大谷選手の入団交渉時に使用し、話題となったプレゼン資料が公開されている。プレゼンの基本となる目的に至るまでの過去総括から導く課題解決方針を、スポーツ業界から他国の野球に至るまで、ファクトを丁寧に詳細に分析しまとめあげた資料は、とても説得力がある。

 

大谷選手との入団交渉時に提示した球団資料について

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 北海道日本ハムファイターズは、球団資料「夢への道しるべ」を本日から球団ホームページにおいて公開いたします。
この資料は、ドラフト1位指名した大谷翔平選手(花巻東高)との入団交渉において提示した原本ですが、ファンの皆様や報道関係者から内容についての問合せが多く、今回は個人情報など公開が適当でないと思われる一部を除く全文を開示いたします。

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究極の交渉術を学ぼう、日本ハムスカウトディレクターが初めて明かす 大谷翔平の心をこうして動かした

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 頑としてメジャー行きを宣言していた大谷翔平。彼との入団交渉を統括していたのは、プロ野球経験のない元高校教師のスカウトだった。叶わないはずの恋をモノにした、日本ハムのスカウト術を学ぶ。

 

最初は言葉が響かない

 

大谷君のショートはすごいですよ。すでに惚れ惚れするような動きを見せている。2月からのキャンプは二軍スタートになるでしょうが、現場のトレーニングコーチらも、「動きの共通部分は多いから、打つことと投げることを分ける必要はない」と話しています。

「二刀流なんて無理だ」

 という解説者の方もいますが、嫉妬混じりの言葉ではないですか。彼には実現するだけのセンスと情熱がある。今まで大谷君のような選手がいなかっただけですよ。

「獲れる選手ではなく、獲りたい選手を獲りに行くのが、ファイターズのスカウティングだ」

 とは、山田正雄GMがよく言う私の好きな言葉です。

「リスクの前で尻込みしない」—二刀流もそうですが、それがすべての始まりだったんです。

 ただ本当に大切なのはここから。交渉の席で交わした約束を守らないと、騙したことになる。それは、将来的に大きな損害を生むことにもなりますからね。

 そう語るのは、日本ハムのスカウトディレクターを務める大渕隆氏(42歳)だ。早大野球部出身の大渕氏は、卒業後IBMに就職。その後高校教師を経て現職に就いた。プロ野球経験はないながら、陽岱鋼や、斎藤佑樹らの入団に貢献。昨年はソフトボール出身の大嶋匠を見出している。

 メジャー挑戦を宣言していた大谷翔平(花巻東)との入団交渉には、山田正雄GMとともに臨み、「大谷翔平君 夢への道しるべ」というパワーポイントで作成された26ページに及ぶ資料を提示している。自らを「冷たい人間である」と評す大渕氏が、日本ハムが見せた大谷を獲得するまでの、「究極の交渉術」を、冷静に振り返る。

 交渉に臨むにあたって、我々には、3つの武器がありました。それは決断力と交渉術と情熱です。それぞれの役割を担ったのが、山田GM、私、そして栗山(英樹)監督でした。

 勝算はまったくなかった。

 

私がドラフト前に直接接触したのは1度きりで、9月のまだ暑い頃でした。すでに大谷君のメジャー志向が強いことは明らかでしたが、こちらは高をくくっていたんです。「高校生だし、いま本人がメジャーと言っていたって、どうにかなるだろう」とね。

 でも会ってすぐに「本気だ」とわかった。私たちが日本ハムの育成の話をしても、大谷君の気持ちが入ってないのがわかるんですよ。その時、韓国の高校生の話をしたんです。「直接メジャー入りしてうまくいっている選手の割合は、決して高くはない」と。

 ただ、大谷君には全然響いている様子がなかった。面談は終始そんな雰囲気で終わり、球団には「ドラフト指名しても、相当難しい交渉になる」と報告するしかなかった。

 それでも、山田GMが先頭に立って指名を決断しました。

「菅野(智之・現巨人)に続いて1位指名選手に入団を拒否されるようなら、責任を取る」

 と、進退を賭けて「ファイターズのスカウティング」を貫いたんです。

 長年、日本ハムは弱いチームでした。'04年に本拠地を移転し、独自の選手評価システムを作り、同年のドラフトでは、競合のリスクを冒してダルビッシュ有を指名した。昨年リーグを制したチームの主力は、ほとんどがその後のドラフトで獲得した選手ばかりです。

「攻めのドラフトが、日本ハムを強くした」

 山田GMのその信念で、大谷指名に踏み切ったんです。

 大谷君に唯一つけ入る隙を感じたのは、9月18日にプロ志望届を提出してから、「アメリカに行きたい」と宣言するまでに時間を要していたことでした。

「今週中」という情報が流れてから、1週間経っても会見はなく、結局ドラフトのわずか4日前にまでメジャー宣言はずれこみました。

「これはすんなりいってないんじゃないか」

 と感じました。親御さんが比較的「国内派」で、(佐々木洋・花巻東)監督もそうだろうという情報が入っていましたしね。だから、「後は本人だけだろう」と。もちろん、それが最も大変なのですが。

