大谷翔平の同級生・佐々木毅さん「花巻東じゃなかったら野球をやめていたかもしれない」…高校1年生で被災※スポーツ報知

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東日本大震災発生時、岩手・花巻東高校野球部で当時1年生だった佐々木毅(つよし)さん(26)は、地元・釜石市に住む祖父が津波で行方不明となっている。一時は野球をやめることも考えたが、同級生の大谷翔平投手(26=エンゼルス)ら仲間やスタッフにも支えられ、甲子園にも2度出場した。あれから10年、今も野球を続けている佐々木さんが仲間や地元への思いを語った。(有吉 広紀)

 

 地震発生時、佐々木さんは岩手県内陸部にある花巻市の同校グラウンドにいた。津波の大きな被害を受けた釜石市の実家とは連絡がつかない。不安が募るなか数日がたち、寮の部屋に佐々木洋監督(45)が来た。「行くぞ、と言われて、どこに行くかわからないまま準備しました」

 

 監督らスタッフ数人が沿岸部出身の部員を車に乗せ、安否確認に向かった。釜石駅付近に来た時、「道に魚とか転がっていて…。あの光景は忘れられない」。がれきで車が通れず、線路を歩いて実家の近くまで行った。両親は無事だったが、野球好きだった祖父が津波に流されて行方不明になった。

 

 野球をやめることも考えたが、両親は「おじいちゃんもどこかで見ているから続けなさい」と背中を押してくれたという。「花巻東じゃなかったら野球をやめていたかもしれない。改めて仲間の大切さを感じたし、仲が深まったと思う」。仲間がいたからこそ悲しみを乗り越えられた。

 

 4月に2年に進級し、投手として、その年の夏と3年春の2度甲子園に出場した。同級生の大谷について「野球をやっている時は負けたくない、と思っていたけど、それ以外では仲のいい友達ですね」と話す。今でも大谷が帰国した際は数人で集まり、昔話に花が咲くという。「最初は近況を報告して、その後いろいろ話して。寮での出来事や怒られたことなど、最後は高校の思い出話で必ず終わります」と振り返った。

 

 同校卒業後は神奈川大を経て現在は福島・いわき市にある、粉末冶金(やきん)製品などの製造と販売を手掛けるタンガロイに勤務。同社の軟式野球部でプレーを続けている。この10年で釜石の風景も「すごく変わっています。帰るたびに思います」と復興を実感している。仲間への思い、地元・釜石への思いを胸に、佐々木さんはグラウンドに立つ。

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