2016年のブログですが、納得がいく考察です。自分は、大谷選手が言う「先入観が可能を不可能にする」を確信するに至ったプロセスや動機に興味がありますが、これはもっと後年に大谷選手自らが振り返らないと、明らかにならないかもしれませんね。

 

大谷の二刀流に反対していた人たちは誰か 改めて検証する

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「このままでは中途半端で終わる。ピッチャーで5勝、バッターで2割8分くらい。どっちかに決めないと。150キロを投げられるピッチャーはそうそういない。(投手専念なら)相当な選手になる」
(張本勲)

「ひとことで言えば、「大昔」の大記録。つまり多くの選手の実力レベルが、今日と較べてかなり低く少数の突出した実力の持ち主が大活躍をする、言わば「神話の時代」のベースボールでの出来事だった。」
「北海道日本ハム・ファイターズに入団した大谷祥平選手がバッターとピッチャーの「二刀流」で、プロに挑むという。が、結論から言えば、それは現代プロ野球で常識的に考えて無理」
(玉木正之)

「絶対にあり得ない! レッドソックス在籍時に投手兼主軸打者として活躍した伝説のホームラン王、ベーブ・ルースの時代ならいざ知らず、現代では無理です。今のメジャーでは、延長戦などで投手が足りなくなったときでさえ、控えの野手しか登板させない。高い給料を払っている主力にケガのリスクを負わせないためです。もし大谷選手がメジャーの一流選手になるという夢を志しているなら、二刀流プランは早々に破棄するべきでしょう」
(福島良一)

「投打ともに20年に1人現れるかどうかという逸材であることは間違いありません。投手、野手のどちらでも大成するでしょう。ただし、『どちらかで』であって、両方の大成を目指すことは、どちらも中途半端に終わる可能性がある。」
「本気で二刀流できると日ハムは思っているのか。大谷を潰す気か!投手は一度出来上がると長持ちするがバッターは難しい」
(江本孟紀)

「二刀流が通用するほどプロは甘くない。俺の記録を抜けるのはあいつしかいない、打撃の天才」
(清原和博)

「ずっと二刀流で(両方で大成)ゆうのは無理よ。160出せる身体能力は野手でも絶対に生きるはずやんか、オレはやっぱり野手で大成させてほしいと思うな」
(岡田彰布)

「ベーブ・ルースに大投手の名声はない。関根氏の偉業もほとんどの人は知らない。そんな「二刀流」よりも1日も早く「一刀流」に絞り、200勝もしくは2000本安打を目指すべきだ。どっちつかずが一番怖い。」
(サンケイスポーツ 田所龍一)

「プロを舐めるな、成功してほしくない、俺が日ハムの監督なら間違いなくピッチャー」
(野村克也)

「二刀流だと中途半端になる。投手に専念したほうがいい」
(桑田真澄)

「二刀流はどちらかに逃げられるので結局身につかない。栗山、判断を間違えるなよ」
(関根潤三)

ちなみに関根潤三という監督は弱小であったヤクルト時代の監督であったわけですが、戦力がないから負けて当然と考えて指揮をしていた実に常識的なものの考え方しかできない人でした。しかし野村克也が言うように「弱者は必ずしも敗者ではない。」そのための戦略があるということすら頭にない人であり、関根氏の認識の限界がここでも浮き彫りとなっています。
「投手出身の私はまず投手からの方が、と考えていたが、栗山監督の話を聞いて少し意見が変わった。栗山は、二刀流でやるからには1年とかで(方針を)曲げるわけにはいかないんです。と言っていた。私は運命だと思って、とことんまでやればいい、との言葉を贈った」
(森繁和)

「無理だと言うこと自体がおかしい。二刀流は難しいが前例のないことをいきなり否定はできない」
(松井秀喜)

否定派の人たちの言うことが決して間違っていたとは思わない。ただ彼らは大谷という100年に一人の逸材を自らが数十年の間で培ってきた常識の枠で捉えようとしたに過ぎない。大谷が打者にあっては5試合連続HRを放ちながら、投手としても160km超の4シームを一試合で何度も投げ込み、セイバーメトリクス的にも文句なし日本でナンバー1の座に居座るだけのポテンシャルがあることに否定派の誰ひとりとして気づかなかったということ。

この二刀流というプランが最も危機に晒された時期は、大谷一年目の日本ハムが最下位になった時でした。まさしく四面楚歌。ほぼ完全にアゲインストの向かい風の中を一人栗山は身を呈して、大谷の二刀流というプランを守り抜きました。きわめて日本ハムが柔軟性の高い組織であり、二刀流のサポート体制を作ることはあっても、そのプランを主導するのはあくまで監督であり、ひるまず立ち向かうは選手です。

「時代を変えてきた人たちは、周囲から“おかしい”と言われてきた」幕末の思想家・吉田松陰に栗山監督は影響を受けてきたと言われています。かの松陰が投げかけた「狂いたまえ」のゲキを日本ハムの選手に飛ばしたと言います。狂いたまえとは如何なることを意味しているのか。「その時代に合わせた常識の中では、本当に国家(野球)のためになる業績や改革など成し遂げられない。己の情熱のままに行動しなさい」という意味。