 

気持ちを正しく理解する

 

実際の交渉に臨むにあたって、大谷君や家族の正直な気持ち、そして何より大谷君が、「どうしてメジャー挑戦」を希望しているかを正しく理解する必要があった。そうしないと、間違った交渉の仕方をしてしまう。

 

そうした意味で、指名後2度目の岩手訪問は、その後の交渉の方向性を決定づけました。指名後に大谷君が、初めて同席してくれた自宅での会談です。

 当日、本人と話して見えてきたのは、大谷君が単純に「メジャーでやりたい」と考えているのではないということでした。アメリカに行きたいわけでも、もちろんマイナーでプレーしたいということでもない。私は、真剣に話す大谷君の言葉を補完しながら、「こういうことだよね」と一つ一つ確認していきました。

 すると彼の希望が、「トップで活躍したい」「長く現役選手でいたい」そして「パイオニアになりたい」という3点であることが理解できた。彼はその3点を元に、「早くメジャーに行きたい」という願いに至った。

 その3つの希望に対して、具体的にどんな戦略で臨めばいいかを構築する—それが私の役割でした。

 会談の中では、大谷君のメジャーへの知識がそれほど深いものではないとも感じました。だから「資料を作ろう」と決めたんです。

 それに直接話した彼は、「非常に頭がいい子」でした。印象的だったのは、我々が指名した経緯を説明した際に、大谷君が、「高い評価をありがとうございます」と言ったことです。

 たとえ言葉自体は社交辞令だったとしても、捉えようによっては、「邪魔者」扱いされてもおかしくない我々の心理を慮り、話を聞く耳も持っている。なかなか高校生にできる芸当じゃない。長年サラリーマンをしているお父さんも、パートをしているお母さんも非常に頭の回転がいい。

「これなら資料を渡しても、ちゃんと読んでもらえる」と確信できた。

 世間的には、日本ハムに入って欲しい我々と「メジャーに行く」と宣言した大谷君が、真逆の方向を向いているように見えていたと思います。でもこの交渉を境に、我々なら大谷君の夢を一緒に叶えていけると考えられるようになった。

 山田GMが常々言っていたことですが、

「メジャー志向を否定して、消去法的にウチを選んでもらうような交渉はよそう」「できることをすべて提示した上で、大谷君本人の意思で、『来たい』と思ってもらえるように努力しよう」

 というのが共通姿勢になりました。私も山田GMも「転職組」で、「新しいことがしたい」と胸が騒ぐ気持ちはよくわかる。彼の心底にある希望を聞き出したからには、的確に真剣に答えていこう、と。その覚悟を資料に反映させたかった。

 さらに、私はこの職に就く前は高校教師だったのですが、彼らのような年代の頃は、自分の決断に対して非常に「潔癖」なところがあると知っていました。

 

思い込んだら駆け落ちみたいなもので、周りから感情的に「止めろ、止めろ」と言われれば、余計にのめり込む危険性もある。大谷君はメジャーリーグ、特に3年間熱心に誘ってくれていたドジャースと「結婚寸前」まで行っていた。

 だから「道しるべ」は逆に、なるべく無機質に多角的に情報を書いたんです。

 理屈で攻めた。

 野球に限らず、サッカーや卓球、柔道などの専門家からも話を聞きました。

 作成期間は10日くらいですかね。毎日ファミレスに通って、朝9時から夕方5時くらいまで。途中で精算して、さらに居座ったこともありました(笑)。

 通常こういった資料は、より少ない文字で、わかりやすくまとめるべきだと思います。でも「大谷家」に対しては、一見過剰に思えるほどの分量が必要だと判断しました。

「我々の考えを浸透させたい」という狙いがあったからです。紙にプリントして渡したのも、そうした効果を考えてのこと。冊子状の資料を渡せば、家族で話し合う機会も増えるでしょう。

 たとえばリビングのテーブルにでも置かれていたら、「あれどうだっけ、これはどういう意味だろう」と、家族で読んで考える時間が自然とできる。こちらの考えに目を向けてもらう可能性が作れる。

 カチカチになっている状態を緩めたかった。この先何度か会えたとしても、数時間の説明だけで片思いの相手を心変わりさせることなんてできませんからね。

 

栗山監督をどう投入するか

 

ここで我々が頭を悩ませたのが、栗山監督の投入のタイミングです。私と山田GMにとって、栗山監督こそ最後のカードでした。

 監督は、解説者時代から大谷君と顔見知りであり、我々の情熱を誰よりもストレートに、最大限に表現できる人間です。そして「二刀流」も、「パイオニアになりたい」という、大谷君の希望への我々にしか出せない答えだった。

