後初の2併殺を含む4打数無安打と不発に終わった。試合終了時点で37本塁打はメジャートップを独走し、82打点はトップと1差。今季の打球速度の最速119マイル(約192キロ)はメジャー2番目で、本塁打の飛距離470フィート(約143・3メートル)は同5番目と全米を驚かせている。少年時代は“鉛筆”だった大谷が超人に進化したのは超睡眠効果だった。
現在の大谷からは想像できないことだが、母の加代子によると、幼稚園、小学校、中学校を通し「翔平は鉛筆のように細い子」だったという。
「なぜか食が極端に細かった。毎食のご飯は、お茶わん一杯。肉は好きでしたが、トマトは嫌い。おかずもあまり食べませんでした」
そのため、幼稚園から中学校に至るまで、身長と体重を測ると、必ず「痩せすぎ」と書かれた。
「幼稚園のときなんか、夕方私がご飯の支度をしていると、ソファですやすや。普通の子なら『ご飯、できたわよ』と声を掛けると、飛び起きるんでしょうが、つねっても叩いても起きない。仕方なく寝室に運ぶと、今度は朝まで寝ちゃうんです」
睡眠時間は、時計が一回りというから、毎日12時間も寝た計算になる。
ご飯もおやつも食べない翔平だったが、牛乳だけはよく飲んだという。
「1リットル入りの牛乳パックに直接口を付け、そのまま飲んでいましたね」
アスリートには世代を問わず牛乳好きが少なくない。松井秀喜も、牛乳の1リットルパックを毎日何本も空にしていた。
筆者が思い出すのは、巨人に1位指名され、長嶋茂雄監督にクジを引き当てられるドラフト会議の10日前のことだ。取材で松井家を訪ねると、秀喜は牛乳を飲みながら、ズワイガニやカツオの刺し身をむしゃむしゃ食べていた。彼の骨太な体は、牛乳と刺し身で出来上がったのである。
翔平が食に前向きになるのは、小学校2年生のとき、リトルリーグ「水沢バンディッツ」に入り、体を動かすようになってからだが、中学生になっても眠り癖は変わらなかったという。
「夜はゲームや何かで遊びたい年ごろだと思うんですが、夜の9時台には『あー、もう寝なきゃ、寝なきゃ』といい、お父さんと2階に行き、朝の6時までぐっすり眠る。そんな毎日が中学校卒業までつづきました」(加代子)
花巻東高校に進学すると、新たな試練に見舞われる。慣れない寮生活のため、睡眠不足に陥り、毎月のように熱を出し、病院に直行。点滴を余儀なくされた。
「体力不足を指摘され、佐々木洋監督から毎日どんぶり十杯(夜七杯、朝三杯)のご飯を食べるようにいわれ、食べては吐き、吐いては食べるという繰り返しだったようです」
加代子は心配のあまり寮に足を運んだ。
「翔平の机の引き出しをこっそり開けると、カビの生えた幕の内弁当が入っていました。ああ、これも食べろといわれたんだろうなあと思い、涙が出そうになり、黙って持って帰ってきちゃいました…」(文中敬称略)
☆まつした・しげのり ノンフィクションライター。1954年、石川県金沢市生まれ。明治大学卒。「広く」「長く」「深く」をモットーに、アスリートのみならず家族や恩師等に取材し、立体的なドラマ構築をめざす。主な著書に「新説・ON物語」「松井秀喜・試練を力に変えて」「神様が創った試合」。近著に1964年の東京オリンピックをテーマにした「円谷幸吉・命の手紙」「サムライたちの挽歌」がある。
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高卒でメジャー挑戦を表明した大谷翔平。苦悩の先に待っていた“18歳の決断”とは※新R25
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今年8月1日の時点で、メジャーでもトップレベルの37本塁打、打点82の成績を残し、投手の方でも実力が認められているエンゼルスの大谷翔平選手。
オールスターゲームではファン投票でも選手間投票でも1位に選ばれたメジャーリーグ初の“二刀流”で挑んでいる大谷選手は、今一番話題と言ってもいいほどのプロ野球選手です。
実は、二刀流を始めたころは批判の声も多く上がっていました。
「二刀流は体への負担が大きい」
「結果的に、どちらの才能も失ってしまう可能性がある」
そんな声に対して、大谷選手は以下のように答えています。
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自分がどこまでできるのか、人間としても、どこまで成長できるのか楽しみです。
二刀流を叶えたとき、そこには大きな価値があると思う。
自分が成功すれば、同じように二刀流に挑戦する選手が続くと思いますし、いろんな可能性が広がるはずです。
今はとにかく頑張って、新たな道を作れるような選手になりたいと思っています。
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大谷選手がここまで野球で挑戦しつづけられる理由とは一体何なのでしょうか。
今回、大谷選手を高校時代から取材しつづけている佐々木亨さんの著書『道ひらく、海わたる~大谷翔平の素顔~』(扶桑社刊)より、大谷選手の野球への想いを一部抜粋してお届けします。
読んだら、大谷選手のことをさらに応援したくなるはずです。
花巻東高校はセンバツ出場を果たすことになるのだが、我慢の時期を過ごした。
怪我の功名と言うべきか。
大谷のバッティングの技量が飛躍的に伸びたのは、その時期だった。
佐々木監督(花巻東高校野球部の監督)は言う。
