やまだまんの『死ぬまで文武両道!』 -40ページ目

【ダークツーリズム】靖国神社(後編)


中編は勢いで書いちゃったので、このままだと非難されそうなので早目に纏めました。

きっかけは前編に書いた通りだけど、靖国神社を選んだのは、単純に近いからで、それ以上の意味は無い。少しでも戦争を考える、中国、韓国の怒りっぷりを理解できる何かがあるかな?という興味もあった。

一番の目的地は遊就館だったのだが、正直あまり新鮮な感じはなかった。社会科見学みたいでどこか懐かしい。韓国、中国の怒りっぷりから、さぞかし戦争を肯定する展示があるんだろうと思ってたけど、けっこう中立的に丁寧に説明されている。第二次大戦以外の戦争に触れるのは遊就館くらいではないだろうか?だが雑然と並べられた資料では、教科書で学ぶのとあまり変わらないと思う。新聞や雑誌とかで、もっと生活に近い素の戦争の姿を見せてもいいのになと思った。一方、兵器の展示は充実しているので、軍事マニアは楽しめそうだ。とか冷めたようなことを言いながら、付け焼き刃のような知識をフルパワーで3時間半も稼働してたのでかなり疲れている。おかげで新しい収穫があった。

一つ目は、靖国神社に祀られている英霊は天皇側に偏っていることである。明治維新から始まり第二次世界大戦の終戦でほぼ展示が終わるからだ。終戦からパネル1個分で主権回復まですっ飛んでいった。日本を作ったと英霊を祀ると言うなら、戦後の吉田茂、岸信介、田中角栄がいても良いはずだ。靖国神社は1945年で時間が止まっているのである。だとすると日帝からの解放が建国のルーツである中華人民共和国、大韓民国の政府が反日を煽る要素が凝縮されていることになる。つまり、仕方なくやってる反日だとすれば、中国人観光客が靖国神社に来ているのも理解できる。

二つ目は、世界の認識の大筋は『日本は侵略戦争をしてアジアの国々に迷惑をかけた』という事がスタンダードであること。確かに複雑な背景の元、様々な要素が絡み合って戦争となり仕方がなかった。だから侵略という認識は認めないと言う声もあるだろうが、戦勝国である中国が健気にこの認識を作り上げた。とは言えども日本の侵略行為は事実であり、現在の視点から反省はしなくてはならない。だが忘れてはならないのは戦勝国であるアメリカ、イギリス、フランスだって侵略をしているのである。また敗戦国であるドイツは戦後の処理が素早く、過去の視点と現在の視点のダブルスタンダードで展開した。だから昨今のギリシャの主張も一蹴できた。日本は過去と現在の視点を区別して主張ができておらず、そこを韓国につけ込まれている印象だ。逆に韓国も過去の視点で日本を攻めるので、若干ズルいと感じるところはある。

三つ目は、靖国の精神は時代に合わせて姿を変えるという事だ。靖国神社は1945年までの犠牲者、過去を閉じ込めており、日常から遠ざけることで第二次世界大戦が最後の戦争のような錯覚に陥れる。そして安心を錯覚する。錯覚による安心は、抽象的な慰霊碑で表現する必要がある。ヤケクソにも思える慰霊碑はその現れではないだろうか?つまり今は中国、韓国が怒る靖国の精神は無い。
逆に過去の靖国神社は、靖国の精神という死の哲学で錯覚を与えて戦争を煽っている。煽るためにはかわいそうな慰霊碑である必要があったのだ。ここまできたら、靖国神社は兵器なんじゃないの?とすら思えてくる。つまり、靖国の精神で戦争意欲を高揚したかと思えば、今度は平和を訴えてくる。靖国神社は、いつの時代も日本国民を誑かすものらしい。第二次世界大戦後も、ベトナム戦争、湾岸戦争、クリミア紛争など、世界では戦争が起きている。本当は第二次世界大戦は古い戦争にすぎないのに、時間が止まってる違和感がここにはあった。私的感情を挟ませてもらえるならば、こういう日和見主義は好きではない。

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《結局、平和って何?》

靖国神社は明治天皇の指示により建てられ、日本を作った英霊を祀っている。日本を作ったという割に、建国記念日は関係がない。ある学者は日本には建国の理念がないと言う。即ち、物心がついたら明治維新が始まり戦争をしていた。そんな感じだ。掲げる理念は、戦後になって出来上がった『平和な国』。戦争の記憶が薄れていくのは当たり前だから、平和ボケと言われても恥じる必要はないと思う。でも平和を主張するには戦争を知らないと説得力がない。しかし戦争を知るほど、戦争の無い時代などない事がわかる。好戦的である必要はないけど、防衛力は必要なんじゃないかと思う。だけど防衛力は戦争になるというなら・・・。どうしてもぐるぐる回る。結局、平和ってなんだろう?軍隊を持たないことか?軍隊ができたのっていつだろうと思いを馳せる。国としての軍隊が出来上がったのは明治。藩ごとなら戦国時代になるのだろうか?昔に行くほど規模は小さくなり、弥生時代まで遡れば村単位まで縮小する。そう考えると軍隊がなくなったところで戦争は無くならない。スタイルが戻るだけだ。

結局、平和を基軸にした平和を考える方が良いのかな?と、考えが一周してきた。昔、京浜東北線の中で高校生が『歴史なんて勉強する必要なくね?今を生きるのが大事だ!』と言っていたが、案外正しいのかもしれない。
※その後、その高校生は浦和ってどこだっけ?と聞かれて『千葉じゃね?』と言っていた。今も生きていなかったのが残念だ。

学者とアイドルの対談なんてのも読んだことがあったけど、アイドルの海外公演の方が、日本の価値を高め、平和に貢献しているんじゃないか?とも思った。理想はみんな仲良くして、お互いに戦争をしたくない関係になること。ただし今の世界情勢を知った上で、理想だけを語っていて良いのだろうか?

『過去に目を閉ざすものは結局、現在にも盲目となる。』
ヴァイツゼッカー元ドイツ連邦大統領

少なくとも、牛肉を食べて戦争が起こるような理屈はない。強いて言えば、日本は米をきっかけに戦争が起きた事があるというくらいだ。

コラムって事で、煮え切らない感じで終わらせてみる。けっこう面白かったので、またどっかに行くと思う。