 ただこれらの「奥の手」も、相手に聞く耳を持ってもらえてなければ、空振りになる可能性がある。だから、その前の「地ならし」が肝要だったんです。

 4回目の交渉(11月17日)は、ご両親に「道しるべ」を渡した3度目の会談の1週間後。こちらは山田GMと私のみ。この回は、大谷君本人が両親とともに同席してくれました。

 結論から言えば、この日も大谷君の反応から「手応え」は掴めなかった。資料は読んでもらえていたし、こちらが話す具体的な育成プランにも、真剣に耳を傾けている様子でした。ただ、隙がない。やはり普通の高校生じゃないんですよ。

 

「この子は大物だな」と圧倒されました。

 たとえばこちらから、「どう思う?」と水を向けても、ほとんど言葉を返してこない。乗ってこない。

 目の前にいるのに、分厚いカベで隔てられているような。大谷君は、「いつでもNOと言える状態」のまま、交渉の席に座っていたんだと思います。

 この時期は不安でした。プラン通りに段階は進んでいくのに、当の本人の核心が得られない。

 その理由として、本人もご両親も明言はしませんでしたが、やはりああいう「宣言」をしながら翻意する形になることを、不安がっていたようです。でもそれも、大谷君自身が言ってくれるわけじゃない。だから山田GMが先回りして、会話の端々で「大丈夫ですよ」と声をかけ続けました。

「斎藤佑樹も目立った存在だったけど、今ではすっかりチームに溶け込んでいる。うちは一人ひとりを尊重するし、気にすることは何もないです」

 と。実際、陽岱鋼('05年ドラフト1位)のように、ドラフト前に「ソフトバンク以外は行かない」と明言しながら、今やウチの主力になった選手もいる。それでも、当時のことを揶揄するようなファンはいません。

 そうは言っても言葉で伝わらないこともある。だから、この時点で我々にできることは、とにかく「ブレないでいること」だけだったように思います。

 最初に山田さんや栗山監督と確認した通り、「大谷君が自分で決断できるように」、あくまで大谷君の立場に立って考えることだけは貫こうと。やはり、本人にとっては人生の一大決心なわけですから、少しでも、彼を「騙すような」交渉にだけはしてはいけないと、細心の注意を払いました。

 その日、私からはアメリカのドラフト1位について話しました。高校生で、全米のドラフト1位になった選手が、数年後どうなっているか。五十数名を一覧にまとめて渡したんです。生の経験談を伝えられたらと、ドジャースのマイナーに所属している日本人選手からも、事前に話を聞きました。

 それが悪くない話なんですよ(笑)。「元気に目標持ってやっています」と言っていて。正直、「まいったな」と思った。でもそのまま伝えたんです。

 

結論は「お世話になります」

 

結局この4度目の交渉は、私と山田GMの中では、「分からないなあ」という感触で終わった。

 ただ、「手応え」とは違いますが、「道しるべ」に対して、ご両親から意外な反応があった。特にお父さんが、「資料の厚さからも熱意が伝わる。息子だけのために作ってくれて感激した」と話してくれていたそうなんです。それにこの頃から、少しずつ周囲の後押しが得られてきていました。

 

「日本ハムに行ってほしい」「行ったほうがいい」

 と言ってくれるマスコミや、ファンの人が現れ始めた。チームへの評価というのは、一朝一夕で得られるものではない。僕が10日程度で作った資料とはワケが違う。ここからは、特にファイターズとしての総合力が試されると思いました。

 態度ははっきりとしない中でも、大谷君は交渉の席についてくれました。ならば我々も、「熱意」で応じようと。5回目・6回目の交渉は、栗山監督の情熱に懸けた形になりましたね。

 栗山監督は、「僕は高校3年間君のことを見てきた。今こうやってかかわれて、本当に喜んでいるんだ」と言ったんです。あの語り口で、「二刀流」の具体的なプランもどんどん出てくる。本人以上に真剣に「大谷君の将来」を考えているんだと、我々チーム全体の姿勢を、ストレートに大谷君にぶつけてくれました。私たちが止めても話し続ける人ですから(笑)。

 山田GMも、「最後は自分で決めるんだぞ」と何度も語りかけてきました。

 最後はそれに大谷君が応えてくれた。

 6度に及んだ交渉の数日後、お父さんに電話をかけると、「直接話したいと言っています」と言われ会いに行ったんです。大谷君本人から、「お世話になります」と言葉をもらいました。夜はGMと監督と3人で、一杯だけ祝杯を上げました。

 新人合同の自主トレで、私は彼ら向けに、毎日講義を行ったんです。

 たとえばそこで、「一流選手になると、時に大統領よりも強いメッセージ力をもつこともある」といった話をすると、大谷君は目を輝かせて聴いている。貪欲さが滲み出てる。

 もし獲得できてなかったら……そりゃ寂しかったでしょうね。

 山田GMが「指名しよう」と決断したことに始まり、私は大谷君の頭に訴えかけた。栗山監督が熱意をぶつけてくれた。一つでも欠けてはダメだったんです。

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