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「怪我をした直後もそうでしたが、バッティングのときは痛みを感じないということで、冬はバッティング練習に費やす時間が多かった。
もともとバッティングの力を持っていたので、そのことがすべてではないと思いますが、冬のオフシーズンを経て大谷のバッティングは一気によくなりました」
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さらに、感慨深くこう続ける。
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「大谷本人もそうだったと思いますが、その時点では『ピッチャー・大谷翔平』の意識しか私にはなかった。
もしかしたら、ピッチャーとして三年間、順当にいっていれば『バッター・大谷翔平』があそこまでのものになっていなかったかもしれない。
技術もそうですが、バッターに対する意識も含めて。
怪我をしたこと自体は決していいとは言えません。
ただ、本人の野球人生においては、あそこで怪我をしたことがその後の未来を変えたと言ってもいいかもしれません。
ピッチャーを意識するなかで、2012年のセンバツ大会前のバッティングを見たときは『こんなに打球が飛ぶのか』と思うぐらい、果てしなくボールを飛ばしていた。
あの期間の練習というのは『バッター・大谷翔平』の基礎をつくるには大事な期間だったと思います」
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怪我を乗り越え、多くの時間をバッティング練習に費やした高校二年から三年にかけての冬の時期がなければ、その後の「二刀流」はなかった――。
奇しくも、眠っていた才能を呼び覚まし、もともとの技術を進化させたそのオフシーズンがあったからこそ、投打における大谷の礎が築かれたと言っても言い過ぎではないと思う。
高校野球を終えた大谷には、苦悩の日々が待っていた。
人生の岐路と言っては、あまりにも酷かもしれないが、それだけ重い、「18歳の決断」がそこにはあった。
2012年の9月19日。
高校三年生の大谷はプロ志望届を岩手県高野連に提出した。
プロ野球に進むべきか、それともメジャーへ挑戦するべきか。
二者択一の選択を続けていた大谷は、10月に入っても答えを出せずに悩んでいた。
その答えを導き出せずに複雑な思いが交錯していた10月中旬のことだ。
その数日後の10月21日、大谷は「最初(高校卒業後すぐ)から行きたい夢がある」と言い、自らの意思のもとで揺れ動く心を一度は止めた。
「大谷メジャー挑戦」の大見出しとともに、各スポーツ紙が大谷の決断を報じたのはドラフト会議の四日前のことだった。
ドラフト1位候補と呼ばれる日本の高校生が、プロ野球を経由せずにメジャー球団と契約した前例はなく、大谷の“最初の決断”は大きな反響を呼んだ。
しかし、事態は急変する。
10月25日のプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズが大谷を単独1位指名したことで状況は複雑化を極めた。
指名直後、18歳の大谷はこう語ったものだ。
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「(メジャー挑戦を)一度決断した以上は、アメリカで頑張ろうと思っていましたし、どこに指名されても自分の意思だけはしっかりと持っていようと思っていたので、今はアメリカでやりたい気持ちしかありません」
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日本ハム入りの可能性を報道陣に訊かれると、そのパーセンテージは「ゼロ」と言った。
淀みない口調で、入団する意思がないことを伝えた。
ドラフト会議から約一カ月半が過ぎた2012年12月9日。
その日、大谷は日本ハムへの入団を決めた。
道なき道をかき分けるかのように突き進み、可能性「ゼロ」からの決断だ。
大谷は当時の心境をこう語る。
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「指名されたあとも、メジャーでやってみたいという気持ちが強かったですし、(日本ハムへは)行かないだろうと思っていました。
ただ、何回も岩手県に来てもらって、何回も話をさせてもらって、(日本ハムで)やってみたいなという気持ちが強くなっていった。
球団としての熱意、栗山監督の熱意も伝わりましたし、交渉を数回重ねていくなかで、ここ(日本ハム)で自分を追い込んでいきたいと思うようになっていきました」
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メジャーへの思いを一度封印し、日本国内でプレイすることを決めたときの記憶は、大谷のなかではおぼろげだ。
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「考えがパッとすり替わったわけではないですね。
ある瞬間に『行く』と決めたということではなくて、そういうふうに動いていったということじゃないですかね」
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大谷は悩み続けた。
