やまだまんの『死ぬまで文武両道!』 -30ページ目

【違和感その6】打たれ弱いのは誰?

これまで「最近の若者は打たれ弱い」と言われることに反論してきたのだけど、やっぱり打たれ弱い人はいる。どういう人を打たれ弱いと言うのだろうという疑問が残るので、明確にしてみようと思った。じゃあ打たれ果てた姿って、どんな姿?と考えて、パッと出てきたのは登校拒否、出社拒否などの引きこもりだったので、そこから考え始めてみた。ちなみに自分は登校拒否も出社拒否もしたことが無いので、イマイチその心理が分からない。ということで、カウンセリング、精神医科学を調べてみると、登校拒否・出社拒否の原理はこういうことらしい。


子供は母親から生まれて、母子一体化幻想の中で成長する。この母子一体化幻想の中で、自分は何でもできる、自分は何でも望むものになれるといった幼児期の万能感が形成される(※)。そして最近の教育では、ゼロからモノを作り上げたり、やり遂げたりする経験に乏しくなるため、幼児期の万能感を忘れずにいる。そして現実の自分の姿を思い知らないまま青年となり、受験、就職、結婚などで現実と直面すると、現実の卑小な自分と向い合わざるを得なくなる。しかし、ありたい姿と現実のギャップに今更気がつくものの、それを受け入れる事が出来ずに「自己愛」の傷つきを極度に恐れて不登校、引きこもりなどとして形に現れる。
※精神分析学者のジークムント・フロイトによると、これは悪い事ではないと言う。自己愛が幼児期に満たされた体験が欠けていると、自尊心を持つこともできなくなってしまう。この自尊心の一部は一次的なものであり、幼児期のナルシズムの残滓であると言っている。


つまり精神医科学的には、登校拒否や出社拒否の原因は、万能感から生まれる「自己愛」なのだと言う。この理屈だと、確かに最近の若者は打たれ弱そうな気がしてしまうけど、これは登校拒否や出社拒否に限った話だ。まだまだつづく。


一方で、自分は何でも望むものになれるといった幼児期の万能感が形成される時、母子一体化幻想の中で、母親も我が子は何でもできるという万能感が形成されてしまう。母子一体化から離れられない子供がいる一方で、母親も例外なく幻想から離れられない。頑張ったら我が子が錦織圭になれると思っちゃうあれだ。そして子供の幻想を妨げる対象には攻撃的になる。これがモンスターペアレンツの起源である。


つまり万能感の肥大は、我が子のパーフェクトチャイルドのイメージを形成する。パーフェクトチャイルドのイメージが傷つけられることによりダメージを受けるのは、我が子を一番大事に思っている親。理想と現実の我が子のギャップを受け入れたくない、自分自身も教育の担い手として無力であることを認めたくない。自分自身のパーフェクトマザーという「自己愛」を守って、他責的になるのだと言う。


某氏がFBで「子供を怒った時に自分もツラい」と言っていたのを読んで、我が子を怒るっていうのは、親も例外なく傷つくってことなんだなぁって事を現していたと思う。他責になることは単なる逃避に過ぎない。


話を戻すと、本来はこの自己愛の肥大を止めていたのは父性だったという。社会学的には、父親は共同体の掟や、社会秩序などを教えてきた。子供に現実を教える事で自立を促し、社会に押し出す力として機能してきた。しかし現代社会では、虐待、暴力という言葉により、父親排除の方向へ向かっている。または、父親の母親化が進んでいる。となると、母親だけでなく、父親も打たれ弱いと言う事になる。なんだかおもしろくなってきた。


現実逃避に絡めると、依存症も打たれ弱さに該当する。アルコール依存、薬物依存、美魔女、アンチエイジング。自分はもっとやれるはずだ、こんな筈ではない、と現実の自分を受け入れられずに依存状態に陥る。ほほぅ。



ってことは若い世代だけでじゃなくて、どの世代も打たれ弱い人がいる事が見えてきた。現実逃避、他責的傾向、依存症の全ての根源が自己愛であり、理想と現実のギャップを埋めきれない打たれ弱さの表れなのだ。ある精神科医は、このギャップを受け入れられなくなった根本原因は、医療の発達などにより、死に対する免疫が弱くなったから。死に遭遇する機会が減ったために、成熟できない人が多いのだと言う。


これだとちょっと広義すぎて分かりにくいが、つまり、モノを失うという現実を受け入れる事が出来ないと言う事。現実を受け入れるって事は、単に大人になるってこと。精神科医のキューブラー・ロスが発表した死の受容のプロセス「死の五段階」は、大人になるためのヒントを与えてくれるものと解釈しても良いのだろう。


