12月2日に放送されたTBS系ドキュメントバラエティー番組『消えた天才』が、大谷翔平の特集を組んでいた。出張でなかなか見れなかったが、録画していたものをようやく見れた。最近は、『今何してる』等、素人の人生をドキュメンタリーに構成した番組をよく見かける。ヒットしているのだろう。この『消えた天才』は、良く考えぬいたアイディア企画だと思う。

 

 この番組。大谷が挑んだ、3年最後の夏を阻んだ、あの疑惑のホームランは、確かにファールに見える。VTRをみるかぎり、ファールだったように思う。結果的に、大谷は3年夏の甲子園に行けなかったが、その後、大きく開花した。否、行けなかった悔しさが、その後の人生の活力やエネルギーになっていることも間違いないだろう。そして、この疑惑のホームランを放った二橋選手と盛岡大付属高校は甲子園に行けたが、1回戦で延長戦の末、敗れた。歴史にタラレバはないが、判定が逆転していたら、大谷と二橋選手はどういう人生を歩んでいたのだろうか。

 

 大谷はどちらに判定が転がっていても、同じような結果を生んでいたはず。野球のてってぺんを追い掛け続けているかぎり、人間万事塞翁が馬。野球小僧であることに変わりは無かっただろうから。

 

大谷翔平の甲子園を阻んだ二橋大地が“疑惑のホームラン”を語った「悪いことしてないのに…」

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 メジャーリーグで新人王を獲得したエンゼルスの大谷翔平(24)の甲子園進出を阻んだ、盛岡大附高で4番だった二橋大地(24)が2日放送のTBS系「消えた天才」(日曜・後7時)にVTR出演。“疑惑のホームラン”と言われた当時の心境を明かした。

 12年の岩手県大会決勝・盛岡大附対花巻東戦。二橋は大谷から3ランを放った。当時の大谷の印象を「モノが違うと思った。今まで見た中で一番速いなと思いました」と語る二橋は、怪物対策としてマウンドよりも6メートルも前にマシンを設置し、練習に励んでいたという。

 しかしこの3ラン、ポール際だったこともあり“疑惑のホームラン”と試合後に大騒動となった。試合終了時にはファンからヤジが飛び、学校にもバッシングの電話があったそうで、「ポール際だったってこともあるんですけど『やっぱりあれはファウルだった』とか言われたりしたので、いろいろ悩みました。試合が終わった後も高校に電話があったとウワサで聞いたりしてたので、悪いことしてないのに悪い事した気分…」と当時の心境を明かし、この騒動でプロへの思いが一度途切れてしまったと話した。

 しかし、二刀流にこだわるプロ2年目の大谷が、野球評論家から批判的な声がある中でも日本プロ野球史上初の大記録を打ち立てる活躍をみて「投げている姿を見たら、高校時代の決勝戦がよみがえる時もあったし、『僕も頑張ろう。もう一回対戦したいな』(と思った)」と奮起。現在は社会人野球の三菱日立パワーシステムズに所属し、再びプロを目指しているという。

 VTRの最後に二橋は、「あのホームランのおかげで悔しい思いもあったので、それがなかったらここまで成長できなかった。もう一回プロ野球選手になって、大谷選手と対戦したい」と思いを語った。
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大谷翔平の怪物ぶりが浮き彫りに 同世代の“消えた天才”たちの今

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 2日に放送されたTBS系ドキュメントバラエティー『消えた天才』に、今シーズン、メジャーリーグ・エンゼルスに移籍し、投手と打者の二刀流で大活躍を見せた大谷翔平選手に“勝った”ことがある同世代の“天才”たちが紹介されるとともに、中学・高校時代の大谷の怪物ぶりが改めて浮き彫りになった。

 中学時代から速球を投げ、強打者として注目されていた大谷。番組では、2009年に開催された中学の全国大会で、岩手代表のメンバーとして出場した大谷を凡打に抑え、最速142キロの速球を武器に完封で勝利した選手を紹介した。

 その選手の名前は、横塚博亮。東京代表のエースとしてマウンドに上がった横塚は、その後もエースとして全国の強打者を打ち取り、チームを全国優勝に導く。自身も最優秀選手に選ばれた。中学卒業後、横塚は神奈川の強豪・桐蔭学園に進学。しかし、高校在学中に「プロに進もうと思っていたが断念」したといい、その裏に大谷の存在があったことを明かした。

 中学の全国大会で対戦した時は、「意識するほどではない。自分の方が上だと思っていた」と話す、現在の横塚さん。高校生になって大谷が、球速も身長もどんどん伸ばし、怪物級の成長をみせていることを知り、「焦りを感じた。(大谷に)勝ちたいという思いが強いほど、その代償は大きくて…」。オーバーワークに走った末、右手の小指を骨折したり、肉離れを起こしたり、挙げ句、投手としては致命的なベネット損傷で「プロはもう無理」とあきらめた。

 ライバルが偉大すぎたがゆえの悲劇とも言えるが、横塚さん本人は「大谷を超えたいと思ってやった結果。後悔はない。そういう野球人生もある」と、きっぱり。現在は、特別支援学校の教職員として自分の道を歩んでいるという。

 高校1年時の大谷の球速記録を上回る148キロをマークし、今も破られていない日本記録を持つ、伊藤拓郎(帝京高校)は、ドラフト指名された横浜DeNAベイスターズに入団するも3年で戦力外通告。現在は、社会人野球でプレーし、プロ復帰を目指している。

 甲子園で大谷から唯一ホームランを打った田端良基(大阪桐蔭)は、野球を辞め、現在は年商1億円、オーダーメイドスーツの会社の経営者に。「ほかの分野で1番になりたい。負けられへん。大谷選手からホームランを打った自信を持って精進していきたい」と話していた。

 2012年全国高校野球選手権・岩手大会決勝で大谷から3ランを放った二橋大地(盛岡大付属)は、ホームランがポール際だったことから「ファウルだった」「甲子園で大谷を見たかった」などとバッシングを浴びて野球への情熱を一時失ったそうだが、プロでも二刀流を貫く大谷の姿を見て奮起。「大谷選手と対戦して、誰もが認めるホームランを打ちたい」とプロを目指して社会人野球で汗を流している。
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