何度となく自問自答した。
その過程で徐々に新たな思考が生まれ、そして最後は自分の意思で答えを出した。
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「最終的には良い判断ができたと今では思っていますし、今でも野球ができていることを考えたら、あのときの決断はよかったんじゃないかなと思いたい部分があります」
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日本ハムと交渉を続けた長い期間、大谷が多くの言葉を交わし、ありのままの自分の思いを伝えたのが家族だった。
息子の最終決断を家族はこう考える。
父の徹さんは言う。
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「やりたいようにやってほしい。行きたいところに行ってほしい。
ずっとそう考えていました。
あとになって『あの時…』と後悔することが一番いけないことなので、はじめから『自分の好きにしていいよ』と言っていました。
決断の決め手は…やっぱり、体的にも精神的にもまだまだなところがあって、あのときは『(アメリカは)今、行くべきではない』と本人が気づいたというか、そういう判断をしたんだと思います。
日本で経験を積んでトレーニングを積んでアメリカへ行ったほうがいい、と。
栗山監督や球団の方々は、チームのためというよりは、翔平のためにこうしたほうがいい、ああしたほうがいい、一緒に頑張っていこうと訴えてくれたので、その気持ちは伝わったと思います」
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そして、母の加代子さんが言葉を加える。
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「あとは『二刀流』ですかね。
他人とは違う、誰もやったことがないことを日本でもできるのか、と。
そこには大きな魅力を感じたと思います。
今だから言うわけではありませんが、韓国での世界野球選手権大会から戻ってきたときに、その先の進路について翔平と少し話をしたことがありました。
そのときに、翔平は投げることも、打つことも好きな子なので、私は『プロに入って両方やらせてもらえないのかね?』と何も考えずに言ったことがありました。
翔平は『まさかそんなの無理でしょ』みたいに言っていましたけど。
私も『そうだよね』と笑って返したんですけど、そのあとに日本ハムの二刀流の話を聞いて、私はどこかで嬉しさを感じていました。
翔平のなかにもきっと『やらせてもらえるのかな』という、嬉しさがあったと思います」
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大渕は、入団を決断させた最大の理由は「本人に聞かないとわかりませんが…」と前置きした上で、大谷と自分自身の思考を重ね合わせる。
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「おそらく、彼のなかで道が見えたのかなあと思います。
自分の目指すべき道が見えたから、じゃあこっちの道で行こう、と。
そう思えたんじゃないですかね」
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大谷にとってのそれは、プロの世界で投手として打者として、ともに技術を高めて互いの最高のパフォーマンスを見せる「二刀流」の道だった。
大谷は、淀みのない声ではっきりと言うのだ。
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「投手と打者の二つをやらせてもらえるというのは、僕にはない画期的なアイディアでした。
それは大きかったと思いますね。
僕としては、まったく違う道を選んだという感じです。
あのとき、もしもアメリカに行っていたら、おそらくバッティングのほうはやっていなかったでしょうし」
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交渉の過程で球団側が二刀流という言葉を初めて使ったのは、栗山監督が加わった交渉の席でのことだったと大渕は記憶している。
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「大谷は交渉のときにまったく表情を出さないんです。
そこがすごく大人というか。
感情を見せてくれなかったので、次の一手というのがなかなか難しかった。
何が正しいのかわからない状態で進んでいったので、二刀流という言葉を出したときも、ちょっと反応があったぐらいだったと思いますけど」
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だが、山田だけは大谷が二刀流に少しだけ反応を見せた瞬間をよく覚えている。
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「三回目の交渉のときでしたかね、二刀流の話をしたのは。
大谷は『そんなのもあるのかな』という程度で少しクスッと笑いながら話を聞いていたのを覚えています」
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