第一段階「否認」
第二段階「怒り」
第三段階「取引」
第四段階「抑うつ」
第五段階「受容」


「否認」は 引きこもりであり、「怒り」は 他責的行動、「取引」は諦めさせない商品や新興宗教、「抑うつ」は依存症。つまり、第五段階に達する前にフリーズしてしまうのが、成熟拒否であるという。ある段階にとどまったままだと、様々な問題を引き起こす。ツイッターやFBなんかを見てると、社会問題に対しておじさん達は第一段階か第二段階でフリーズ。若者は第四段階でフリーズ。感度の高い一部の若者が、第五段階で活動を始めているように思える。
※開き直りが早い自分は地に脚を付けて努力していたつもりだったけど、実は第四段階でフリーズしていることが多いと思った。第4段階に達するまでは異常なくらい速いが、もう一歩足りないんだなぁ。



でも死って言われちゃうと、超越的で最終形態ぽくて、ちょっと実感が湧かない。もうちょっと生活に近いところを見渡すと、現代社会は現実を受け入れさせないシステム、諦める事を許さないシステムが多すぎることが解る。


例えば、現代の教育システムは競争させる事を極端に避けてきた。社会的に現実逃避をさせてきたのである。そして負ける事を知らず、身の程を知らない人が増えた。断念と、身の程を知って初めて地に足のついた努力が出来るようになると思うし、地に足の着いた達成を知らない人は努力の仕方すら知らない。青○学院の監督の演出に狂乱するおじさん達を見てると、ぶっちゃけ気持ちが悪い。


他にも、ギャップを埋めるための商品がたくさんある。ブランド、化粧品、ダイエット商品。全ての理想は実現可能である、という幻想を最大限刺激してくる。諦めないことは依存症の始まりである(※)。いまどきの人は、人間が死なないものだと錯覚している。物理学的に言えば、全ての物質はエントロピーが増加するのだ。
※マーケティングの世界では、この心理を利用して販売戦略を立てることもある。最近話題になったルミネの宣伝も、この戦略に従っていたが、戦略に盲目となり配慮を忘れたのだろう。


地に足をつけるということは、ある意味で諦めることから始まるのだと思う。諦めきれないのであれば、本来は、その為に重ねる努力も、あがくことに伴う苦悩も引き受ける覚悟が必要であるはずだ。


でも考えてみれば、こういう社会をみんなが望んできたところがある。人はあまり死なない、規範から解放された自由な社会、競争は無く誰もが無限の可能性があることを教える教育、お金で何でも買える消費社会。欲望を実現させたら、社会全体が打たれ弱くなってしまったということか。




<ありのままは「空っぽ」だった>


これで終わったらほとんど感想文だ。もうちょっと付け足しておく。


もちろん社会構造的な問題はあるが、日本社会は競争を勝ち抜いた者が上に立つ構造であることは事実である。大企業バッシングももっともではあるが、大企業の社員は競争に勝ち抜いてきたエリートであることを忘れてはいけない。それを受け入れる事が出来ずに、自分を過大評価していながら、経験によって確立した全能感が無い為、自由な働き方を求めて自分探しをする。自ら規範を作って自分らしく生きることを目指しながら、心の中では他人に認められることを永遠に求め続けるという矛盾が発生していないか?自分らしく生きるってことは、世の規範から外れていく訳だから認められる可能性は低くなる。それを受け入れないだけのフリーターやノマドは醜いだけだ(※)。オンリーワンは局所的なナンバーワンなのだ。自分探しをしたら実は自分は空っぽ。でも自己愛的なイメージを捨てきれないで、他責的な行動に出る。いかがなものだろうか?


もちろん全員が醜いわけではない。フリーターやノマドは、スタイルは違えど社会の歯車の一つだと認識できている人はいる。



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東日本大震災の復興には時間がかかる事を承知の上で、更に乱暴すぎる解釈だと解った上で書くが、アンケートで生きるのが辛いと心の問題を抱える人の割合を成熟スピードとして見る事もできる。震災の問題というよりも、社会全体の構造が生み出した副作用が、東北地方だけに表面化しただけかもしれないと。これがもし東京で震災が発生したら?って、考えるだけでゾッとする。計画停電ごときで発生したパニックには嫌悪感すら感じたものである。

空想的かもしれないけど、日本が理想と現実が受け入れられていないだけの「打たれ弱い国」なんじゃないかと思ってしまう事もある。小泉政権時代の日本経済は、アメリカ追従型を考えていたけど、当時元気だったアメリカ経済は実はただのバブルだった事がリーマンショックによって証明されてしまった。日本が抱えている理想の経済成長が止まらない国っていうのは、地に足の着いた努力だとは思えない。人口も減っていくし、世界の工場に返り咲く事もできない。島国の小国として幸せに暮らせる国を目指すべきなんだと思う。日本って国が絶対に死なないと思っていると、思わぬしっぺ返しが来る事もあるかもしれない。


最後にもう一つ。最近の若者は打たれ弱いと言っちゃうおじさんはなんなのか?最近有名な社会学者は「おじさんの自分探し」だと言う。他人を批判することで、自分はそうじゃないから大丈夫と言い聞かせているだけ。まったくその通りだと思う。