MACF礼拝説教要旨2024年4月28日 | パスタ〜Kazの「いてくれてありがとう」ノート

パスタ〜Kazの「いてくれてありがとう」ノート

関根一夫の感じていること、気になっていること、そして説教ノート、写真などあれこれ掲載予定です。

本日はOCCでの礼拝はありません。
OCC での礼拝は5月5日午前10時からです。
よろしくお願いします。関根一夫
**
MACF礼拝説教要旨
2024年4月28日

ヘブライ人への手紙6章

神の確かな約束
13神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、
御自身にかけて誓い、
14「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と言われました。 
15こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。 
16そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。 
17神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。 
18それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。 
19わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。
 20イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです******

アブラハムの出来事は創世記の後半に丁寧に書かれていますが、そのアブラハムが神様の命令に従って旅立ったのは彼が75歳の時でした。その中心的な約束はアブラハムを偉大な国民にし、祝福するというものでした。つまり子孫が広がり繁栄するという約束でした。

実際は、アブラハムと妻サラとの間には子供がいなかったし、なかなか子供は生まれませんでした。そこでサラは奴隷だったエジプト人のハガルを通して子供を産ませようと考え、アブラハムはそれに従いました。アブラハムが86歳のときハガルはイシュマエルを産みました。
それは神様の約束や計画とは違うものでした。

つまりアブラハムとサラは神様の約束を待つことができませんでした。それから13年間、つまり、イシュマエルが成人するまで神様はアブラハムに声をかけることをなさいませんでした。しかし、その後神様は再度99歳のアブラハムに語りかけ、契約を結び、まさしく彼が大いなる国民の父となることを約束するのです。
そして、その通り、彼らには実子イサクが与えられます。神様の約束や誓い、契約を信頼して「待つこと」の重要性をこの箇所は教えています。アブラハムは息子が生まれるまで25年近く待たなければなりませんでした。
でも、神様は間違いなく約束を果たされました。神様が約束を守り、誓いを果たし、契約を実行することは間違いのないことなのだとヘブライ人への手紙の著者は伝えているのです。

だから、そこに信頼を置き、待つことを学ばなければなりません。

神様は「自分にかけて誓う」という言い方でさまざまな誓いを伝えています。
また、信じて待つことについても勧めています。待つことができず失敗した例が聖書の中にいくつか書かれています。たとえばサウル王は預言者サムエルによって語られたサムエルが到着するまで、
祭司のような振る舞いをしてはならないという命令を待つことができませんでした。
その結果、サウル王は王位を失うことになりました。

「待つ」ことは大変難しい時があります。思いがけず、疑いが心に湧き起こってくることがあるからです。「本当に来てくれるのかな」「ほんとに大丈夫なのかな」などなど
。神様の約束に対して「待つことができない」ことで、私たちの思い煩いは深刻化していくことがあります。つまり、私たちは神様の時間軸で生きるよりも自分の時間軸を持っているのですぐに結論が出ないと腹を立てたり、いらだったりして、信頼することをやめてしまうことがあるのです。

詩編130は待ち望むことを勧めている有名な詩編ですね。
詩編 1301【都に上る歌。】
深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。2主よ、この声を聞き取ってください。
嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
3主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら主よ、誰が耐ええましょう。
4しかし、赦しはあなたのもとにあり人はあなたを畏れ敬うのです。
5わたしは主に望みをおきわたしの魂は望みをおき御言葉を待ち望みます。


ハバクク書にもこう書かれています。

「定められた時のためにもうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。」ハバクク2:3
イエスさまは弟子たちに「十字架にかかって死なれること」と「3日目に復活すること」を語りました。もし、「十字架にかかって死なれたことで絶望し復活の朝を待つことなく、イエスさまから心が離れてしまったり、絶望して自分でイエスさまとの関係を切り捨ててしまったら、復活したイエスさまの生き生きとした輝きをみることができないわけですから、とても残念なことになります。

聖書には神様の約束と契約や誓い、に溢れています。それらはまちがいなく実行され、実現するのだと聖書は教えています。それがすぐに起こらないからと苛立ったり、がっかりすることがあるとしても、それでも聖書の語っている内容に心を留めつつ生きる姿勢が重要なのです。

旧約聖書の中にはたくさん出てきます。
「しかし、もしこれらの言葉に聞き従わないならば、わたしは自らに誓って言う、と主は言われる、この宮殿は必ず廃虚となる。」エレミヤ22:5

「わたしをおいて神はない。正しい神、救いを与える神はわたしのほかにはない。地の果てのすべての人々よわたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。23わたしは自分にかけて誓う。わたしの口から恵みの言葉が出されたならばその言葉は決して取り消されない。」
イザヤ45:22-23

ユダヤの人たちは長い間、聖書が教えていた、預言、「神の救い主がやってきて、わたしたちを救う」という内容を聞いてはいましたが、イエスさまがまさにその存在だということを信じませんでした。間違いなくイエスさまは神様が約束した救い主だったのに、信じることを拒否したのです。

彼らの目の前に救い主がおられるのに、そのお方の重要さに気づいていなかったのです。なんという悲劇でしょう。待つことによる祝福があることを信じましょう。神様は必ず約束を実現させてくださることを信じましょう。神様は、ご自分が誓ったことを守り、契約を確実に実現させます。
そして、イエスさまは、まさに、そのことの重大な証拠のひとつです。
さらに言えば、神様は私たち一人一人に対して、アブラハムに対してもっておられたように
祝福の計画やその方向をご存知です。それを確認するためには、静かに待つことが重要なのです。
自分で立てた計画を一旦外して、神様からの語りかけを待つ時間が時々必要ですね。
****
MACF礼拝映像は
https://youtu.be/S5SwmldoBLw