心を落ち着かせて・・・ゆっくり考えてみよう。
何かないか・・・何かないか・・・・
朝のコーヒーを飲みながら、私はある考えを巡らせていた。
パチンコを禁じる事。
禁パチ。
パチンコという呪縛からの解放。
それはスロットも然り。
パチンコをやめたいと思う人が
心からパチンコを追い出して
日々、明るく平穏に暮らすこと。
その考え方を。
じっくり考えてみたんだ・・・
昨日は寝たけど、じっくり考えて。。。
パチンコで失うものとかを
考えてみたんだ。
まずは「お金」
お金が簡単に手に入る。
ただ、そのお金もすぐに無くなるんだ。
結局パチンコ屋に定期預金してしまうんだ。
お金が手にはいるのは一時的なもので
継続することは困難を極める。
次に「時間」
暇を潰せるってこと。
あの、けたたましいホールに身をおいて
高揚感に包まれながら過ごす。
他にもできることがあるだろう。
別にパチンコじゃなくてもいいだろう。
時間の大切さは、歳を重ねないと気付きにくいかもしれない。
そして、歳をとってそれに気付くと
もう遅い、もう間に合わないと投げてしまう。
できれば時間の浪費だけはしないように気をつけたい。
パチンコをやめたい人間にとってパチンコすることは
時間の浪費以外のなにものでもない。
次は「こころ」だ。
これは、うちのブログでも頻繁に取り扱っている。
パチンコをすると心が汚くなる。
すくなくとも自分はそう思う。
玉が出たらとても嬉しい。
そして、周りの中で一番初めに自分がでたら・・・
周りがでてないのに、自分だけ出ていたら・・・
群集の中で突出することは、人になんとも言えない快楽を与える。
これをパチンコでは比較的簡単に味わうことができる。
そして玉が出なかったとき。
出ない側の群集に埋もれたとき。
周りで自分だけ出ていないとき。
幸せな奴全員の頭上に隕石がもれなく落ちればいいのに。
前回登場した友人の名言だ。
人は何かを欲した時。
その時点で幸福ではなくなる。
満たさせている、足りていると思うことに
永続的な幸福感があると思う。
この考えが全てにあてはまるわけじゃないが
少なくとも、パチンコで玉を欲する時は
幸せではないだろう。
心を満たすことができない。
それはパチンコをやめたい人間にとっては
玉が出ても出なくてもだ。
渇きを癒す為に飲んでいる水が
さらに渇きを促す塩水だということに
気付かず飲んでいるようなものだ。
ただ、習慣というものはおそろしいもので
毎日続けると、それ無しでは生きていけないように
感じてしまうことがある。
それらが全て幻想であってもだ。
幻想と虚像の偽りである。
次は「信頼」だ。
人との信頼関係は大事であるのは説明するまでもない。
知人、友人、恋人、親。
多かれ少なかれこの信頼関係で結ばれていると思う。
パチンコはこの信頼関係を壊す。
少なくとも自分は壊してきたとおもう。
パチンコをする為に、平気で嘘をつく。
それはパチンコをやめなければならない状況に
追い込まれれば追い込まれるほどである。
やめる!と誓ってから
または「今度やりたくなったら言ってよ」と親しい者に
言われれば言われるほど。
平気で嘘をつくんだ。
内心がどんなに悶えていようと。
クチではサラっと嘘をついて
パチンコしてるときにはもうそのことを忘れている。
パチンコが終わって気付くんだ。
自分は何をやっているんだ・・・
もうやらないって決めたのに・・・
ウウ・・・うう・・・バカだ・・・
もう生きている価値もない・・・
そうやって、自分を責めて。
責めて、なにか罪が免罪されたかのような風に
またパチンコを繰り返す。
いくら自分を責めても罪は償えない。
裏切った大切な人から信頼は取り戻せない。
罪は償うとは、責めることではなく許すことだ。
自分自身を許すことで、再生の道を歩くことができる。
パチンコをしてしまうと、自分を責めつづけてしまう。
責められると人は元気が無くなるのは前の記事で話したとおり。
自分で自分の元気を奪ってはいけない。
自分が自分を許してあげないと。
そして、自分の為や人の為に出来ることはなんだろう。
何をしたら、本当に自分や大切な人が喜ぶだろう。
幸せになるだろうということを考える。
それが、信頼回復に繋がると思う。
その思いは責める自分からは生まれない。
もちろん、許して「じゃあもう一勝負」ではない。
自分や大切な人が幸せになることをやらなくてはいけない。
これら全部・・・・
やめないと気付かないのである。
やめない限り、この事に気付けなかった。
これらのことに心から納得して、気付く。
それが覚醒である。そして自覚の始まりである。
その時に、人は反省するのである。
反省は、決して人に強制するものではない。
反省とは、自覚してはじめて気付くことができる。
人から強要された反省なんて、反省の意味をもたない。
これら何もかもが、パチンコ以外にもあてはまる。
ギャンブル・・・タバコ・・・酒・・・
全てではないが、ダイエットもそうかもしれない。
自分が何か「禁じる」ものを負った時に
一生責めつづけながら禁じ続けるのか
自分を許して解放されるのか。
同じ「対象をやめる」でも全然意味が違う。
私はパチンコをやめた。
やり続けた自分を許して、自分や周りが幸せに
楽しくなることはなんだろうと考えて
生きるようになった。
パチンコをやり続けていた責め続ける自分とは
もう二度と会わないと思う。
さようなら・・・
ディスプレイに表示された画面を見ながら
コーヒーを飲み、私は席をたった。
すこし外を見ながらたそがれつつ・・・
思考を巡らせることを楽しみながら席に戻ると
PCの電源が消えていた。
もちろん、記事は保存していなかった。
今書いているこの記事は2周目だ。
1周目に書いたことを必死に思い出している。
保存しなかった自分が許せねぇ。。。
自分を責めつづける自分がそこにはいた。
自分を許すのって難しいね。
おしまい。
こんにちは、macchanです。
というわけで、1時間くらいの長文がサラっと消えました。
あはははは、よくあることだけど。
だいたい2周目は書いた内容が薄まります。
原液を濃縮還元どころか、薄口状態になります。
自分を許すとか書いておきながら、プンスカして許せない
自分がいたので、ちょっと書き方を変えてみました。
色々な大切な物を失うこと。
そしてそれを真に自覚すること。
パチンコを続けている間は全然気付けないことですが
こういう事に早く気付きたかったと思います。
失った同じ物は戻りませんが
また新しい物を得ることはできます。
1つずつ取り戻していこうと思います。
私自身、失った物を取り戻す為に、自分を許していこうと思います。