MACF礼拝説教要旨
2024年6月9日
「恵みの中に置かれている祝福に目を留めよう」
ヘブライ人への手紙10章
19それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると
確信しています。
20イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道を
わたしたちのために開いてくださったのです。
21更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、
22心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。
信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。
23約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を
揺るがぬようしっかり保ちましょう。
24互いに愛と善行に励むように心がけ、
25ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。
かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、
ますます励まし合おうではありませんか。
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1)イエスの血による赦しと解放と自由
イエス様が十字架にかかったとき、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたという記事がありました。イエス様の贖いのおかげで私たちが自由に神様の前に出ることができ、感謝、礼拝が可能になったという意味がありました。神様との交流が自由になっているということは大きな祝福です。
それまでは常に自分が律法を守れているかどうかばかりを気にしなければなりませんでしたから、恐ろしくて近づくこともできませんでした。
2)神に近づけるという特権の重要さ
罪が赦され、洗礼による洗いをうけ、キリストによって覆いが取りのけられているので安心して神様にどんなことでお伝えし、喜びも悲しみも不安も共有できるようになっている事を忘れないように。神様が私達と喜びを共有しようとし、神様のミッションを共有しようと期待してくださっていることはおおきな祝福であり光栄なことです。
私たちには、自分がやりたいと思うこととは別に「神様からの使命」「神様から託された役割」があるかもしれません。それは各自違うでしょうし、感じ方も異なっていると思います。
しかし、神様が私たちを自らに近づけて、促し、使命を与えて神様のためのミッションへと
駆り立ててくださっていることを決して無視してはならないと思います。
つまり私たちには全容は、今はわからなくても、生きる目的があるのです。
神様の思いのままに用いようとしておられます。
それは実は私たちにとって最善の生き方であり、最高の喜びを味わえるはずの生きかたでもあります。
自由に活動できる時代に「神様のために」とか「神様とともに」などという言葉はあまり響かないかもしれません。しかし、自分だけのために生きるのではなく、神様の思いや委託を意識しながら生きるというのはとても「生きがいを感じる」あゆみです。
さまざまな困難や不安に直面している時、思い出すべき内容でもあると思います。
迫害、不安、病気、孤立などが身近にあるとき、ここにこそ希望をしっかり
据えることによって信仰を維持することができ、祝福を受け取りながら前に進むことができるようになるのです。
3)神への信頼、そして愛と善行と関わり(絆)
神様を信頼し、どんなことについても神様からの指示や助けを求めつつ前向きに神の国を生きることが可能になりました。 神様と共に、神様の心を大切に生きるわけですが、その際、決して、自分ひとりだけでやっていけると思わないように!
ひとりで静まることは大事。一人で祈ることも大事。一人で決心することも大事。
でも、誰かと分かち合いながら生きる喜びも味わえないと歩みが止まるからです。
礼拝は喜びの共有の場。神の祝福を共有する場です。
自分から関係を断ち切ったり、引きこもり状態にならないように注意することは重要です。
そして、様々な人達に対して悪意ではなく、意地悪ではなく「愛と善行」を土台に
関わりを深めていくこと。悪意をいただかないで、前向きに愛の心で接することができますように。
「励まし合う」という環境整備が大事ですね。
「いてくれてありがとう」を共有できる仲間がひとりでも、ふたりでも、いるとうれしいですね。
パウロの言葉を心に留めましょう。ローマの信徒への手紙14章
15あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。 16ですから、あなたがたにとって善いことがそしりの種にならないようにしなさい。 17
キリストが死なれたほど、キリストに愛されているあなただからこそ「いてくれてありがとう」が
共通理解になればと心から思います。
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