そうした松陰の狂の精神をもって大谷に「姿を現せ」という、謎めいた言葉を栗山監督はかけたと言われています。たしかに二刀流も一見すれば単なる非常識でもあり、狂っているとしか言いようがない。常識を超え、大谷自身もまたそのほんとうの能力・姿を表へ顕在化するためには、どこかで狂ったところが必要なのかもしれません。栗山監督の常軌を逸した二刀流続行という決断はまさに<狂>であり大多数の評論家や決して少なくない日本ハムファンも強烈にバッシングしたように、栗山監督は全くの無能扱いでした。

しかしそうした狂っているとしか見えない表層を超えたもう一段深いところに、確かな志とインテリジェンスが備わっている時、狂の精神が至誠へと転じ、世の中の常識を根本から変えることがある。

「千万人といえども我行かん」という吉田松陰の精神。たとえ一千万の敵によって道が塞がれようとも、もし自らを省みて正しいと思うなら、我が道を突き進む姿勢があってこそ、今の大谷二刀流がある。あの最も苦しい時期に松陰の精神を栗山監督自身が体現して見せてくれたような気もするのです。

おそらく栗山監督はどれだけ無能と罵られようが、外部の声については基本シャットアウトし、本当に自らが聞かなければならない声の持ち主が自らの心の内側にいることを知っていたに違いありません。その声なき声の持ち主こそが、栗山監督が心底尊敬して止まない、数々の不可能を可能にしてきた魔術師・三原脩だったのです。

MLBの歴史の骨格を語る上においてビル・ベックは絶対に外せない人物であるように、日本のプロ野球の歴史を俯瞰していると、私が思わず目を奪われたのが大谷二刀流のルーツでもある三原脩という男の持つ圧倒的な存在感でした。日本のプロ野球の歴史を語る上において、三原脩抜きには語れないとさえ考えています。セイバーメトリクスを研究していれば日本ハムが取り組んでいるBOSという強力なシステムに目が行かざる得ません。スポーツマーケティングや戦略の本を読めば、固定概念に囚われることがない組織風土を持っている日本ハムのフロントが如何に優秀かはすぐにわかります。当ブログの主な関心事である、セイバーメトリクス・戦略・歴史という3つの観点をたどると、その先には日本ハム大谷の二刀流は基本的に是であるという結論が浮上してくることは自明であったと言えます。
 
今年ヤンキースが最下位に沈んだ最も借金が多い時、当ブログではジラルディ監督を擁護しました。もちろん、最下位の日本ハムを指揮しバッシングの嵐の中にいた栗山英樹監督も当ブログは擁護しました。最下位だろうが擁護するものは断固擁護していきます。

大谷翔平は言います。
「特に幕末が好きですね。日本が近代的に変わっていくための新しい取り組みが多くて、歴史的に見ても大きく変わる時代。革命や維新というものに惹かれるんです」

幕末好きで日本のプロ野球の歴史に革命を起こしたいという栗山監督と大谷の意志が二刀流というアイデアによってがっしりとベクトルを一にした。すなわち二刀流によって時代に革命をもたらそうとした点において、栗山監督と大谷翔平は監督と選手という垣根を超えた同志であったのではないのか。

本当に無能だったのは果たして誰だったのか。それは後世の歴史家がフェアーに判断することになります。あの大バッシングを外から第三者として見ていた者としては、評論家や多数の意見が必ずしも正義とは限らないことを栗山監督の二刀流からは改めて学んだ気がします。たまにお前の書いていることとライターでは意見が違っていると指摘されることもあるのですが、「だからそれでどうした」としか言いようがないんですね。(笑)
 
大谷に感心させせられるのは時間に対するコスト意識といい、MLBへの夢を語ることを封印して、日本ハムの優勝だけに今はターゲットを絞っているというコメントを聞いても、大谷は周囲のことが実によく見えており、本質を掴み取る能力においても極めてクレバーな点にあります。判断もつかない高校生であった大谷に対して、大人が二刀流という餌で吊り上げたという下種なコメントを見たことがあります。いったいどこまで大谷を見下せば気が済むのか。大谷は栗山英樹という監督や日本ハムの本質にあるものを洞察し信頼に足るという確信を得たからこそ、MLBへ100%、日本はまずないとした前言を翻したのではないのか。

大谷の眼(まなこ)は、野球において最も大事な事柄についての核心だけは決して外さない。これまでも外さなかったからこそ、最速に近い速さで超一流の領域までレベルを伸ばしてこれた。栗山監督が有能でないならば、事が野球であるだけに透き通った大谷翔平の眼は確実に見抜くことになるはずです。能力のないと判断した監督へ、超一流の才能を持つ選手がついてゆくのかということです。

最後にもう一度、野村克也。
「あれだけのバッティングとピッチングができるなら、大賛成。今まで誰もやったことがないことをやるというのも、魅力である。『10年に1人の逸材』と呼ばれる者はよくいるが、プロ野球80年の歴史で、あんな選手は初めてだろう」
野村克也という人物の最良の部分がこの言葉に表現されています。しなやかな思考力を未だ失わず、自らの考えが間違ったと判断した時に、プライドに固執することなく方針を変更し前言を如何様にもひっくり返すことができる。この点、実に素晴らしいものがあります。
 
大谷の二刀流。漫画ならあり得ても現実にそんなことが可能なわけがない。もし今を生きる人が3年前に一人だけタイムスリップをして周囲の人に二刀流の未来が「5試合連続本塁打に160km超連発することになる」と告げても、誰も信じないに違いありません。どれだけ否定派の人たちが詭弁を弄しても栗山英樹監督は、大谷二刀流という誰もが不可能と考えていた常識を覆したきわめて有能な指導者として必ずや歴史に名を残すことになります。

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